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愛は歴史を救う~ドS天才哲学美少女!・アリストテレス編~

愛は歴史を救う~ドS天才哲学美少女!・アリストテレス編~

小説:田中 創 イラスト:TCB

 しんという言葉をご存知ですか?

 知らない? ああ、そうでしょうね。愚鈍な一般人には難しい言葉だったかもしれません。

 時震は歴史上のヒトやモノを変異させ、並行歴史パラレルワールドを生み出す謎現象です。

 最先端の時空観測技術をもってしても、その原因は未だまったくもって不明なんだとか。とはいえ、この並行歴史が増えてしまうと、宇宙が崩壊するというのだから大変です。さっさとなんとかする必要がありますね。

 はいそうです。それを行うのが私たちTHR――こうきょくれきかんなんですよ。

 時空を超えて過去の世界に赴き、変異した歴史を修正する。それが私たちのお仕事です。私はオペレーターなんで、基本的に時空移動タイムポートはしませんけどね。面倒くさいですし。

 実際に過去に行くのは他のエージェントです。みなさん、偉人として知られる歴史上のプロフェッショナルたちばかりですよ。

 カリスマ(?)溢れる美少女皇帝、ナポレオン・ボナパルト。

 武力もすごいがスタイルもすごい。ツインテ武将娘、りょほうせん

 ハイテクマシンも巨大ロボもお任せ。恋に一途な発明王、トーマス・アルバ・エジソン。

 彼女たちはみな、時震の影響を受けた偉人少女ばかりです。私のように。

 ――ああ、そうそう。エージェントと言えば、もうひとりいましたね。

 愚鈍で無知なうえに、スケベ極まる屑野郎。THRの隊長、ミツキさん。

 歴史修正任務の名目で、現地の偉人少女たちを次々と手籠めにしていくどうしようもない男です。下半身でしかモノを考えられないんですかね。あのひとは。

 あんな屑野郎が、果たして時震の謎を解き明かすことが出来るのか。

 その下劣極まる欲望は、上司、フレドリカさんへと伝わるのか。

 ……後者はまあ、知ったこっちゃないですけどね。

 まあともあれ。これから語られるのは、そんな御戸さんが、初めて私――アリストテレスと出会った頃についてのお話ですよ。

 

 

2021/4/21 こうきよく カフェテリア『オーロージュ』

 

