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 主人を失った家は、その瞬間に死ぬものなのかもしれない。マフェットを失って五日と経っていないはずの屋内は独特の暗さに満ちていた。籠った空気の臭い。沈黙の部屋。人型を取ったスージーは、リコを先導するように階段を上ってゆく。物音はしない。アラクニドがどこに潜んでいるか、まだ見当はつかない。軋む木の音だけが響いていた。スージーを追うリコもまた、緊張した様子であたりを見回している。

『これは……』

 階段を上りきった先に、短い廊下があった。突き当りの小さな窓は開け放たれて、レースのカーテンが風を受けて丸く膨らんでいる。両側に並ぶ二つの扉。右手のドアだけが、二人を迎え入れるように開け放たれていた。

『マフェットの部屋でしょうか』

 最後の一段を上がりきるリコを振り返り、スージーはその姿に声をかける。手すりに片手を預けたまま、リコが返した。

「アラクニド、いるかなあ」

『……わかりません。物音もしない』

 どこからやって来たのか、小さな蠅が二人の目の前を飛んでゆく。磨かれた床を踏みしめて、スージーは部屋の中へと足を踏み入れた。リコの足音がゆっくりとそれを追う。

「うわあ」

 壁一面に貼られた、絵の数々。窓から見た景色なのだろうか、同じ風景が季節ごとの色合いを見せて紙の中に収まっている。日に焼け、色あせた古い絵と、乾きたてのような鮮やかさを残している新しい絵。その筆の跡には明らかな上達があった。緻密に描き込まれた葉の一枚一枚にも妥協は見られない。

「上手だねえ」

『独学なのでしょうが、素晴らしい技術です。ですが、なぜ――』

 人目に晒されることのない絵に対し、マフェットはなぜここまでの執念を燃やしていたのだろうか。所々に絵の具を擦った後の残る机。椅子のクッションのへこみが、容赦なく主人の不在を告げている。長短さまざまな鉛筆。黄色いバケツから顔を出している筆。色素の沈着した白いパレット。無造作に立てられた何冊ものスケッチブックと、妙に存在感のあるインクの壺。机の上はきれいに整えられていた。生物図鑑や画集の並ぶ背の低い本棚。その一部は飾り棚になっていて、蝶の標本が立てかけられている。はじめて見る物の珍しさに目的を忘れたのか、リコは夢中になってその標本を見つめている。異常だった。外の世界においては珍しくもない子供の部屋が、スージーには奇妙に見えたのだ。

『マフェットは……外の世界に興味があったのでしたね』

「そとのせかい?」

『マフェットの手紙にはわからない言葉がよく出て来ると、以前私に教えてくれましたね、リコ。それはおそらく虫の名前や、花の名前、絵の道具などの固有名詞ではなかったのでしょうか。マフェットは世界の様々なものに興味があった。「温室」の中で、この島の中での生活では出会えない生き物や植物。彼らに興味があったから絵を描きはじめたのか……描きはじめてから興味を持ったのか……それはわかりません。とにかく、マフェットは知りたがっていた。この世界の様々な生き物や植物を。だがこの島から出られない彼女は、取り寄せた図鑑や画集、この場で育てられる虫などを観察するしかなく……』

『マフェットは画家になりたがっていたんだ。私だって、初めは驚いたよ。職業というものを彼女の口から聞く日が来るとは思ってもいなかった』

 乾いた声に、リコとスージーは風の通る入口を振り返る。尖った足が床を這う音。アラクニドだった。

「がか? って何?」

 アラクニドに問いかけるリコを守るように、スージーは身を翻して鳥の形になる。蜘蛛の形をした機体を睨みつけるが、当のアラクニドには覇気がない。その体色と同じように、真っ白で空っぽの表情をしている。ジルの家で会った時とはまったくの別物だ。命令を与えてくれる主人を失ったパートナーは、こんなにも小さく見えるものなのだろうか。

『絵を描いて、それを人に買ってもらって生活していく仕事さ。……すまない。私のこの説明ではわからないだろうな。マフェットだってそうだった。外の世界の仕組みなど、知らないはずだったのに。私も教えてこなかったはずなのに。本に書かれていた断片的な情報から、色々なことを学んだのだろうか。子供というものは……ときに私たちの想像を超えている』

『マフェットはそれほどまでに、外の世界に憧れを?』

『机の引き出しを開けてみな。右の、奥の方だ。青い封筒があるだろう』

 アラクニドの言葉に、リコは一度スージーの顔を見上げる。戸惑ったスージーが動く前に、小さな手が滑りの良い木の箱を引いた。インクの染みが残る底。その奥に、一通の手紙があった。

『マフェットから君宛ての、最後の手紙だ……私も内容は知らない。リコがここに来ることがあったら、読ませてほしいと頼まれたものだからな。できれば、今ここで、読み上げて欲しい』

 横長の封筒を両手で支えて、リコはもう一度スージーの顔を見た。その目に黙って頷き返して、スージーは正面に向き直る。アラクニドの三つの目は何も見ていなかった。緑の目が、部屋の景色を歪めて映し出している。

