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愛は歴史を救う~天然言いなり子犬系発明美少女!・エジソン編~

愛は歴史を救う~天然言いなり子犬系発明美少女!・エジソン編~

小説:田中 創 イラスト:TCB

 しんという言葉を知っていますか?

 知らなくても無理はないと思います。普通のひとにとっては耳慣れない言葉でしょうから。

 簡単に言うと、時震とは、歴史上のヒトやモノを変異させ、並行歴史パラレルワールドを生み出す謎現象です。

 ボクの技術でも、原因はいまだ解明できていません。しかもこの並行歴史が増えてしまうと、宇宙が崩壊するというのですから大変です。

 愛する人との未来を守るため、早くなんとかしなければ。

 その方法はひとつ。時空移動タイムポートで過去の世界に赴き、変異した歴史を修正することです。

 そうです。ボクたちTHR――こうきょくれきかんの使命は、まさにそれなのです。

 愛するあのひとのためなら、ボクはメカニックとして全力を尽くします。ちょっとしたお役立ちアイテムから汎用人型決戦兵器まで、なんでも発明してみせる所存です。

 そう思っているのはボクだけではないでしょう。THRには頼れる仲間がいっぱいです。

 ちょっとドジだけど、とっても可愛いフランス皇帝。ナポ子さん。

 小さいのに何でも知ってるギリシャの哲学者。アリスさん。

 なにかと暴走しがちだけど、強くてかっこいい武将。ほうせんさん。

 みんなボクと同じで、時震の影響を受けた偉人少女ばかりです。

 そしてTHRで忘れちゃいけないのがあのひと――たいちょー、ミツキさんですね。

 真面目で優しくて、すごく素敵なお兄さんです。ボクがTHRに籍を置いているのは、彼のためだと言っても過言ではありません。

 たいちょーを想う女の子は他にも沢山いるでしょう。それは知っています。

 ですが関係ありません。あのひとと一緒にいられることだけが、ボクの幸せなのです。

 彼は果たして、時震の謎を解き明かすことが出来るのでしょうか。

 あのひとの想いは、上司、フレドリカさんへと伝わるのでしょうか。

(後者はどうも望み薄な気がしますが……くじけないで頑張って欲しいです)。

 

 それでは、ボクと彼の出会いのお話を始めましょう。

 あの出会いは、まさに運命でした。

 

 

 2020/10/21 こうきよく レクリエーションルーム

 

 航時局ビルの上層フロアは、局員たちの居住スペースになっている。しんが観測された際にじんそくな対応をするため、僕たちは本部で寝泊まりすることを義務づけられているのだ。

 一般企業でいうところの、社員寮である。それが本社のビル内にあるというわけだ。

 居住フロアには、局員の福利厚生のための施設もそれなりに充実しており、トレーニングルームや購買部、クソまずいナポリタンを出す喫茶店などが備えられている。

 このレクリエーションルームもそのひとつ。

 ビリヤード台やダーツボード、カラオケに各種ゲーム機などなど、らく用の設備が設置された空間である。暇つぶしにはもってこいの部屋というわけなのだ。

 僕がレクリエーションルームに足を踏み入れると、少女のえつが聞こえてきた。

「うううっ……!! ぐずっ」

 誰かと思えば、ほうせんだ。なにやらこの武将娘、壁の大スクリーンを見つめながら、涙をこぼしているではないか。

「ポンああっ……!! 友達をかばって自ら犠牲になっちまうとは……立派なタヌキだったぜっ……!!