 テーブルの上に載せた一眼レフのレンズを拭きながら、まきはいつものように怪しげな笑みを浮かべていた。

「このあいだ、貴様のところに入った例の美少女だが」

「美少女って、ナポ?」

 僕がたずねると、八巻は「そうだ」と眼鏡のつるを押し上げる。

「あれはなかなかに興味をかれるな」

「え。そうなの」

「ドジっ子というか放っておけない系というか……。あの手の美少女は男性の欲をかきたてる。被写体としては実に優秀だな」

 八巻の言葉に、僕は「まあ、そうかもね」と同意する。

 先月、THRの見習いエージェントになった偉人少女、ナポレオン・ボナパルト。

 あの無駄に偉そうな皇帝へいの〝カリスマ〟は、この広報課局員すら魅了してしまったようだ。

「つい先日もエレベーターの中で戸惑っているところに出くわしたのだがな。あの娘、〝閉〟ボタンを連打しながら『出られないわ!!』と半泣きになっていた」

「またそんなドジを……」

「あの娘のもえちからは尋常じゃない。扉を叩いてうなる彼女の姿に、俺は気づけばシャッターを切ってしまっていた」

「せめてその前に助けてあげようよ」

「馬鹿言え。美少女のたいに遭遇したらまずは撮影をする。それが礼儀というものだろう」

 しみじみつぶやくこの長身の男の名は、八巻よし

 航時局広報課に籍を置く、若きウェブデザイナーだ。

 年齢は確か、僕よりも一個上。所属する課は違えど、いちおう同期である。こうしてときどき、局内の喫茶店で一緒に昼食をとる程度には仲が良い。

 この男が編集している航時局HPホームページは、局内外を問わず非常に人気が高かった。

 特に、『美少女局員の日常』(略して『びしょにち』)ページのえつらんすうはものすごい。更新のたびにサーバーが落ちるほどのアクセス数を誇っているのだ。

 その手の有識者によれば、八巻自らが撮影した女子局員たちの無防備な表情は、下手なアイドルのグラビアなんかよりもエロティシズムをかきたてるものだと評価されている。

 八巻本人いわく、「趣味と実益を兼ねた天職」なのだそうだが……しかし僕は、いつかこいつが盗撮で捕まるんじゃないかと心配だったりもする。一応友人として。

 八巻が「それにしても」と続ける。

「THRの女性エージェントというのは、みなカメラえする美人ぞろいだな。実に素晴らしい。あのセクシーなチャイナ娘や、小動物めいたアメリカ少女……彼女たちなら、単独で写真集を出したとしても売れるだろう」

ほうせんとアルちゃんね。まあルックスはいいよね」

 性格とか能力には難がありすぎだけど。

「そしてもちろん、あの銀髪少女を忘れてはいけない。ああいうクールでミステリアス系の美少女には、男の視線はいつの世も惹きつけられてしまうものだ」

「ああ、アリス……」

 古代ギリシャの哲学娘――。『万学の祖』、アリストテレス。

 あの毒舌オペレーターは、八巻の中ではわりと正統派な美少女評価を得ているらしい。

 確かにそりゃ、ビジュアルだけなら繊細なアンティーク人形ばりの女の子だ。中身も美少女だと誤解されても仕方のないところではあるけれども。

「あの天使のような少女のスク水グラビアを撮ることが出来るなら、俺は五十万出せる」

「五十万!?

「いちおう断っておくが、俺はあの天使を芸術作品として昇華させたいだけだ。決して変態的ロリコン願望があるわけではないぞ」

 八巻は変態的ロリコン願望の持ち主だった。

「でも、天使は言いすぎじゃないかなあ」僕は眉をひそめる。「アリスが可愛かわいく見えるのはわからないでもないけど、中身はかなりキツイし」

「どういう意味だ?」

「正直、会話をしたら一発で目が覚めると思うけどねえ」

 微妙な表情でパスタをすする僕を見て、八巻は「そうなのか」と首をかしげる。

「なあ。どういう子なんだ、あのアリスという少女は」

「どういう子って、とにかく口の悪いオペレーターっていうか……。最初に話したときなんて、僕、あまりの暴言に泣きそうになったからね」

「ふむ。面白そうな話だな。詳しく頼む」

 八巻が、興味しんしんという顔でこちらを見つめている。

 僕はパスタを食べる手を止め、ため息をついた。

「正直、詳しく話すのはちょっと……。あまり話して面白いもんじゃないし」

「いいから教えろ。食券一枚おごってやる」

「つってもナポリタンのでしょ。いらない」

 この店オーロージユのナポリタンは超マズイ。航時局の常識だった。

「そう言うな。ミニサラダセットも付ける」

 この男、どうしてもアリスの話を聞きたいらしい。やはり真性のロリコンなのか?

 結局、「デザートもおごってやる」という八巻の押しの強さに負け、僕はしぶしぶ口を開くことにした。

「アリスと初めて会ったのは、去年の春だね」

「というと、俺たちがここに就職したばかりの頃だな」

「そう。あれはフレドリカさんの執務室に初めて入ったときのことだったんだけど」

 

 2020/4/3 航時局歴史管理課 課長執務室

 

 THR課長――僕のあこがれのひとであるたかみねフレドリカさんは、手元の書類と僕を何度も見比べながら、あきれたようなため息をついていた。

「筆記試験も面接試験も、全試験オールA。志願者の中で成績トップ……これ、本当にミツキくんの成績? カンニングとかじゃなく?」

「頑張りましたからね僕!! フレドリカさんの元で働くために!!

