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岸辺露伴は叫ばない 短編小説集

岸辺露伴は叫ばない 短編小説集

原作:荒木飛呂彦
小説:維羽裕介 北國ばらっど 宮本深礼 吉上 亮
JOJO第四部『ダイヤモンドは砕けない』の登場人物である、杜王町在住の人気漫画家・岸辺露伴。面白い漫画を描くためには手段を選ばず、リアリティを追求し続ける男が遭遇する、奇妙な事象の数々とは......!?  2か月連続刊行・第一弾「岸辺露伴は叫ばない」に収録されている短編は、『くしゃがら』『オカミサマ(書き下ろし)』by北國ばらっど、『Blackstar.』by吉上亮、『血栞塗』by宮本深礼、『検閲方程式』by維羽裕介の、5作品。 未知への好奇心が導く、恐怖と驚異の物語。

くしゃがら(北國ばらっど)

 

 十五じゆうごというペンネームは、間違った九九だ。

 人生は計算どおりにいかない。

 そんな思いをこめてつけられた名前だそうだ。字だけを見たときは「交差点が多すぎてきようとの地図を見ているようだ」ときしはんは思った。

 同じ集英社しゆうえいしやで仕事をする漫画家として、年末の──出たくもない──パーティーで初めて話したとき、十五本人から由来を教えられても、ふうん、としか思わなかった。露伴は、そう記憶している。

 しかしながら、その名にこめられた意味を心底味わったのは、露伴のほうだった。

「……席、いてるだろう?」

「そりゃあ空いてるよ?」

「じゃあ、なんでわざわざぼくのところにあいせきするんだ」

「だってよォ〜〜。カフェに来たら仕事仲間がいたわけだろ? 挨拶してわざわざ離れた席に座って、お互い黙々とお茶飲んで帰るって、なんつーか逆に不自然っつーの? 水くさいっつーの? 〈相席〉だろ、ここは」

 カフェ〈ドゥ・マゴ〉でアールグレイをお供に、新作のネタを整理しようとしていた露伴は、突然、きさくに声をかけられた。

 その相手が、たまたま来店していた志士十五だったわけだ。

 あれよあれよという間に、露伴の向かいに腰を下ろした十五は、さっさとジンジャーエールを注文して、目の前に居座っている。

 ひとりで静かに思考しようとしていた露伴からすれば、単純にいい迷惑だった。

「というか……〈仕事仲間〉だって?」

「そうだろ? 同じ出版社で仕事する漫画家同士じゃあねーか」

「ぼくらは〈同業者〉だが……このぼくのレベルを思えば、単に同じ漫画家というだけで同業と呼んでやるのもしやくだが……べつに仲間だなんて言うことはないだろ。むしろ商売敵しようばいがたきと言ったほうがいいんじゃあないか?」

「水くせーこと言うなよ露伴センセェ〜〜。漫画家なんて、たまに担当編集と話す以外は孤独だぜェ〜〜? 話せる奴を見つけたら話しておかないと、しやべり方ってやつを忘れちまうじゃあねえかよォ〜〜」

「…………」

 どの口が言う。……そう、心の中で露伴は悪態をついた。

 たしかに漫画家や作家という職業は、わりとインドアな人間が多い。

 十五の言うとおりの生活をしている人間も、それなりにいる。

 だが……露伴はへんくつではあるが、べつに孤独ではない(頼れる友達もいる)し、人と話すことだってそれなりにある。だいいち、本当に孤独だったとしても、なにも不都合を感じはしないだろう。

 それにこの志士十五という男、漫画家としては……見てのとおり、ずうずうしいというかお喋りというか、口から生まれたような男だ。

 そうだ。露伴は思い出す。たしか初対面のときも、十五は聞いてもいないのにベラベラとペンネームの由来を話していった。

「で、露伴センセは、なに? 〈新作のネタ〉でもりに来たの?」

「鋭いな、めてやるよ。でも、そうだと思うならひとりでゆっくり静かに考えさせてくれないかな?」

「奇遇ッ 実は俺もネタを練りに来たわけよ」

「せめて会話をしろッ ひとごとなら別の席でやれッ

「カフェで独り言ブツブツ言ってたらヤベーだろォ〜〜〜〜。独り言を言うにもさ、ヘンな奴だと思われないように、向かいに誰かいたほうがいいんだぜ」

「じゃあカカシ相手にでもやってりゃあいいだろ。案外いいコンビかもしれないぜ」

「そんなこと言うなよ露伴センセ。ここはおごるから……な?」

「なにッ フザケるなッ 貴様はこの岸辺露伴がたかだか一杯の紅茶を奢られてデレデレ喜ぶとでも思っているのかッ

「だから落ち着けって 名前を叫ぶなよ……有名人なんだぜ。ほら、下校中のガキがこっち見てるだろ。どうすんだよ、サインなんかねだられたらプロット作りどころじゃあないだろ」