 スクリーンに映し出されていたのは、ほんわかした絵柄のアニメ映画だった。

 なにやらデフォルメされたタヌキを主人公にした、感動系の作品らしい。ちょうどクライマックスのお涙ちようだいシーンのようだ。

「奉先……こんな可愛かわいい映画観て泣くキャラだっけ?」

「うるせえ。あたしは動物モノには弱いんだよ。せきのこと思い出しちまってな」

 真っ赤に泣きらした目で、僕をにらみつける奉先。

 そういやこの子、馬飼ってたんだっけ。初めて会ったとき、なんかやたらデカくて強そうな馬を乗り回していたけども。

「奉先さん、意外に中身は乙女ですからね。この映画はきっとツボにハマると思いました」

 奉先の隣には、銀髪の哲学娘――アリスがいる。

 なるほど、アリスが映画鑑賞に誘ったというわけか。

 奉先がエージェントとして務め始めたのが今年の五月。

 それからしばらく共に任務を重ねているうちに、アリスと奉先はずいぶん意気投合したようだ。偉人少女同士ということで、何かと気が合うのかもしれない。

 ふたりとも元の世界では周囲に壁を作っていた時期があっただけに、こうした光景はなんだか感じ入るものがある。僕も身体からだを張ったがあったというものだ。

「映画って、すげえんだな」奉先がうんうんうなずいている。「あたしらの時代の娯楽っていやあ、酒としゆりようぐらいだったからな。こんだけひとを感動させられるモンが生まれているなんて、ホントいい世の中になったぜ」

「でしょう? 現代人にとっては、映画はなくてはならない文化ですからね」

 偉そうに言うアリスも紀元前の人間だったような気がするのだが……まあそれはいい。

「そんなことよりふたりとも、早く次の任務の準備をしてほしいんだけど」

「はあ、次の任務ですか」アリスが眉をひそめた。「すいません。私それパスで」

「いや、アリスさん。パスじゃなくてね?」

「この映画、まだ前編なんです。後編を観終わるまで席を立つわけにはいきません」

 妙にキリっとした表情で言いきられてしまう。なんだと。

「後編……『発動篇』はですね、第六文明人の手により復活したポン太が、過ぎた力を有してしまった者の苦悩を抱えながら、憎しみに満ちた戦場を駆けるという壮絶なストーリーなんです。共に戦う森の仲間たちが、次々と散っていくさんなシーンの数々……これを観ずに、日本のSFアニメは語れませんねえ」

 感動系の動物モノじゃなかったの、この映画……?

「ていうかさ。映画鑑賞のために任務をサボるって、それひどくない?」

 ため息しか出てこなかった。この子のサボりアンド引きこもり癖は今に始まったことじゃないけれども、最近ますます悪化している気がする。

「ねえ、奉先も何か言ってよ」

「すまん隊長さん。あたしも今回はパスだ」

 奉先もまた、妙に真剣な顔で首を振っていた。

「ポン太の行く末が気になって、任務どころじゃねえからな」

「奉先まで何を……」

「どのみち、フレドリカねえさんも言ってたじゃねえか。今回のは、ひとりでもなんとかなりそうな任務なんだろ?」

「それはまあ」しぶしぶ頷く。

「だったら、今回は隊長さんに任せるよ」

 奉先は片手を振りつつ、手元のリモコンを操作し始めてしまった。続きを観る気満々らしい。

 だめだこの子ら……。

「私たちが悪いわけじゃないんです。映画が面白いのが悪いんです」

〝いけしゃあしゃあ〟という形容詞は、まさにこの子のためにあるのではないか。そう思わせるほどに、アリスの態度はひとをいらたせるものだった。

「恨むなら、映画を発明したひとを恨めばいいんじゃないですか」

「誰だよ、映画を発明したひとって……」

 映画にドハマリ中の同僚たちに背を向け、僕はあきれ果てるしかなかった。

 この子らに果たして、THRのエージェントとしての自覚はあるのだろうか。改変された歴史の向こうでは、要救助者が今にも僕たちの助けを待っているというのに。

 

 最悪を告げられた日

 

 心臓がバクバク動いて、背中を冷たい汗が流れました。心なしか、意識が遠くなってきたような気さえします。

 人間は心理的に激しいショックを受けたとき、そういった症状を起こすことがあるそうです。つらい現実を受け止めることに耐え切れず、心より先に身体が参ってしまうのだとか。