 このときの僕は、人生で一、二を争うほど得意げな表情を浮かべていたと思う。

 この部屋――フレドリカさんの執務室にたどり着くまでに、僕はどれほどの苦労を重ねたことだろうか。学生時代からわき目も振らずに勉強に励み、厳しい試験の数々を突破し、ようやく僕は航時局局員という地位を得ることが出来たのである。

 つまり今日から僕は、泣く子も黙るTHRエージェント!!

 全ては彼女に僕の男らしさを認めてもらい、人生を共に歩んでいただくため。ついに僕は、そのスタートラインに立つことが出来たのである。

「まさか、本当にうちに就職しちゃうとは……。お姉ちゃんびっくりだよ」

「ええ。今日からはもう姉と弟じゃありません!! 僕はひとりの立派な社会人!! フレドリカさんの部下です!!

「実感湧かないなあ。あのちっちゃかったミツキくんが、ねえ」

「もう小さくないですよ? 見ます?」

「ズ、ズボンは下ろさなくていいから。ていうかそんな話はしてないから」

 僕の冗談に顔を赤らめるフレドリカさん。

 やっぱりこのひと、可愛いなあ。

「ともあれ、今日からは部下としてなんでも遠慮なくお申しつけください!! 掃除洗濯雑用だろうと、命がけの任務だろうと!! 夜のお相手だろうと!!

「よ、夜のお相手は別にいらないかなー……」

「なら朝でもいいですよ!! 昼でも夕方でも!! 二十四時間三百六十五日、僕は年中いつでもウェルカムです!! コンビニエンスなミツキくんです!!

「いや、別にコンビニエンスは求めてなくてね?」

 フレドリカさんが困り顔を浮かべていると、部屋の隅から「ははは」と笑い声が上がった。

 それまで壁を背にして読書していたれいな女性が、本から顔を上げてこちらを見ていたのである。

「話に聞いてたとおり面白い子だな。この子、フレドリカの弟だろ?」

「弟じゃないです」僕はとつに口を開く。

「でもキミ、弟としてフレドリカの家族に引き取られたって聞いてるぞ。ほら、例の事件のあとに……」

「しばらく面倒みてもらいましたけど、法的に家族になったわけじゃないですから。あくまで弟的存在ってだけです」

「ふうん。弟的存在」

「ええ。家族になるのはむしろこれからですよ。夫として、ですけど。ハズバンド」

 フレドリカさんは「冗談ばっかり」とほおを膨らませる。

 僕は本気なんだけどなあ……。

「やっぱ面白いね。この男の子」

 けらけらと声を上げて笑うのは、当時のTHRのオペレーター。プラトンさんだ。

〝イデア論〟とかいう難しそうな概念を提唱した古代ギリシャの哲学者で、西洋哲学の祖とされる偉人さん……らしい。

 しんによるトラブルがきっかけでフレドリカさんと知り合い、以来THRのオペレーターを務めるようになったとか。フレドリカさんによれば「相棒みたいなひと」らしい。

 そのプラトンさんが、僕をまじまじと見つめながら口を開いた。

「はっきりと自分の好意を口に出せる。私みたいな理屈屋と違って、いい子じゃないか。こういう子が仲間になるっていうんなら、私は大歓迎だよ」

「あ、ありがとうございますっ!!」僕はプラトンさんに頭を下げる。

 切れ長の瞳にほそおもて。端整なルックスのショートカット美人だ。可愛いというよりはカッコいいタイプ。ダークのパンツスーツが似合う、いわゆる大人の女性だった。

 こういう綺麗なひとにめられると、素直にうれしくなるのが青少年のさがというもの。

 もっとも、もうひとりの美人は「はあ」と浮かない表情だったのだが。

「うーん、私としては反対なんだけどな……ミツキくんがこの仕事をするのは」

「どうして?」とプラトンさん。

「だって、危険な時代に行くような任務も多いし……怪我とかしたら心配だよ」

 ああ、フレドリカさんが僕を気遣ってくれている……!! なんとも男みように尽きる話ではないか!!