「…………」

「それとも、ガキは好き?」

「嫌いだ」

「じゃあ話は早い。そもそも、こんな目立つところでひとりになろうってほうが無理があるんだぜ……。どうする? 俺と露伴先生と、お互いに知ってる奴がさ、カフェでわざわざ別々に座ってそっぽ向いてお茶してるとか、むしろ妙な話になりそうじゃあないか」

「……ちっ」

 露伴はハッキリとイラついていた。

 この十五という男に感じるムカつき具合は、なんというか……そう、あのクソッタレの仗助じようすけとかアホのおくやすに近い気がする。

 こういう奴は単純なクセに、行動の予測がつかなくて苦手だ。

 見ていると、次の瞬間にはもっとムカつくことを始めるんじゃあないかと思って、その予想だけで気が気じゃあない。土足で人のそばまでやってきて、棚の上のコレクションをべたべた触ったり、ポテトチップスでも食べた手で本を読んで、本棚に逆さで返しそうな気がする。まあその他いろいろもろもろと、ムカつく点だけなら売るほど見つかるが、とどのつまりこういう奴のムカつくところはだいたい同じってことだ。

 同じ漫画家、表現者としてはあるまじきその適当な感じ、無神経さが、露伴の神経をさかでするのだ。だから基本的には苦手に違いない。

 ただ、

「いやいやいや、なんつーの? そりゃ、わかるよ? うん……わかるわかる。オープンテラスの席でよォ、爽やかな風の中でよォ、町の生きてる音を聴きながらネタ作ると、スゲーはかどるんだよな」

「……そうだとも」

「ひとりで部屋の中ってのも集中できていいけど、それだけじゃあダメだ。〈表現〉っつーのはエネルギーがるからな……〈生きてるエネルギー〉の中で作るのが大事だ」

「…………」

「だから町の空気は良い……あふれてる〈生活〉がBGMになる。リアリティとか、生々しさとか、そういうのは内側からは出てこねーし、部屋の中にも落ちてねーんだ。外に溢れてるものを捕まえてこないとならねーからな……だから自分の家にこもってるのが許される職業なのに、面倒だけどヒゲとかって外に出るんだぜ。少なくとも、俺はそうだ」

「…………多少は漫画家らしいことも言うんだな」

 実のところ、ひとりの漫画家としては、露伴はこの男が嫌いではなかった。

 志士十五の作品は、作者のな見た目……赤く染めた剃りこみ入りの髪やピアスつきのまぶたのイメージに反して、ファンタジーだ。

 架空の文明、架空の歴史を描いているにもかかわらず、そこには非常に綿密なリアリティが練りこまれている。

 現実ではないとしても、漫画の世界には漫画の世界なりの常識があって、物理があって、登場人物ひとりひとりに人生がある。それを描くために、志士十五は〈経験〉と〈知識〉が必要だと思っているので、普段から歴史や風俗について勉強し、研究している。

 そういう考えのもとで描かれた十五の作品には、常に〈理屈〉が骨になって通っている印象を感じるのだ。

 だからこそ、露伴はあと一歩のところで、この男を邪険にはしきれなかった。

 もちろん、この男が「自分よりスゴい漫画家」とだけは、絶対一切思わないが。

「……で、露伴先生の新作っつーのは、どんな感じだい?」

「そこまで話してやる義理はないな。ネタを盗まれたらムカつくだろう」

「それじゃあよォ〜〜、俺のネタのほうを聞いてくれよ。ほら、やっぱ自分では面白いと思ったネタでも〈客観的な視点〉ってやつが必要だろ?」

「なんでぼくがそんなこと聞かされなきゃあならないんだ?」

「いやあ、たまには〈ホラー〉ってやつにも、メインで挑戦してみようと思ってよ。露伴先生ならそういうセンスってやつも自信あるんじゃあないかってよぉ」

「……君、勧善懲悪かんぜんちようあくな少年漫画ばっかりいているんじゃあなかったのか。できるのか? ホラー漫画なんか」

「でもよ、俺ユーレイとか全然ヘーキなほうだからよ……だから例えば、身近なものってケッコー怖いと思うんだよ。そんで、じゃあ俺の場合、何が怖いんだ? って考えたんだが……〈何度補充してもなぜかカラになるトイレットペーパー〉……っつーやつは、かなり身近に迫る恐怖って感じだと思うんだよなぁ〜〜〜〜……あ、〈なんかねっとりしてるトイレットペーパー〉もヤバいな どうするよ、迷うぜェ〜〜〜〜……」