 今のボクは、まさにそんな状態でした。

「え、ええとあの。おっしゃってる意味がよくわかりません……」

 ここはニューヨークにある、とあるビルの最上階。

 革張りのソファーやらマホガニーのデスクやら、成金趣味のインテリアに囲まれた社長室です。棚には、よくわからない黄金の像とか、きらきらした水晶のオブジェだとかがたくさん飾られていて、お金持ち感がバリバリ。

 つい今しがたボクは、この部屋のあるじに呼ばれ、最終通告を受けたばかりのところでした。技術者としては、死刑にも等しい宣告を。

「ボ、ボクの研究室ラボへの投資を打ち切るって、どういうことですか……?」

 呼吸を落ち着かせながら、ボクはなんとか口を開きました。

「どういうこともなにも、他意はないよ」

 デスクに座った社長さんが、大きなおなかを揺らしながら「ほっほっほ」と笑います。

「今月いっぱいで、わが社と君の付き合いはおしまい。それだけの話だ」

 このオジサンこそ、この部屋の主。ジヨンピアポント・モルガン社長です。

 まるで季節外れのサンタクロースのような外見をしていますが、このひと、アメリカで一番の大富豪です。聞くところによれば、国家予算より多い資産を持っているとか。

 彼はこの投資会社の社長さんで、ボクの研究にたくさんお金を出してくれているひとなのです。

 あ……。いえ、間違えました。出してくれていたひとです。今や過去形です。

「あの。それは、困るんですけど……」おずおずと、ボクは口を開きます。「発明には、いっぱいお金がかかるんです。モルガンさんにお金を出してもらえないんじゃ、ボクは首をくくるしかなくなっちゃいます……」

「君の気持ちもわからないではないがね。トーマス・エジソン君」

 おヒゲをでながら、モルガンさんが首を振ります。

「私が行っているのは人助けじゃない。ビジネスなんだ。投資をするのは、あくまで前途有望な若者だけ。将来我が社に確実な利益をもたらすだろう人間だけなんだよ」

「はあ……」

「だが残念ながら、君の存在はもはや不利益しか生まない。だから投資を打ち切る。単純な話だ」

「で、でも」

 ボクはなんとか食い下がります。このままでは来月、パンも食べられません。

「こ、これまでだってボクは、たくさん発明をしてきたはずです……。モルガンさんにも、いっぱいこうけんしてきたはずですっ……」

 故郷を出て数年、ボクは技術者として様々な発明をしてきました。

 電信技術やプリンター、トースターにレコード。白熱電球や発電所。電気の送電システムなどなど。最初に蓄音機を発明したときには、大統領にもめられたほどなんです。

 このモルガンさんだって、昔はボクのことを「発明王」だって言ってくれていたはずなのに。どうして、こんなことになってしまったのでしょうか。

「でもねえ、エジソン君。今や世間じゃ君のこと、なんて言ってるのか知ってるかい?」

「え……?」

「〝人殺し〟だって。みんなそう言ってるんだよ」

 その単語を聞いて、心が重く沈みます。

 一部の心ないひとが、ボクをそうしていることは知っていました。

 もちろん、ボクが直接人を殺したわけじゃありません。ただ、ボクの発明が受け入れられていないだけなんです。

 なんと反論したらいいかと悩んでいると、背後でドアが開く気配がありました。

「モルガンさん、お呼びかしら」

 入ってきたのは、見覚えのある女の子です。

 ボクよりも背が高くてれいで、きらびやかなブルーのドレスを着た女の子。

 可愛らしく巻いた金髪を指先でもてあそびながら、彼女はボクに目を向けました。

「あら、来てたんですの。人殺しさん」

「テ、テスラちゃん……」

 この女の子は、ニコラ・テスラちゃん。これまでのボク同様、モルガンさんの援助を受けている技術者です。

 オーストリアの良家の出で、電磁技術関連のスペシャリスト。ラジオや無線技術、コイルや蛍光灯などの新発明を次々に成しげている天才技術者です。

 世間のひとたちも、ボクと彼女を指して「宿命のライバル」だなんて表現していたこともありました。

 ライバル……それも懐かしい響きです。今となっては、ずいぶん彼女に水をあけられてしまった感はいなめません。「アメリカナンバーワンの発明家」と言えば、現在ではもう、このテスラちゃんを指すのが一般的になっていますから。

 彼女のつややかな口元が、うふふ、と歪みました。

「もしかしてあなた、また人を殺す道具を発明しようとしているんですの?」

「また、って……ボクは別に、そんなこと一度も……」

「でもおあいにくさまね。さすがのモルガンさんも、もうあなたのような人殺しにはお金を出さないと思いますわよ」

 ボクは思わずむっとして、首を振りました。

「で、電気椅子は、人殺しのための道具じゃないです……!!