「未来の恋人にはなるべく危険をおかしてほしくない。そういうことですねフレドリカさん」

「あくまでお姉ちゃんとして、ね」

 するっとスルー。いつものことだが鉄壁である。

 しかし、今回ばかりはこのフレドリカさんに首を縦に振ってもらわねば困るのだ。

 僕の目標は、THRエージェントとして活躍すること。フレドリカさんの元で有能なところを見せ、男らしさを知ってもらうことなのである。

 すなわち、彼女が僕を部下だと認めてくれることこそが、未来予想図の第一歩なのだ。スタートラインでリタイアするわけにはいかない。

 そのためには、どうやってこの過保護なお姉ちゃんを説得したものか。

 僕が頭を抱えていると、

「じゃあさ、ひとつここでも試験をしてみればいい」

 プラトンさんが口を開いた。

「試験?」僕とフレドリカさんが同時に声を上げる。

「ほらフレドリカ。棚上げになってた例の件。あれをこの子にやらせてみたら」

「ああ、あの時代の時震……」フレドリカさんが眉をひそめた。「歴史変異率に対する影響もそこまで高くなかったから、新人用の任務にしようって言ってたやつだよね」

「そうそう。ミツキくんがそれをうまく解決できたら、THRにこころよく迎えてあげるってことでいいんじゃないか。いわゆる実技試験だ」

「たしかに、ああいうトラブルなら差し迫った危険はなさそうだけど……」

 うなずき合うふたりに、僕は尋ねる。

「実技試験……。その時震って、どんなんです?」

 時震とは、事象を変異させてしまう原因不明の時空わいきよく現象のことだ。時震によって、本来の歴史では起こりえなかった数々の並行歴史パラレルワールドが生まれてしまっているのである。

 このTHRの任務は、時震によって変異してしまった歴史を可能な限り修正することなのである。実技試験としてそれを実際に行うというのは、理にはかなった話だ。

「実は、私の元いた時代での時震なんだけどさ」プラトンさんが答えた。「私が面倒を見ていた子供の中にひとり、手のかかる子がいたんだ。そいつが、時震のせいでとても厄介な能力に目覚めちゃってね」

 時震による事象変異は、時として人間に超人的な才能を与えてしまうことがある。そのせいで歴史が正しい筋道を外れることは、往々にして起こるもの……らしい。

「その能力のせいで、その子、以前にも増して誰の言うことも聞かなくなったんだよ。いわば問題児だな」

「問題児ですか」

「ああ。とにかく口が悪くて頭でっかちの、引きこもり生徒だよ」

「生徒って……プラトンさんは先生か何かなんですか?」

「そうだよ」彼女はおうように頷いた。「これでも私は昔、結構大きな学園を仕切ってたんだ。〝アカデメイア〟って聞いたことないかい?」

 僕が首を傾げていると、横からフレドリカさんが助け船を出してくれる。

「古代ギリシャ最大の学園だよ。がく、天文学、哲学とか……西洋の学問は、全部そのアカデメイアから生まれたと言っても過言じゃないの。大学アカデミーの語源になるくらいすごかったんだから」