「かなりビビったよ。チビりそうだ。最高」

「よし、ボツだな。わかりやすくって助かる」

 露伴は笑わず、十五は笑った。

「というか、担当に相談しろよな。そんなことなら……ぼくじゃあなくって」

「担当ッ そう、担当と言えばだよ 俺さぁ、ひとつ話したいことがあんだよ」

「ぼくのほうにはないぞ」

 当然ながら、噛み合わないが、十五はおかまいなしに話を進めた。

 図々しさを感じながらも、露伴はその場で怒って席を立ったりはしなかった。

「これ、見てくれよ」

「…………」

 十五は、持っていたカバンから、A4サイズの封筒を取り出して見せた。〈総合出版の集英社〉というロゴは、露伴も見慣れている。

 十五は、その開封ずみの封筒の中身を出しながら、話し始めた。

「先日、〈担当編集〉が替わった……。前の担当は仕事のできる奴だったぜ。ポテトチップスの趣味も合うし……〈ホームアローン〉は3が好きってとこも良い。邦楽しか聴かない奴だったが、いつも聴くのが〈ミッシェル・ガン・エレファント〉ってのがサイコーだった……仕事明けでガンガンにかけててもノってきてくれたからな」

「仲が良かったんだな」

「マジいい奴だったんだ。有能だった。有能だったから、出世しちまったんだ」

「女房役と離ればなれってワケか」

「まあ、それはいい。業界の常だ……左遷ならともかく、昇進ってのはめでたいことだぜ。ところが、だ。新しい担当……いや、こいつも悪い奴じゃあない」

「いい奴でもないって?」

「いや、そんなことはないぜ。むしろいい奴だ。礼儀正しくて、気のく奴……ただ、真面目すぎるってところはある。真面目ってのはいいことだぜ。仕事上でマジ大事だ。でもなんでも〈すぎる〉と不都合はある……そうだろ?」