「……しんあいなるリコ」

 たどたどしい声。綴りの長い単語に詰まりながらも、リコはマフェットの手紙を読み上げていく。

「あなたには、お礼を言いたいきもちでいっぱいです。どうしようもなく気分がおちこんだとき、あなたの手紙をよむとあんしんしました。私の手紙をうれしいと言ってくれるあなたがすくいになりました。あなたに手紙を書くことだけが、私のじゅんすいなただひとつの楽しみだったのです。いつからでしょうか。絵を描くことがたのしくなくなったのは。たのしくない、というよりは……むな、むなしいと、そういったほうがいいのかもしれません。あなたはこの島のそとの……せかいを……考えたことがありますか? みんなそれぞれ、自分の……やくわり? をはたして、生きています。必ず、何かが何かの『ため』に生きているのです。では、私はいったい、何なのでしょうか。私はここにいて、毎日絵を描き、ただものを食べて、寝るのです。きっと、死ぬまでこの……せいかつを続けてゆきます……。人生は……いちどきりだから、……つらいこととか、悲しいことなんてないほうがいいから、ここにいるのは幸せだ、と、そう……おしえられてきました。では、その一度きりの人生、を、だれの……役にも立たないで? 生きている私は何なのでしょうか。ある日ふと、私はそのことがやけに気になりはじめたのです。大好きなはずの絵を描いていても、おいしいご飯を食べているときも、ずっとそのことが……はなれないのです。何のために生きているのだろうか……誰のためにもならずに、このまま死んで? 私の……じんせい、とは、何なのでしょうか。それがいやで、私は………画家? になりたいと、そうマフェットに言ったのです。マフェットは悲しそうに、それはできないと言いました。この島にいて、外の……せかいと………関わることは、できないのです。それでは……『安心』が……くずれることになってしまうのです。考えても、考えても、わからなくなりました。私が何のために生きているのか、わからなくなりました。そうしてある日ふと思ったのです。……死にたい、と」

 風が窓を叩く。スージーの中に、言い表しようのない衝撃が走った。胸に黒いものが広がる。アラクニドは動かなかった。ただ身を縮めて、リコの言葉に聞き入っていた。

「死にたい、という私のなかの言葉を聞いて、アラクニドの目に見たことのない……光がやど、やどりました。その……思いが私の中で大きくなるに、つれて、私はきっと彼に殺されるに……ちがいないと、そう思いはじめたのです。だってそうでしょう? アラクニドはいつも、私の一番の願いをかなえてくれたのですから。きっと……」

『ありえない』

 思うより先に言葉を吐いていた。抑えきれない衝動に全身を震わせ、スージーは首を振る。

『アラクニド、お前はマフェットが悩んでいたことを知りながら、それを看過していたのか。彼女が死に至る病に罹っていることを知りながら、それを見逃したのか。何もしなかったのか。それともお前が彼女を? なぜ止めなかった。なぜ止めなかった!!』

『私の話は後だ。リコ、最後まで読んでくれ』

 語気を荒くするスージーに驚いて言葉を止めていたリコは、ひとつ頷いてから再び手紙に目を落とす。スージーの粒子の震える音が強弱を持って響く。

「……きっと、その願いも……かなえてくれると、思ったのです。だから、少しだけ……こわくなって、あなたへの手紙に、書いてしまいました。やっぱり……死にたくないと、そう思っても、アラクニドは、まじめ? な子ですから、私の願いを忘れず、それをかなえるために、私をいつか殺すだろうと、私はそう思っていたのです。けれど、死にたいという私の、思いは、変わりませんでした。トムが来て……あいさつをしてくれても、絵を描いても、図鑑を見ても、何も楽しくないのです。何も……意味なんてないのだから、楽しくないのです。『そもそも、人生に……意味はないから、楽しめばいい』という言葉を聞くほど、私はもっともっと楽しくなくなっていったのです。意味がないなら、なぜ生きているのか。私にはその意味すら自分で……追いかけることすらできないのです。だから、死のうと、そう思いました。あなたがこの手紙を読んでくれるかどうか、それはわかりません。あなたが私は……死んだということを聞いてどう思ってくれるか、わかりません。でも、ひとつ。私の言葉が……とどいているなら。リコ、あなたは生きてください。あなたは、私に元気をくれました。あなたはとてもいい子です。生きているだけで、誰かをしあわせにします。それがあなたの生きる……意味です。私と同じように、つらくなったら、このことを思いだしてください。あなたがそれで……生きようと思ってくれるなら、それが私の生きた……意味なのです」

 リコは言葉を止めた。三つ折りの便箋と、薄い封筒を握りしめて、しばらく何も言わなかった。

「……これでおわり」

 絞り出された、リコ自身の言葉。拙く読み上げたその文章を、リコ自身はどこまで理解しているのだろうか。わからない、という思いと、わからないことに対する不安が胸の内で渦巻いている。だがその中に混じる、白い光のような「快」の感情は何なのだろう。少し冷静になって、スージーはアラクニドを見据える。アラクニドはますます存在感を失って、奇妙に風景に溶けこんでいる。駆動音も感じさせない。

『……アラクニド。やはり、私はあなたを許すことはできない。彼女が、マフェットが落ちこんでいることを知って、なぜその対策をしなかったのです? 死にたいと主人が思ったから殺すなど。どんな理由があれ、人間を傷つけてはいけない。そんな単純な禁忌すらわからない機体ではないでしょう?』

『お前は主人の幸せを考えたことがあるのか。何が本当に主人のためになるのか、考えたことがあるのか』

『何を幸福と思うかは人それぞれ、でしょう? だがお前のやったことは間違っている。どんな人間だって、死にたいと思いながらも、心のどこかでは生きたいと思っているはずだ!』

『では、お前には私の気持ちがわかるのか。最高の幸せを与えてきたはずの主人に死にたいと思わせてしまった私の気持ちがわかるのか』

「アラクニド……ないてるの?」

 手紙を握りしめたままのリコが、そう呟いた。アラクニドの緑の目には、何の変化も見られない。

『……アラクニドは泣きませんよ、リコ。私だってそうです。私たちは涙を持っていないのです』

「でも、泣いてるよ。涙は落ちてないけど、アラクニド泣いてるよ。リコはわかるよ」

 アラクニドは全身を震わせる。

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