「へえ。じゃ、世界中の学校の親分みたいなもんなんですね」

「そうだぞ。そして私はそこの学長だからな。これでも偉いんだ」

 えっへん、とプラトンさんが冗談っぽく胸を張ってみせる。

 このプラトンってお姉さん、綺麗なだけじゃなくて、そんなすごいひとだったとは。まったく知らなかった。

「ダメだよミツキくん。THRエージェントなら、歴史には詳しくならなくちゃ」

 フレドリカさんにダメ出しされてしまう。

 試験のために歴史はそこそこ勉強したはずなんだけど、しよせんは一夜漬けみたいなもんだったしなあ……。すっかり忘却の彼方かなたなのだ。

「す、すいません。不勉強でして」

「ま、自分の無知を素直に認められるのはいいことさ」プラトンさんが笑う。「無知こそ学問探求の始まりになるって、私の師匠ソクラテスも言ってたぞ。〝無知の知〟だって」

 なるほど、がんちくがある言葉だ。さすが哲学者。

「でも、残念ながら教え子の方には通じないかもしれないな。あいつ、バカは大嫌いだから」

「はあ、大嫌い」

「しかも厄介なことにあいつ、基本的に自分以外の人間を全部バカだと思ってる節があるんだよな。自分以外全員バカだから、人間全員嫌いだって」

「ああ……たまにいますよね、そういう子」

 周りを見下して自分のからに閉じこもっちゃうタイプ……。そういうタイプの子供はどこの学校でも少なからずいる。確かにそういう子は、教師の指導など聞かないだろう。

 フレドリカさんも「ううん」と唸っている。

「その子がそんなかたくなな態度のままじゃ、偉人として大成しないんだよね。そうなると、歴史的な不具合が生じちゃう。その結果は……わかるよね?」

並行歴史パラレルワールドが発生することになって、ゆくゆくは宇宙崩壊ですか」

 時空の歪みは、別な歴史、別な世界を生じさせる。それらが積み重なると次元情報量がほうし、宇宙が崩壊してしまう――正直実感は湧かないが、それを食い止めるのがTHRの目的なのだそうだ。

「頼むよミツキくん。あの問題児を更生させてやってくれないか? それが試験内容だ」

「話はわかりました」僕は頷いた。「要は、その問題児の心を開いてやればいいと」

「肉体的に危険ってわけじゃないけど、たぶん精神的には結構キツイと思う。……どうするミツキくん? この試験、挑戦してみるかい?」

 試すようなおもちで、じっと僕を見つめるプラトンさん。

 もっともそうやって確認されるまでもなく、僕の心はすでに決まっていたのだけれど。

 

 B.C.367/5/29 ギリシャ アテナイ 〝アカデメイア〟

 

 歪んでいた視界がだんだんとピントを取り戻し、正常になっていく。

「……おえっぷ」

 僕は吐き気をこらえながら、その場にうずくまってしまった。

 生まれて初めての時空移動タイムポート――ぶっちゃけ、ものすごく気持ち悪かった。

 なにせこの時点ではまだ、THRには頼れるメカニックはいないし、タキオンウォッチも試作品の域を出ていない。まだまだ不完全な航時局の時空移動タイムポート技術は、使用者にハンパない〝時空酔い〟を与えるものだったのである。

 遊園地のティーカップのハンドルを、全力で百回くらい回したあとの気持ち悪さを想像してほしい。さんはんかんはグールグル。僕は思いきり酔ってしまったというわけである。

 そんな僕のしゆうたいには、同行者であるプラトンさんも苦笑していた。

「おいおいミツキくん、大丈夫か?」

 彼女は余裕のようだ。さすがベテランは慣れてるなあ……。

「だ、大丈夫です……」

 なんとか深呼吸をして、周囲の状況を確認できるくらいには回復する。

 鮮やかにえる木立の緑が目に飛びこんできた。どうやら僕たちが〝飛んで〟きたのは、かんさんとした林の中らしい。頭上からは、柔らかなれ日が差しこんでいる。

 耳に聞こえてくるのは、葉のざわめきや小鳥たちのさえずり。穏やかに森林浴を楽しむには、うってつけの場所かもしれない。

「あれは……」

 閑散とした木立の向こうに、白い大理石でできた大きな柱が何本も立っているのが見えた。それこそギリシャの神殿のような、立派な建物だ。

 プラトンさんが得意げに指さす。

「あれが私の学園。アカデメイアだよ」

 入り口の石段のところには、揃いのローブを身につけた少年少女たち――十歳くらいの年頃だろうか――が、腰を下ろしてなにやら議論をしている様子がうかがえる。

「古代ギリシャのまなって、こういう雰囲気なんですね」

「牧歌的でいいだろう? 気に入ってくれると嬉しい。なんたって、しばらくキミの職場になるんだし」

 そう。僕は今日から、このアカデメイアの臨時教師になるのだ。

 教師として、プラトンさんの言っていた例の問題児を更正させる――それが、僕に課せられたTHRの実技試験だった。先生なんて呼ばれる柄じゃないのは重々承知だが、頑張らねば。フレドリカさんとの未来のために。