「否定しないよ」

 真面目というのも、方向性の問題だ。

 露伴は仕事に対しては真面目だ。人間としてどれほどひねくれていようと、漫画を描くということについて〈裏切り〉はない。

 結果的に人間をだますことはあっても、漫画を騙すことはしない。

「いいぜ。真面目ケッコー……大歓迎だ。だが、時期が悪いぜ。露伴センセはなんか、書類とかもらってねーのか?」

「ないね。最近編集が持ってきたものと言えば、〈キン肉マン〉のシールくらいじゃあないかな……〈カレクック〉だぜ。知らないとは言わせないぞ」

「スゲーうらやましいな、憧れるよ。でもな、俺の編集は〈つまらないものですが〉なんて言いながら、マジでつまらねーもん出してきた…………まあ見てくれ」

 そう言って、十五は封筒から薄い冊子を取り出した。

 いさぎよいほどに事務的な外見の冊子。もう少し良質な紙の表紙をつけよう、なんて色気も感じやしない、コピー用紙を束ねただけのようなものだった。

 その味気ない紙束の一枚目に、これまた無機質なゴシック体で、でかでかと文字が書いてある。

「……禁止用語リストォ?」

「そう。つまりよォ、漫画とか出版物の中で使っちゃあいけねー単語のリストなんだよ」

「つまらないものもらったなァ〜〜〜〜

「だろォ〜〜〜〜? いや、表紙見るだけでウンザリするぜ。でも中身はもっとだ。ほら」

 そう言って、十五はぺらぺらとページをめくってみせる。

 そこには五〇音順に……出版物ではめったに目にすることのない「規制単語」のたぐいが無機質にちりばめられていた。

 なるほど。ウンザリもするだろう。

 この規制は漫画が〈芸術〉から〈商品〉になるためのルールであり、かせだ。純粋な表現から、売り物へと変えるためのもの。

 それが所狭しと並べられたリストなど、面白いわけもない。わけもないが、無視するわけにもいかない。

「まあ……内容は納得いくものも多いな。目立つのは、いわゆる差別用語ってやつだ……〈商品〉として出版する以上は、ぼくの作品でも避ける表現だな」

「まー、プロだからな」

「だが……なんだ? 納得いくものはあるが……納得いかないやつは、なんだこれ、ちとヒドいんじゃないのォ?」

「だろォ〜〜〜〜〜〜〜〜 〈感電死〉とかよォ、〈高圧線〉とかよォ、なんで禁止されなきゃあならねーんだ? って思うよなァ〜〜。で、なんで? って聞いてみたらよォ、ちょっと前に起きた変死事件への〈配慮〉だっつーんだよ 知るかッ ボゲッ いや言わなかったけどな。俺大人だから、そこは納得したフリしたよ」

「〈地震〉や〈津波〉も駄目か……ちょっと敏感というか、キツすぎるんじゃあないの?」

「だよなァ〜〜〜〜 そりゃ俺たち漫画家は〈絵〉で勝負だよ。でもな、〈話〉がないなら漫画じゃあねー。言葉はぜってー大事だ。さしさわりのない言葉に変えたり、プロットを差し替えたり、ってくらいはできるけどよォ、リアリティがなくなるだろ? こんだけ言葉を絞られたら、ウソくさい話になっちまうよなぁ」

「そうだな……これはさすがにぼくもどうかと思うぜ」

 実際のところ、そのリストは明らかに過剰だった。

 一応、なぜ使ってはいけないのか、という注釈が添えられてはいるが、その内容もてんで納得がいかない。

 いったい、誰の、何の苦情におびえているのか。

 出版社とはここまで臆病なものなのか。

 リストを渡されていない露伴からしても、戸惑いといきどおりを感じずにはいられない。

 いち表現者として、表現を規制されること。それは呼吸を止められるにも近い苦しさがあるに違いない。

 しかし……十五にとって、どうやら主題はそこではないようだった。

「まあ、俺もプロだよ。使うな、と言われれば使わねー。大リーガーだって金もらってる以上はルールの中でやるもんだからな。誰かが言ってたぜ……〈漫画は芸術じゃあなくエンターテインメントだ〉ってな」

「その言葉には、ぼくとしてはいろいろと言いたいこともあるが……」

「まあ、今する話じゃあない」

 それを十五に決めつけられるのには、軽くムカついた露伴だったが、十五は露伴が口を挟む暇もなく話を進めた。そういうテンポ作りがかった。

「露伴先生ならわかってくれると思うが……重要なのは、自分を表現するだけで終わっていいもんじゃあないってーことだ。誰かを楽しませる。人に見せてナンボのしろものだってことだ……そうなると、まず世間に出すためのルールってやつは無視できねー。安易に○○○○とか××××とか──この場で使うのもはばかられるような表現──を出せば、不愉快に思う人間のほうが多いって、俺だってわかる」

「まあな。……〈読んでもらわないと意味がない〉。ノートの中に落書きして喜んでる中学生とかじゃあないんだ。連載が楽しみで雑誌を買ってくれてる読者に届けるには、それで仕事を投げ出すってワケにもいかない」

「だから、いいぜ。ゼンゼン納得いかねーが、それはいい。ルールってんなら……サッカーでいう〈オフサイド〉とかはいまいちピンとこねーが、従うわけだ。だが──」

 十五はぱらぱらとページをめくりなおした。

 わりとページ数の浅い位置。「か」行の単語を探して、す。

 

〈くしゃがら〉

 