「そうかしら?」

「あれはその、悪いひとを怖がらせるためにある道具なんです。あの椅子を見て、みんなが悪いことはしちゃいけないって思ってくれれば、それで――」

「あらあら、綺麗事を」テスラちゃんが薄く笑います。「違いますわよね。あなたはあのざんぎやくな発明にあたくしの技術を使って、テスラの名前を地にとしたかっただけなんでしょう? 『交流電流技術はこんなにも危険だ』ってね」

「ち、ちがっ……そんなつもりじゃ……」

 ボクはまた、ぶんぶんと首を振ります。

 ボクは純粋に、世の中のためになればいいと思って電気椅子を発明したのです。その中でテスラちゃんの技術を利用したのは、純粋にそれが有用なものだと思っただけ。

 テスラちゃんの技術をおとしめるためだとか、ましてや人殺しのためだとか、そういう目的で作ったわけじゃないんです。

 なんとかうまく説明をしようとしたのですが、口下手なボクには難しいことでした。

 助けて、ママ……。

「どのみち、君の評判は最悪だよ。エジソン君」

 モルガンさんが、ふう、と息をつきます。

「電気椅子による処刑制度が決定されて数か月……。新聞社には毎日、君をきゆうだんする投書が次々と寄せられているそうだよ。『エジソンは血も涙もない』とか『あんなものを作った発明家を許すな』とかね」