「それじゃミツキくん、ついてきてくれ」

 プラトンさんのあとに続いて、僕は白い建物の中に足を踏み入れた。

 建物中央には、広い中庭が見える。プラトンさんによれば、生徒を集めた講義は主にあの中庭で行われるそうだ。青空学級のスタイルだ。

 一方この白い建物自体は、もっぱら教師や生徒の寄宿舎として使われているらしい。

「あいつの部屋は、一番奥だ」

 先導されるまま、石造りの廊下を歩いていく。

 さすがギリシャ最大の学び舎というだけあって、建物内部はなんだか知的でせいひつな雰囲気に満ちあふれていた。

 調度品は派手すぎず野暮すぎず、綺麗に整えられている。すれ違うローブ姿の子供たちも、なんだかみんな理知的な顔つきをしている気がした。

 生徒たちはプラトンさんの姿を見つけるや、目を輝かせて集まってくる。

「こんにちは先生」「今日はわたしと議論してくれますか?」「わたしの方が先ですよね?」

 プラトンさんのそでを引っ張ったり、手を握ったり。なるほど、プラトンさんは学園の子供たちにたいそう慕われているようだ。

「先生、今日はわたしとお昼を食べましょう」「あ、ずるい!! 抜け駆けはダメよ!!」「あなたいつもそうやって、先生を独り占めしようとするんだから!!

 慕われているどころか……モテモテである。それも女の子の生徒ばかりに。

 実際プラトンさん、女の子に好かれそうなルックスだしなあ。月組とか花組とか、そっち系の美人さんだし。

 子供たちの頭をでながら、プラトンさんが苦笑する。

「ごめんなみんな。私はこれから、このひとを案内しなくちゃいけないんだ」

「新しい先生ですか?」ひとりの女の子が、僕を興味深げに見つめる。「あまり頭よさそうな感じじゃありませんけど」

 余計なお世話だった。バカっぽい顔ですみませんね。

 プラトンさんは「こらこら」と生徒をたしなめる。

「このひとは、アリスの個人教師だよ」

 アリス、という名前を聞いて、子供たちは一斉に息をんだ。

 それから僕の方に気の毒そうな目を向け、「頑張ってくださいね」と言って散っていく。関わり合いになりたくない――どの子の顔にも、そんな色が浮かんでいた。

「なんです、あの反応」

「アリスのやつ、同級生にもビビられてるからなあ……」

「アリスって、その問題児ですか」

「そうそう。……ほら、着いたよ」

 廊下の一番奥で、プラトンさんが足を止める。

 木造のドアにはプレートが打ちつけられており、この部屋の生徒の名前が記されているようだった。

「ええと、〝アリストテレス〟……?」

「おいアリス。いるか?」プラトンさんが扉を叩く。「新しい先生を連れてきたぞ」

 しかし、部屋の中から返事はない。

 その代わりに、なんだか唸るような苦しむような、くぐもった声が聞こえてくる。

「どうしたんですかね?」

「さあ……?」プラトンさんはなぜか苦笑いを浮かべていた。「ミツキくん、アリスの様子を見てくれるか。私は他の子の面倒も見なければいけないから」

 振り返ると、女生徒たちが遠巻きにプラトンさんを見つめていた。

「わかりました」僕は頷き、プラトンさんを見送る。

 そうだ。僕は今日から、このアリスという生徒の先生になるのだ。相手が問題児ならば、おどおどしたり、おびえた態度を見せるわけにはいかない。

 人間、第一印象で全てが決まるのだ。まずは明るく元気なあいさつをして、相手と打ち解ける姿勢を見せなければ。

 そう思って僕は、勢いよくドアを開いた。

「やあアリス!! 僕は御戸――」

 しかし部屋の中の光景を目にした瞬間、僕は硬直する。

「あっ……んんっ……ふうっ……!!

 

*この続きは製品版でお楽しみください。

 

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