 それには……さすがに露伴もめんらった。

「……〈くしゃがら〉?」

「この単語、わかるか?」

 首をかしげた露伴に、十五が問いかけた。

 ──くしゃがら。

 露伴の人生に……いや、人生を懸けて己の頭に蓄積してきた知識、ネタに、このような響きの単語はない。

 まるでオノマトペだ。意味があるとも思えない。

「いいや、さっぱりだな。何かの方言か?」

 みのない言葉すぎて、一種の気色悪さすら覚える。

 一方で、その新鮮な響きに対し、露伴は少なからず興味もいだいた。だから十五に聞いてみたのだが、

「それがよォ〜〜……」

 当の十五もまた、困惑した表情を浮かべていた。

「……わからねぇ。さっぱりだ」

 十五は、いかにも「まいった」というぐさで吐き捨てた。

 溜めたわりにあまり意外な返しでなかったことに、露伴は勝手に落胆したが、とくに態度には出さなかった。

「だろうね。ぼくがわからないものを君が知っているわけもないとは思ったけどな」

「まあ言うとおりだよ、ゼンゼンわからねー。この単語だけ意味が書いてねーし、なぜ使ってはいけないのか、ってとこも空白だ」

「にしても、聞き慣れない響きだ……担当には聞いてみたのか?」

「そりゃあ聞いてみたさ。でも〈使っちゃいけない〉とだけ言うんだぜ。意味わかんねーよなぁ……辞書にもってねーし、ググってもダメだ」 

「お手上げじゃあないか」

「そうなんだよ。……でもよぉ、あのマジメな担当は言うんだぜ。ただ〈使っちゃいけない〉だけなら、意味がわからなくてもいいだろっ……てな」

「態度が悪いなァ〜〜〜〜

「だっろォ〜〜〜〜〜〜〜〜 悪いなんてもんじゃあねえ、ごくあくだぜッ 何のためについてるかわからねーボタンでも〈押すな〉と書いておけば安全だろって理屈らしい。たしかにな、そのとおりだ。注意書きさえしてあればボタンなんか押さねー。善良な一般市民ならな。理屈はわかる」

「だが気に食わない」

「話がわかるゥ〜〜〜〜ッ マジでスムーズッ うちの担当とは大違いだぜ。長年コンビ組んだコメディアンみてーに欲しい言葉をくれるッ

「誰がコメディアンだってェ?」

「ああ、でも露伴先生の言うとおり、気に食わねーんだよッ テメー、使っちゃいけねーならなんで使っちゃいけねーのか説明しろってんだよ

「使わないことは簡単だ……。しかし、〈なぜ〉を知るのは重要だ。〈なぜ〉ダメなのか、〈なぜ〉危険なのか……それを知った上であえて使わないのと、ただ使わないのとでは作品に出る〈厚み〉が違う」

「そうなんだよ、マジ話が早くて助かるぜ露伴センセェ〜〜〜〜……〈ロウを塗った引き戸〉みてーにスムーズだ。そこなんだよ、俺が問題にしてーのは」

「さっきから失礼なんだよッ もう例えるのをやめろ ハッキリ言うけどそういうのヘタクソだぞッ

 ロウを塗った引き戸に例えられたことには、露伴もやっぱりムカッとした。が、十五は露伴の文句が止まらなくなる前に話を続けた。

「許しがたいことだぜ、こいつは……。漫画家の武器は絵だけじゃねー。言葉もだ。生き生きとした台詞せりふ回しは、物語上ぜってーハンパにしちゃあいけねーとこだ。だから気になった単語を〈わからなかった〉ですますわけにはいかねー。〈使わないという使い方をする〉ってことだからな。なんとしても知りてーワケだ」

「まあ……同意してやるよ」

「まーそういうワケでよ……正直、俺は岸辺露伴なら、知ってるんじゃあねーかと思って声をかけたんだ。逆に言えば、あんたが知らねーならたぶん、他の同業者に聞いたところで無駄だろうってな」

「正しい認識だと思うよ。だが……生憎、ぼくもそんなトンチキな単語は聞いたことがない。思い当たるフシもないな」

「……だよなあ」

 十五は、見るからに肩を落としていた。

 それほど期待が大きかったのだろうか。大げさにも見える仕草だった。

「標準語じゃあないのは確かだろうがね」

「違いねえ……近い響きの言葉から推察しようとも思ったぜ。〈そばがら〉とか〈くしゃみ〉とかそういう物の変形かもしれねーって。でも、それならそれで、禁止用語にするのは理屈が合わねー」

「よく使う言葉の変形なら、そもそも禁止されたりしないはずだからな」

「そうだ。使っちゃあいけねーなら、重要なのは〈意味〉だぜ」

「日本語じゃあない、という可能性も考えたが、それならたぶんアルファベットで表記するだろうな。やっぱり方言かもしれないぜ」

「やっぱそうか……方言辞典とか、そういうのを調べてみるのもいいかもな。……〈くしゃがら〉……〈くしゃがら〉……繰り返してみると擬音語のようにも思えるぜ。なんかよー、握り潰すとか、そういう響きっつーの?」

