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「……きみ、音痴だね」
 高田馬場から乗ってきたその山田君は、しれっとそう言い放った。
「すみません……」
「もう、びっくりしたんだから。山手線のドア開いたら一人でカエルの歌を歌ってる人がいて、それはいいとして、すごい音痴なんだもん。思わず輪唱しちゃったよ」
「す、すみません……」
 スーツ姿の女の人が、席に座ったまま私たちを上目づかいに凝視している。その隣のサラリーマン風の男性も、同様だ。その顔はどちらも、一つの車両に二人も変質者がいることを憂いている。
 私も、山田くんをまじまじと眺めた。
 赤と黒が絶妙にまばらに混ざった髪をざっくりとワックスで形付けている。さらりとした黒いカットソーにGパンというシンプルな出で立ちが、かえっていまどきの若者っぽい。そう、いまどきの男子だ。カットしたてのメロンのようにするりと通った鼻梁、アーモンドみたいなくっきりした形の目淵に、巨峰のような黒目がはまっている。シャープ過ぎない細身の輪郭は、上等のヘーゼルナッツを想起させる。食べ物のたとえばかりなのは私のおなかが減っているからではなく、顔だちが華やかで人工的なお菓子のような印象だからだ。他人と話す機会がないとか、電動シェーバーの登場で時間を持て余すようになってしまったとか、そんな悩みとは全く無縁そうな人種。
「あの、今日は風邪ではなかったのですか」
「うん、風邪風邪。でもなんかもう治っちゃった」
「私、今日山田君の代わりに招集されて掃除を」
「山田君って呼ぶな!」
 突然はんにゃのような剣幕になった。急に怒鳴られて、肩がびくりと震える。
「下の名前で。ルクルって呼んで」
 そういえばそんなキラキラした名前だっけ。最近の日本人はおしゃれな名前をつけられてるものだと初めて聞いたときには感心したものだった。
「で、あんたの名前は?」
「……同じクラスなのに、覚えてないんですか」
 こっちはお前のためにニワトリ小屋の掃除までしたっていうのに。
「覚えてるわけないじゃん、話したこともないし。あんたいつも一心不乱に腕の毛抜いてるんだもん。みんな毛抜きババアって呼んでるから、本名知らないと思うよ」
 そんなふうに呼ばれてたのか。いや、でも、あのころはそれでも幸せだった。
「で、でも、私の名前なんて、ほんと、古いんで、ルクルなんてそんな横文字のかっこいい名前のあとに名乗れないっていうか」
「名前に貴賤なんてないよ」
「あの、でもほんとうに、ウルトラださいので」
「どうせノブコとか、そういう名前でしょ」
「なんで分かったんですかっ!?」
 ノブコ。”子”がつく名前の中でも最下層のダサさだ。同じランクにはヤスコくらいしかいない。
 いや、自分では気に入っているんだ。信じる子と書いて信子。素直にすくすく育ってほしいという親の願いが率直に込められている。でも、そうは言っても、いかんせん字面がひどい。渋野信子――ルクルと比べたら、あまりに茶色っぽい名前だ。
「次はー、しぶやー、しぶやー」
 自分の名前が呼ばれた気がして、はっと顔をあげる。電車が渋谷駅のホームに滑り込むところだった。
「ほら、降りるよ」
 平然と言い放ち、ルクルが私の腕をとる。
「え、」
「渋谷、買い物付き合ってくれるんでしょ」
「ええー」
 知らない、断じて知らない。
「そんなこと言われても、私、渋谷なんか行ったことないし、攻撃的な人いっぱいいるんでしょどうせ。みんなスタバでなんとかペペロンチーノみたいな名前のおしゃれなコーヒー飲んでて」
 わたわたしている私の腕を強引に掴んでルクルはずんずん進み、私はいつのまにかホームに降りていた。はかったように、背後で電車のドアが閉まる。
「ちょっと、私行くなんて言ってないです。まだ降りる駅じゃないし」
「大丈夫、渋谷は安全な街だから。ほら、行くよ」
「いやだって言ったらどうするんですか?」
「口説き落とす」
「そんな簡単にいかないですよ、こう見えて私、」
 瞬間、目の前で火花が散った。

 遠巻きに喧騒が聞こえる。ぼんやりとした頭のまま薄目を開けると、目の前にルクルの顔があった。
「ぬあっ!?」
「あ、起きた」
「……」
 ルクルの背後に、改札が見える。どうやら私は、駅を出てすぐのロータリーに座り込んでいるらしい。
 私はすべてを察した。コイツ、私の顔面を殴ったのだ。定かではないけれど、多分グーで。そうして気絶したところを、恐らくかつがれて改札を抜けているのだ。
