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約束のネバーランド~ママたちの追想曲~

約束のネバーランド~ママたちの追想曲~

原作:白井カイウ
作画:出水ぽすか
小説:七緒
『約束のネバーランド~ママたちの追想曲~』2019年1月4日発売:脱獄の夜。イザベラは残った子供達を膝元に寝かして”ある歌”を口ずさんでいた。そこへ燃え上がるハウスから一枚の紙切れが舞った。燃えかけたその紙片を見て、彼女は自分がママを目指すきっかけとなった少年のことを想い出す。一方、最後のとき、クローネは飼育監となる道を示されたときのことを想い出していた。11歳のクローネが向かったシスター養成学校で待ち受けていたものは、その後の生き様を決定づけるようなハウスより過酷な”生死を懸けた”環境だった。『GFハウス編』でエマたちの前に立ち塞がった”飼育監(ママ)”の知られざる秘話、ノベライズ第2弾で解禁!!

 

ほしぞらとレスリーのリスト

 

 木立の間から、燃えるハウスが見える。

 炎に照らされた煙が、長く夜空へ伸びていた。暗い森を、そのハウスを包んだ大きな火が、赤々と照らしていた。

 イザベラは、自分のひざに頭を預け眠りについた子供達をでる。さっきまで泣いていた子供達も、今は安らかな寝息を立てていた。

 唇から、かすれた歌声がこぼちる。

 子守歌のように、イザベラはなつかしい歌をずっと口ずさんでいた。炎が建物を焼く音に重なって、優しい歌声が静かに響く。

 ギィ……と大きな音が鳴って、柱の一つが崩れた。

 歌いながらイザベラは、ゆっくりと燃え落ちていくハウスをながめる。

「…………」

 ママとして、エマ達を育て過ごしたハウスの建物は、かつて自分が少女時代を過ごした飼育場プラントと重なった。イザベラは目を伏せる。自分の膝にもたれ、ほおに涙の跡を残したまますやすやと眠る子供達を見下ろした。

 何も知らずに眠る、子供達を。

 イザベラはちらりと、その中にいる短い黒髪をした少年を見た。

(フィルは……)

 きっと、今夜姉達が決行したことを、理解しているのだろう。まだ4つの子が、その胸に何を収めているのかはわからないけれど。イザベラはそのあどけない顔を見つめ続けた。

(私は……)

 この世界の真実を知った時、何を思っただろう。

 イザベラはそれがもう、二十年近く過去であることに静かに驚いた。あの頃は自分も、かつてのエマ達と同じように、何も知らずハウスで暮らしていた少女だった。

 ずっと幸せな孤児院だと思っていた場所は、本当は〝鬼〟の食料となる子供を育てるための飼育場プラントだった。

 毎日のテストは、より高級な〝脳〟を作るため。

 大好きだったママも鬼の仲間食用児のいくかんだった。

 森の向こうへ行ってはいけないのは、自分達を閉じ込めるへいがあるからだ。

 そして里親のもとへ旅立ったと思っていた兄弟はみんな、殺されていた。

 イザベラの脳裏を、その少女の頃にともに遊び、笑い合った兄弟達の顔がよぎっていく。一人一人、名前も顔も、わした言葉もはっきりと覚えている。くつひもが結べないと毎朝ぐずっていた弟、甘えんぼだった妹。

 そして、レスリー。

 イザベラの中で、その名前は今まで口ずさんでいた歌と結びつき、忘れがたく常に胸の中にあった。

「……レスリー」

 歌っていた時の声と同じ、かすかな音量で、イザベラは夜のやみの中に、その名前を呼ぶ。

 さっき、塀の上で浮かび上がった思い出が、壊れた映写機のように何度も頭の中をめぐっていく。イザベラは苦笑を落とした。

(きっと今まで、ずっと振り返らずにいたせいね……)

 封じ込めてきた過去が、二十年の時をあふる。

 あの夜、晴れやかな笑顔でレスリーを見送り、そして全部手遅れになってから、イザベラはハウスの真実を知った。

「…………」

 かつて塀の上に立った時の絶望は、今でもよく覚えている。

 今夜のように寒く、あの日は空から雪が舞っていた。ひらひらと落ちてくる白い雪片を透かして、塀の外側には真っ暗ならくが広がっていた。

 少女のイザベラには、目の前の光景の意味がわからなかった。(何、これ……)塀の向こうには、レスリーが暮らしている外の世界があるはずだったのに。

『イザベラ……』

 せいじやくの中、響いた声にイザベラはぼうぜんと振り返る。塀の下から呼びかけたママは、笑っていた。

 そして、この世界の真実を告げられた。

 自分達は、食べられるために育てられていた、食用児。

 外に人の世界はない。

 里親のもとへ旅立った彼はもう、死んでいるのだと──。

 その時からずっと、一人の少女の身の内を絶望と怒りが吹き荒れ続けた。イザベラはママを、そして農園の支配者達を憎んだ。必ずから脱獄してやる。そう誓った。

 だがかしこい少女は、激情に揺さぶられながらも、どんな手段を用いてもここから脱獄するのは不可能であることが理解できてしまった。

 12歳のイザベラは、飼育監としての道を選んだ。

(けれど……)