「でなければ端的に、差別用語なのかもしれないな。だとしたら納得だ。禁止用語の中でも、最も配慮しなくちゃあならないところだろうし」

「その線はあるよな。でも、それならそれで意味が知りたいよなぁ〜〜。配慮している相手が誰なのか、それもわからねーっつーのは、マジで納得いかねーもんなぁ〜〜〜〜」

「結局のところ、担当を問い詰めればいいんじゃあないの?」

「それがよ、捕まらねーんだよ。あの担当」

「……なに?」

 ここで、露伴は初めて、ハッキリとした違和感を抱いた。

「いや、電話には出るんだぜ? でも、この単語について聞こうとしてもラチがあかない……出版社に直接行ってもいつもいねーし。ここ最近は顔を合わせて打ち合わせもしてねー。そうこうしてる間に締め切りは迫ってくるんだから、俺もかまってばかりはいられねーし……」

「……ちょっと、おかしいんじゃないか、それ? ぼくなら編集部に担当を替えろ、って怒鳴りこむところだが」

「俺もそう思うんだけどなぁ〜〜〜〜……俺、あんまり担当編集を怒りたくねーんだよ。なんつーか、本が出せるのって自分の力だけじゃあねーじゃん? そういう編集とか流通とか、あるわけだからよォー、なるべく文句言わねーようにしてんのよ、俺って」

「お人よしというか、そこまでいくと少し間抜けだな」

 露伴は鼻で笑い、十五は笑わなかった。

「とにかくよ、気になるんだ。〈くしゃがら〉って言葉が……べつにもう、編集からじゃあなくてもいい。誰か教えてくれればそれでいいんだ」

 まるで泣きごとだ、と露伴は思った。

 いや、実際泣きごとを言っているのだろう。十五のこんきゆうは確かだった。露伴のこれまでの印象では、この男はこれほど弱音をはくような人間ではなかった。

「…………なあ、露伴先生よ。一生のお願いだ……もし〈くしゃがら〉って言葉について、何かわかったら教えてくれねーか。マジで、何でもいい……一生のお願いってやつがマジで一生で一度しか使えねーなら、俺は迷わずここで使うぜ」

「ずいぶん安い〈一生〉だな」

 またも露伴は笑ったが、十五は笑わなかった。

 どうやら、十五は露伴が思った以上に本気なのだ。相手の事情の深刻さなんて、たいして気にする露伴じゃあなかったが……やはり、十五の様子は珍しいものだったから、気にならないと言えば嘘になる。

「……わかった。わかったよ。何か調べてわかったら連絡くらいしてやる……だが頼りきられても困るからな。そもそもぼくには関係のないことなんだ」

「ああ……いや、助かる。それでいいんだ……マジで感謝するぜ」

 そう言うと、十五はいつの間にかからになっていたグラスを置いて、ようやく席を立った。来るのも勝手なら、去るのも勝手な奴だ、と露伴は思った。

「心がスゥ〜〜〜〜ッと楽になったよ。やっぱ誰かに話すって大事なことだよなァ〜〜」

「話されるほうの都合を考えるほうがもっと大事なんじゃあないか」

「まあそう言うなって、露伴先生って相談役に向いてるぜ。いや、マジで。俺は少なくともそう思う

「思うなッ むしろ今後二度と頼ってくるんじゃあないッ

「へへへ……いや、マジで助かったんだぜ。じゃあな」

 そう言って、十五はゆらゆらと肩を揺らす、独特の歩き方で帰っていった。

 ああいう歩き姿を見ると、本当にチンピラでしかない……あんな粗野な仕草で、本当に漫画を描くなんて繊細な作業ができるのか? と露伴は思わずにいられなかったが……言葉の意味なんてものを考えて思い詰める、その繊細さがバランスをとっているのかもしれない。

 そんなことを考えながら……露伴の思考は、少しずつ、その〈くしゃがら〉なる単語のことへと移っていった。

「……〈くしゃがら〉……〈くしゃがら〉ね。なんとも奇妙な響きだ…………気になるのは確かだが、あんなふうに必死になってザマァないねって感じだな。ま、暇があったら調べて、意味がわかったら教えてやって優越感にひたる、ってのも悪くないか……恩に着せれば、もうウザいからみ方してくるな、って言えるかもしれないしな……」

 言いながら、会話で乾いたのどうるおそうと、露伴はアールグレイの満たされたカップをとって口をつけた。

「ウッ

 唇に触れるのは、不快感を伴った〈ぬるさ〉。

 陶磁器製のカップでは、長話の間の保温には耐えられない……かぐわしいフレーバーを漂わせていたアールグレイは、すっかり冷めてしまっていた。

「…………クソッタレめ」

 冷めきったアールグレイを一気に飲み干し、露伴は荒い足取りで帰路についたのだった。

 

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