 なんてことだろう。これは、犯罪だ。法治国家にあるまじき、かつてない侵略が行われている。
 犯罪者のクラスメイトは素知らぬ顔で、私の頬にてのひらをあて、2、3度ぺちぺちと叩いた。
「うん、意識は戻ってるね。さあ行こう」
「行こう、じゃないですよね」
「ん、あれ何、機嫌悪いの? 感じ悪いなー」
「感じも機嫌も悪くて当たり前でしょう! どうして買い物断っただけで殴られなきゃいけないんです!?」
「そんな大げさな、鼻血も出てないのに」
「鼻血は出てなくても意識を失った、ん、ですよ!?」
 まざまざと記憶が蘇ってきた。嫁入り前の女の子の顔面に、グーで、グーでパンチするなんて。
「うるさいなあ、きみが買い物行かないとか言うからだよ。大体、口説いていいって言ったじゃん」
「口で説かないうちに手が出てましたけど!?」
 なんて理不尽なクソ野郎だろう。目の前のルクルは、私が怒るたび、心から不思議そうにしている。わざと話の分からない人間を演じて自分の主張を通そうとしているわけではない。本当に、心から悪びれずにやっているのだ。豪胆なのかなんなのか。
「僕が買うのを見てるだけなんだからいいじゃん。どうせヒマでしょ?」
「ヒマ、ですけど、でも」
「あのさー、その年で渋谷怖いって、内的志向にもほどがあるよ。来たことないからでしょ? 今、渋谷にいるけど全然平気じゃん。家族連れもサラリーマンも学生もいるし、ただの街でしょ? でも、僕が腕を引かなかったら、絶対にこの街に来ることはなかった。渋谷に来ないまま、一生を終えてたかも。きみには、踏み出せない一歩が多すぎるよ。それでどれだけ自分の世界を狭めてるかわかってる?」
 すたんすたんすたん、と、小気味良い音を立ててルクルの言葉の矢が私の心の弱いところを射ていく。淀みなくすらすらと出てくる言葉は、ひとつひとつが妙な説得力を持って私に絡みついてくる。
「……でも」でも、私には「トラウマがあって」
「トラウマ?」
 私は、私とシェーバーにまつわるあれこれをかいつまんで話した。思い出すのもつらい出来事、言葉にのせるだけで舌が震え、絶望に身体が震える。私の身の上に起きた惨劇を他人に改めて説明するのは、癒えない心の傷を自分でめったざしにするような行為だった。
「……そうして初めてシェーバーを肌に滑らせたときは、心が震えました。それは、絶望です。今までの私の労働を全て否定された瞬間だったんです。それ以来、流れる時間のすべてが無気力に感じられるようになって、それが今もずっと続いてるんです」
「ふーん、そんなことがあったんだ。で、トラウマはいつ出てくんの?」
 再び、ひっくりカエりそうになった。
「い、今、私が一生懸命打ち明けていたのが、まさにそのトラウマそのものなんですけど」
「シェーバーがどうのってくだり? よく分かんないけど、シェーバー捨てて、もっかい手作業で脱毛すればいいんじゃないの?」
「そういう問題じゃないんです! シェーバーがあるのに手作業で抜くなんて、手段が目的になってるじゃないですか! そんなの、健全な文化的営みとは呼べません!」
「まあなんでもいいけど、行くよホラ」
「ちょっと、あの」
「ちょっと怖い世界とか、知らない世界に自分を連れて行ってくれる一番の案内人って友達なんだよね。ほどよい他人だから。でも、君、多分友達いないでしょ? いたら電車の中でカエルの歌なんか歌わないよね。きみが車内で歌いだしたことがどういう感情の発露だったのか知らないし興味もないけど、ふつうさ、そんなふうに溢れ出しちゃう前に誰かしらに相談ないしぶつけたりするもんだよ。それができないってことは、本当に友達も何もいなくて、今まで自分の頭の中だけで人生が成立してたってことだよね。君はさ、他人と時間を過ごすってことをもっとしたほうがいいと思うよ。社会勉強だと思ってさ。僕はそれに付き合ってあげようって言うんだから、感謝してもらってもいいくらいだ」
 一息にまくしたて、ルクルは私の腕をぐいと引っ張って歩きだした。反論したいことがあるような気はするのだが、思い浮かびそうなところまで脳髄をあがってはくるのだが、ルクルの言葉にかきまわされて曖昧なまま再び沈んで行ってしまう。結果、ぐうの音も出ない私。
「さあ、行こう。てかその前に、鼻血拭いて」
「やっぱ出てんじゃないですかっ!?」


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