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 少し誤解を招く説明の仕方だったかとスージーは後悔したが、もう遅かった。リコは思い出したように汚れた調理台へと駆けて行く。

『一人でできましたか?』

「うん」

『食べる前の挨拶は?』

「忘れなかった……けど、目玉入れるの忘れちゃった」

『目玉を? でも、そこに――』

「だからさっき入れたよ!」

 するとそれは、生のままではないのですか? と止めかけて、スージーは言葉を飲みこむ。生食できないものではないし、悪影響を与える細菌もこの空間には存在していない。何よりもリコから流れてくる喜の感情が、その食事に水を差すことを止めたのだ。リコがスージーに頼らずに、一人で作り上げた料理。それを誇らしく思っているのは、果たしてどちらの方なのだろうか。

「お手紙……」

 しばらく夢中でスプーンを動かしていたリコが、思い出したように呟いた。スージーの黒い体表が揺らぐ。もしスージーの感情をリコが受け取ることができていたならば、その動揺の理由を問いただされただろう。スージーは答えない。ただ慎重に、リコの次の言葉を待っていた。

「今日はお手紙、ある?」

 目の役割を果たしている赤い粒子の集まりを伏せて、スージーは考えた。この三日ほど、何かと嘘を吐いてごまかしてきたが、これ以上リコの落胆する姿を見るのが忍びない。言葉を吟味して、ゆっくりと口を開く。何かを悟ったのか、リコも食事の手を止めてスージーの声を待っていた。

『……手紙は、もう来ません。謝らなければいけませんね。私は、リコに隠しごとをしていました』

「あやまるの?」

『申し訳ございません』

 スージーがリコに対して謝罪の言葉を発したのは、十年足らずの付き合いの中でいったい何度目であろうか。もしかするとこれが初めてのことかもしれない。失敗という揺らぎもなく、リコの感情や考えを読み取ることのできるスージーが相手の機嫌を損ねることなど、論理的にはないに等しいのだ。

『リコ。聞いてください。あなたと手紙のやり取りをしていたマフェットさんは、亡くなったのです。三日ほど前に、ご自宅の風呂場で息を引き取られたと。ご遺体はすでに本部の者が預かったと、最初に異変に気づいた方から聞いたのですが……。』

 リコは薄い茶色の目を丸くして聞き入っている。話の内容をどこまで理解しているのだろうか。まず死というものの概念から教えなければいけないかもしれない。失ったものは戻って来ず、この世にはもう――そう口にしかけて、スージーの方が激しい痛みを覚えてしまった。今年で十歳になるリコよりも五、六歳年上の少女の笑顔が浮かぶ。色とりどりの花に囲まれた家のたった一人の住人で、どこか寂しそうな顔をした娘だった。

「死んだの?」

『……そうです』

「どうして?」

『わかりません。その話をしてくださった方も、何も知らないと言っていました。気になるのなら、何とか調べることはできそうですが……』

 視線を泳がせて呆然としているリコを見て、スージーは口をつぐんだ。スージーが思っている以上に、リコは事態を正しく理解しているらしい。困惑と、形容できない恐怖と、おそらくは本人も自覚できていない悲しみが入り混じっている。

『リコ』

 リコはただ立ち尽くしている。焦げ臭いシチューは冷めかけていた。

『すみません。食事が終わってから、落ち着いて伝えるべき話でしたね。気にするなと言っても無理な話でしょうが……食べてください。せっかくあなたが自分で作った料理です。お願いですから』

 リコは何も言わなかった。何を言うこともなく、大人しく席に戻って行った。もう一度黙って手を合わせるその姿を見守りながら、スージーは珍しく後悔に似た感情に苛まれる。濁った雨を表面に流し続ける温室の中で、木と陶器の触れ合う音だけがしばらく続いた。