 イザベラはまぶしそうに、やみにはためくロープを、その先にいるはずの少女達の姿に思いをせる。

 エマ達は今、塀の向こうへ降り立った。

 この閉ざされた世界の、〝外〟へ出た。

 自分があの日あきらめた、脱獄を果たしたのだ。

 冬のてついた空気が、イザベラの頬を撫でる。その表情に、飼育監ママとしてエマ達を追っていた時のけわしさはなかった。おだやかな母親のみだった。

 煙のにおいが風に乗って運ばれてくる。灰が子供にかからないよう、イザベラは毛布を引き寄せた。

 ふいに強い風が吹き、燃え残った紙片が雪のように舞ってきた。その一枚が、イザベラのすぐ手元へ落ちた。

 ふちげたそれを、イザベラはなにげなく手に取った。

「あ……」

 そこに並んだ懐かしい文字に、イザベラは大きく目を見開いた。こみあげてくる思いは、さっきまで口ずさんでいた歌と重なり合った。どうして今、と思った。ずっとこの〝手帳〟は開けないでいたのに。

「レスリー……」

 祈るように、その名を口にする。

 そこに書かれていたのは、あるリストだった──。

 

1

 

 ハウスの屋根を、うららかな日差しが照らす。小さな子供達の楽しげな声が、庭のあちこちで上がっていた。

 庭から少し離れた場所、丘の上にある一本の木の下で、少年が歌を口ずさんでいる。

 さらさらの髪に色素の薄い瞳をした、そばかす顔の少年だ。手元に寄ってきたちようにだけ聞こえるくらい、ひかえめな声で優しいメロディーをつむいでいた。

れいせんりつね」

 突然頭上の枝から声をかけられて、歌を歌っていた少年───レスリーは飛び上がった。

「イザベラ

 高い枝から、イザベラと呼ばれた少女はかろやかに飛び下りた。後ろで一つに編んだ三つ編みが、その動きに合わせてねる。

「木登りしてたら、素敵な歌が聴こえたからつい……」

 ごめんなさい、と笑顔を向けるイザベラに、レスリーはまだドキドキしている心臓を押さえた。

「びっくりしたぁ……」

 イザベラは膝を抱いてレスリーの隣に腰を下ろした。

「ねぇ、なんて歌?」

 イザベラに尋ねられて、レスリーは一瞬口ごもる。黙っていようかと思ったが、イザベラが歌に興味を持ってくれたのがうれしく、小さな声で答えた。

「名前は……ないんだ。つけてないんだ」

 そのセリフの意味を、イザベラは即座にんだ。驚いて身を乗り出す。

「レスリーがつくったの

「うん……」

 名前をつけていない歌、というのはつまり、自分で作曲した歌、ということだ。驚くイザベラに対して、レスリーは思いがけない反応にまどって返事をする。

 イザベラはくつたくなく言った。

「すごいなぁ」

 黒い瞳を丸くして、イザベラはレスリーを見つめる。素直にそう思っていた。自分にできないことができる人はすごい。イザベラはにっこりと笑いかけた。

「もっと聴かせて

「えっ」

 そんなふうに言われるとは思わなかったレスリーはまばたきし、イザベラを見返す。隣でイザベラは、レスリーが歌ってくれるのを待っている。

「……うん」

 初めてできた観客に、レスリーはくすぐったい気持ちになる。

「でも恥ずかしいからみんなには内緒ね」

 そう言って人差し指を立てたレスリーに、イザベラは笑みを浮かべてうなずき返した。

 内緒話をするような小さな声で、レスリーは歌い始める。

 震えるような微かな声は、やがて澄んだ歌声に変わった。

 イザベラは膝をかかえて、隣で歌う少年を見つめた。

 いつも自信なさそうにうつむいていることが多いレスリーだったが、歌っている時は──音楽にかかわっている時は、心から楽しそうに目を輝かせている。それを隣で見ながら、イザベラはレスリーに合わせて自分もその歌を口ずさんだ。

 すぐにフレーズを覚えてしまったイザベラに、レスリーはちょっと驚いた視線を向けたが、声を止めることなく一緒に歌い続けた。イザベラは深呼吸するように、のびやかなメロディーをかえす。

(綺麗な歌……)

 二人分の歌声が風に乗って丘を流れていった。

 それから何度も、イザベラはレスリーとその歌を歌った。

 一緒に過ごす時間は心地良く、楽しかった。

 他の子達と、走り回ったりチェスをしたりして遊ぶのもイザベラは好きだったが、レスリーといる時間はそれとは違った居心地の良さだった。一緒にいるといやされた。

 レスリーのまとう優しい空気は、彼の作った歌そのものだった。

 そう言ってめても、レスリーは困ったように笑って、目を伏せてしまう。

「……僕なんて、全然だめだよ」

 イザベラは不思議だった。

 自分で曲も作れるし、歌だってじようずで、バイオリンもける。それなのにレスリーはいつも自信なさそうにして、イザベラの方がすごいよと笑うのだ。

 レスリーから見れば、イザベラは何でも人並み以上にこなせてしまう、かんぺきな女の子だった。

 頭も良くてテストではいつも満点フルスコア、運動神経も抜群で足も速くて、みんなの人気者だ。弟妹達にもしたわれているし、兄姉達からもいちもく置かれていた。

 そんなイザベラに比べれば、自分は苦手なことばかりのえないやつだとレスリーは思っていた。勉強もできないし、鬼ごっこをすればすぐ捕まってしまう。くちで、まわりを明るくさせることもできなければ、周りから尊敬されるようなこともない。

 音楽は好きだったけれど、レスリーの中でそれは誰かに誇れるようなものに分類されていなかった。勉強や運動ができたらかっこいいけれど、音楽が得意でもそれだけだ。レスリーはそんなふうに思っていた。

 だから他のことで、イザベラより何か一つでもくできるようになりたかった。

 変わりたい、とずっと願っていた。

 そのための『目標』を書き始めたのは、もう気づけばずいぶん前のことになってしまっていた。

 

 

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