「それは、よく知ってます……」

 なんたってその手のお手紙は、ボクの研究所ラボにもたくさん送られてきているのです。しかもご丁寧に、かみそりの刃とか同封されちゃって。

「正直、スポンサーである我が社にも、バッシングの一部が飛び火しているくらいなんだ。困るんだよね。イメージの悪い発明は」

「うう……すみません……」

「いいかいエジソン君。君はもうアメリカ中を敵に回したと言っても過言じゃない。そんな人間とはもう、私たちは付き合っていくことは出来ないんだ」

 モルガンさんの冷たい言葉を、ぐっと下唇をんでえます。

 ボクに味方はいない。それは十分わかっていました。普通に道を歩いていても、殺人鬼だとか人殺しだとかって後ろ指をさされるくらいですから。

 ただ……モルガンさんにまであいを尽かされたのは、さすがにショックでした。

 だって彼は、長年良好な関係を築いてきたビジネスパートナーだったのです。少なくともこのひとだけは、ボクの味方になってくれると思っていたのに。

 しかしどうやら現実は、ボクが思うよりも厳しかったようで。

「つまりモルガンさん、これまで彼女に投資していた分も、あたくしの研究室ラボに回してくださるということですわね?」

 テスラちゃんの言葉に、モルガンさんが「うむ」と頷きます。

「確か、大規模無線送電装置を作るのだったね。ウォーデンクリフ・タワーといったかな?」

「ええ。そうですわ」

 テスラちゃんの微笑ほほえみは、大輪ののようでした。

「テスラ君の技術は、アメリカ中の役に立つものだからな。我が社としても、君を後援しているというだけで評判がよくなる。十分に支援させてもらうつもりだよ」

「ええ、期待していてください。このニコラ・テスラ、必ず御社に栄光をもたらしてご覧にいれますわ」

 横目でボクをいちべつし、テスラちゃんがふっと笑みを浮かべます。

「――どこかの誰かさんとは違ってね」

「うう……」鼻の奥にこみあげる、熱いものをこらえます。

 どうやらボクはもう、モルガンさんの支援を受けることが出来ないようです。彼の興味はすでに、テスラちゃんの発明に移ってしまったようですから。

 つまりこれでボクは、来月以降、発明活動の一切を禁じられたに等しいというわけです。

「残念だったね、エジソン君」モルガンさんが眉尻を落とします。「だが、なにも発明だけが全てではないよ。君もまだ若いんだ。第二の人生を探すといい」

「そんな……」

「すまないが、話はこれで終わりだ。私はこれからテスラ君との打ち合わせがあるからね」

 まるで出て行けと言わんばかりに、モルガンさんがボクから目をそむけます。

 なんとなく、わかってきました。

 みんながみんな、ボクをこの世界からはいせきしようとしている。研究者としてのボクの居場所など、もうこの世界のどこにもないのでしょう。ボクに出来たことといえば、うなれながらすごすごと、この部屋から退室することだけでした。

 去り際に、テスラちゃんに声をかけられました。

「これから業界から消えてしまうひとに、こんなことを言っても仕方ないのかもしれませんけれど――」

「え……?」

「ひとの役に立つ発明が出来ないんじゃ、発明家あたくしたちに生きている価値はなくてよ?」

 

 運命の出会い

 

 モルガンさんに支援打ち切りを言い渡されてから、一週間が経ちました。

「ひとの役に立つ発明って、なんなんでしょう……」

 そんなことをぼんやりと考えながら、ボクは公園をゆっくりと歩いていました。

 木々を揺らす夕方の風はさわやかで、こうして歩いていれば少しは気が晴れるかも……と、そう思ったからです。

 先日、研究所ラボが閉鎖しました。

 金の切れ目が縁の切れ目というのでしょうか。スポンサーが離れると共に、これまで一緒に研究をしてきたスタッフのみなさんも、出て行ってしまったのです。

「エジソンさんについていっても、未来はありません」

 直接言われたわけではありませんでしたが、みなさんの顔にはそうはっきり書いてありました。かなりショックです。悔しかったです。

 こうなるともう、新しいことをしようという意欲も起こりませんでした。仕事も仲間も失ったボクには、こうして散歩することくらいしか暇をつぶす方法はなかったのです。

 ため息をつきながら、橋の上をとぼとぼ歩きます。公園中央の池を横断するようにかけられた、古びた木製の橋です。

 池の水面を、アヒルが優雅に泳いでいました。

 アヒルは何の悩みもなさそうでいいなあ。ボクもアヒルに生まれたかったなあ……。

「あ」

 そのときふと、前方に顔見知りを見かけました。

 小さな男の子と、その母親らしき女性――。近所の雑貨屋さんの親子が、手を繋いでこちらの方へとやってきます。

 息子さんは、しそうにバナナをほおっていました。きっとおやつなのでしょう。なんだか微笑ましい光景です。

 ボクは軽く会釈をしようとしたのですが、

「あ、ひとごろしだ!!」男の子がボクを見て、血相を変えました。「ねえママ、ひとごろしのお姉ちゃんがこっち見てるよ!!

「こら!! 指さしちゃダメ!! 電気椅子の実験台にされちゃうわ!!