 錆とコンクリートの島の夜は、いっそう暗い。天気の変わりやすい日だった。昼間のぬるい雨は止んで、濃い黒の夜空には針で穴を空けたような星々が明かりを漏らしている。天井が全てガラス張りになっているこの温室は天然のプラネタリウムだ。調理台のすぐ近くに置かれた木の箱。その中にふっくらとした布団を敷いて、リコは目を閉じることもなく横になっていた。眠る気配がない。スージーもまた寝物語を話すこともなく、羽を閉じて傍らで待機している。柵の中の獣だけがすべての目を閉じて眠っていた。

 【……私は本を読むことが好きです。色々な建物や、景色を見ることが好きなので、アラクニドに頼んで本部の人から本を買って来てもらいます。私はとても不器用なので、とても下手なのですが、それでもその写真を見て絵を描くことが大好きです。今度、私が描いた絵を見てください………】

 かつてリコが唯一見せてくれたマフェットからの手紙。それを思い出したのはリコなのか、それともスージー自身であったのか。その約束は、おそらく果たされなかったのだろう。最近のリコは、マフェットからの手紙を見て、ただ首を傾げるばかりであったのだ。

「スージー」

 自分自身の思案に気を取られていたスージーは、思いがけず声を掛けられて驚いた。リコは仰向けになって行儀よく布団をかぶり、目の前に広がる星空を見ている。

「私も、死んじゃうの?」

『リコ……』

 死という概念そのものに対する恐怖や疑問を問いかけられたのかと思ったが、そうではないらしい。スージーの受け取るリコの感情は、心底不思議がっている。リコは老化による死にも、事故による死にも、触れたことがないのだ。言葉とその意味は知っていても、それがなぜ起きるのか、どのようなものなのかは、想像がつきにくいのだろう。

『リコはまだまだ死にませんよ。私がちゃんと健康を管理しています』

「健康じゃなくなると死ぬの?」

『病気にかかって、それが治らなければ死ぬこともありますね』

「マフェットは病気だったの?」

『私が知る限りでは、そうではありませんでした。ですが、突然の発作に襲われることもありますし……一概には……』

 そこまで言って、スージーは考える。確かに自分の知る限り、マフェットは病気などしていなかった。管理も行き届いていたはずだ。心臓発作ではないかとの推測も聞いたが、あの若さで、疾病もなく、何の前触れもないままに発作を起こすものなのだろうか?

「殺されると死ぬの……?」

『リコ?』

 空気が変わる。星明りの照らす中で、リコは上半身だけを起こしていた。頬のあたりではねている猫毛。いつもは可愛らしく見える瞳が、やけによそよそしく見えた。

『どうしたのです? 殺される、とは?』

「待ってね」

「これ」

 一番上の引き出しから空色の便箋を取り出し、リコは地にとまるスージーに差し出した。羽の先端を五本指のついた人間の腕に変え、スージーはその手紙を受け取る。リコが棚の上の灯りをつけてくれた。虫の羽音のような音が低く響く。

『読んでもいいのですか?』

 丸い顎を沈めて、リコは頷いた。さらさらと黒い粒子を組み替え、スージーはもう片方の翼も人間の腕に組み替えていく。先端から形作られてゆく骨格。一寸の狂いもなく描き出される立体の腕。何度も見ているはずのその変化を、リコは相変わらず輝く目で見守っていた。

『……【親愛なるリコ……言いたいことがたくさんあるのですが、筆を取るといつも忘れてしまいます】…………』

 しばらく声を出してその手紙を読み上げていたスージーの、そのガラス質の目に狼狽が走る。リコは首を傾げてスージーの反応を見守っていた。リコにとっては不思議だっただろう。その言葉の意味が理解できなかっただろう。ただ不可解な印象を残し……今回の知らせが彼女にこの一行を思い出させ……。

【リコ。このことは誰にも言わないでください。私は殺されるかもしれません。でも、それを止める方法が、私には分からないのです……】

 スージーの回路に、かつて感じたことのない動揺が走る。

 いつの間にか寝台に戻っていたリコは、布団に潜り込んでただスージーの姿を見守っていた。

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