 母親は小声で息子に注意をすると、すぐさまきびすを返します。そのまま彼女は息子の手を引っぱりながら、来た道を足早に歩き去ってしまいました。

 ボクは「あはは……」と苦笑いを浮かべるしかありませんでした。

 はい。そうです。よくあることです。最近のボクにとっては、日常はんです。

「ひどいなあ……」

 ふと、胸にこみ上げてくるものがありました。

 ボクは、ボクなりに世の中をよくしようとしただけなんです。

 それなのに、〝ひとごろし〟って。

「つらいなあ……」

 ぐすり、と鼻の奥が鳴りました。

 ボクにはもう、発明家としての未来はない。

 モルガンさんとテスラちゃんがそう言っていました。実際その通りなのでしょう。ボクの発明はどうやら、ひとの役に立つものではなかったようですから。

 しかし、未来がないのは、発明家としてだけではないのかもしれません。ボクにはもう、社会的な未来もないような気がしてなりませんでした。

 ボクは人殺しなのです。アメリカ中の敵なのです。

「こんなとき、ママがいてくれれば……」

 大好きだったママ。小さい頃から、ずっとボクを助けてくれたママ。

 ママが生きていてくれれば、きっと今のボクを支えてくれたに違いありません。それならボクは、どんな困難にも立ち向かっていけるはずなのに。

「いっそ、ママのところに行った方がいいのかなあ」

 そんなことすら考えてしまいます。

 小さな頃から学校にも行かず、青春の全てを発明に注いできたのです。発明が出来なくなってしまうくらいならいっそ――と思ってしまうのは、おかしなことではないでしょう。

 そんなネガティブ全開な精神状態だったせいでしょうか。ボクは、足下に落ちていたそれの存在に気がつかなかったのです。

「きゃあっ!?

 バナナの皮。たぶん、さっきの男の子が食べてたやつ。

 足でバナナの皮を踏みつけてしまえば、つるんとすっ転ぶのは物理学的なお約束です。さつ係数やら力学的エネルギーやらの計算式を持ち出すまでもなく、ボクの身体はあっけなく制御を失ってしまったのでした。

 しかも、転んだ場所が悪かった。そうです。ここはちょうど橋の上。

 古びたらんかんはよろけたボクの身体を支えきれず、あっけなく折れてしまいました。

 はい。そのまま池の中にドボンです。

「ひゃああぷっ……!?

 冷たい!!

 慌ててもがいてみたのですが、なぜか身体は沈んでいくばかり。

 そうでした。ボク、泳げませんでした。子供の頃からカナヅチだったのです。

 ああ……こんなことなら、小学校で水泳の授業を受けておくべきだったのでしょうか。あるいは、『着ていれば絶対におぼれない衣類』を発明しておくとか。

 なんて、今更後悔してもあとの祭りですけど。

 せめて水底に足がつけばよかったのですが、どれだけ沈んでもその気配はありません。

 おそらく、池というよりは沼に近いものだったのでしょう。どこまでも底がなさそうな感じでした。

 沈んで、沈んで。すごく怖くて。

「んーっ……んん――っ……!!

 水の中では、息が出来ません。当たり前です。

 苦しい。つらい。

 このままいなくなっちゃえばいいなんて、そんなことを考えていたのがバカらしくなるほど、ボクの身体は痛切に酸素を欲していました。

 でも、水面はもうはるか上方。どうしようもありません。

「ごぼっ」と水を飲みこんでしまったのが運の尽きでした。のどが痛くて苦しくて、ボクの意識は真っ暗な方へと引きずりこまれてしまったのです。

 バナナの皮で滑ってできだなんて、そんなのいやだ。助けてママ――!!

 そう願ったボクが最後に感じたのは、この腕を引っ張りあげようとする、誰かの手のひらの感触でした。

 ママの手と同じくらいに、温かいぬくもり。

 

「……んんっ……げほっ!!

 突然胸のあたりに感じた衝撃で、ボクの意識はかくせいしました。

 ぎゅっぎゅっと何度も、強い力で胸を繰り返し圧迫されているようです。

 い、痛たたた!? な、なにこれ!?

「ね、ねえキミ、大丈夫!?

 耳元で、そんな声がささやかれます。どこか頼りないけれど、優しい男のひとの声。

「い、今すぐ助けるから!! ええっと、次は人工呼吸を――」

「ふむうっ!?

 突然、口を何かで塞がれる感触がありました。

 いったいなんなのでしょう。温かくて、ちょっと柔らかい。

 ついで、ふうっと喉の奥に空気が送りこまれる感触があって、初めてボクは自分が人工呼吸をされているということに気がついたのです。

「ふ、ふむううう、ふみゅぎゅううう!!

 ビックリです。マウス・トゥ・マウスです。

 他人と唇を触れ合わせるなど、生まれて初めての体験でした。電気椅子なんて目じゃないくらいの激しいショックが、ボクの身体をつらぬいたのです。

 これって、キ、キス……!?

 

*この続きは製品版でお楽しみください。

 

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