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封神演義 導なき道へ

封神演義 導なき道へ

原作:藤崎竜
著者:吉上 亮
女媧との戦いの後。人界も仙界も大いなる導から解き放たれ、定まりきらない未来へ歩み出している。 そんな中、最強の道士・申公豹は一人神界を訪れる。神界に居る、大戦で命を落とした魂魄たちに聞かなくてはならないことがあるというのだが......。

プロローグ

 

「あなたじきじきの誘いとは珍しいこともあるものですね、──教主どの」

 しんこうひようは供された茶に口をつけた。

 清涼な空気に相応ふさわしい、きよらかな味がした。

 茶の席だった。

 場所はほうらいとう

 新たに仙界として整備された人間界とは異なる位相に存在する土地である。

めてくれよ。その呼び方は」

 申公豹のからかうような口調に、茶席を共にする相手が苦い顔をした。申公豹を茶の席に招いた教主そのひとである。

「では、何と?」

「今まで通り、──ようぜんと」

 あおく流れる長い髪に、秀麗な顔立ちの美丈夫だった。

 名を楊戩。

 いまや仙界をべる立場となった若き天才道士である。

 そんな相手に招かれてなお、申公豹は悠然とした態度を崩さない。

 当然である。申公豹もまた仙界に名をとどろかす道士だった。

 最強の宝貝パオペエらいこうべん〉を有し、最強の霊獣〈こくてん〉を使役する最強の道士──言葉にすれば陳腐である。しかし実際にそうなのだから誰も疑問を挟む余地はなかった。

 ゆえに遠慮がなく、誰に対しても対等である。申公豹は、どのような相手にも自らを客人として扱わせた。かといって礼を失した横暴な振る舞いは皆無だった。払われるべき当然の敬意を相手に要求し、そして自らもそれに応えるからだ。そして非礼があれば、そのとき相手は地上から消えている。

 そんな申公豹と楊戩が茶の席を共にしている。

 ふたりきりだった。

 尋常なことではない。

 蓬萊島の雄大な自然を見渡せる見事な眺望を前に卓を囲んでいる。

 しかし気軽な茶飲みの席でもない。

 申公豹は、そしよくと呼ばれるなまぐさを使わない質素な食事に箸を運ぶ。

「てっきり戦勝祝いにこんろんの仙人たちでだいこうさいでも催しているのかと思いましたが、来客は私だけのようですね」

 大香斎とは、仙人同士の会食を意味する。

──あの戦いに特定の勝者はいない。こんろんさんが勝利したわけでもないし、ましてやきんごうとうが敗北したわけでもない」

 申公豹の軽口に楊戩がいっそう苦い顔をした。生来が真面目まじめな性格だった。

 が、それが申公豹にはますます面白い。

「確かに、いんしゆう革命において、仙界も大きな痛手を受けましたからね」

 殷周革命──後の歴史にそう記される王朝交代劇は、実に十数年単位での戦争を経て成し遂げられた。

 数百年にわたって王朝を繁栄させてきた殷は、けいせいの美女・だつによって賢帝たるちゆうおうが籠絡され、暴虐の治世が敷かれる暗黒時代を迎えた。

 そこで反旗を翻したのが西せい・周王朝であった。

 周にはほうしんけいかくの密命を授かり人間界へ降りた道士・たいこうぼうを中心に崑崙山の仙人たちが力を貸した。さらに紂王の暴政に耐えかねた殷のちんこくせいおうこうを始め数多くの武将や兵士が合流した。

 亡きぶんおうの後を継いだおうによって率いられた周の軍勢は、ぼくの戦いを経て紂王の率いる殷の軍勢を破り、そのすうせいを決定的なものとした。そして王都たるちようかきんじように攻め入った武王は、民衆の前で紂王の首を落とし、その長い戦に終止符を打った。

 新たな王朝──周の始まりだった。

 時に紀元前一一世紀の春のことである。

 その大きな歴史の転換点の陰で、もうひとつの大きな戦があった。

 崑崙山と金鰲島。仙界を二分する勢力は、周と殷それぞれに加担したことで、その対立を深めたすえに両者の衝突を招くことになった。

 すなわち仙界大戦である。

 おびただしい数の犠牲が出た。双方多くの仙人が命を落とし、そして空に浮かぶ仙人たちのたる崑崙山と金鰲島そのものが崩壊し、地上に墜ちるに至った。仙界そのものが消滅するほどの危機に陥ったのである。

 それほどの戦だった。

 仙界大戦と殷周革命──天と地において勃発した二つの戦のすえに今の世があった。

「多くの道士や仙人が命を落とし、疲弊した仙界はその力を大きく減じ、人間界から去ることを余儀なくされた」

──すべては封神計画のためだった」

「ここに彼がいたら話を聞きたいところですね。歴史を生んだ張本人となる気分はどのようなものか、と」

 そして封神計画である。崑崙山を統べる三大仙人のひとりたるげんてんそんが画策したこの秘密計画は、地上から仙人を排除するという名目によってスタートした。

 しかし、それは歴史のうねりのなかで世の趨勢に大きな影響を及ぼすことになった。殷から周への王朝交代を導き、さらには仙界そのものを滅ぼす巨大な歴史の転換点を生じさせるに至った。

 それはより大きな敵に挑むための戦いだった。

 ある意味、封神計画とは、新たな歴史を生み出すために実行されたものだった。

「封神計画を遂行した師叔スースは、あなたと違い、戦を望んでいたわけではない」

 師叔。

 この場にいない、ひとりの道士のことを楊戩をはじめとする崑崙の仙人たちは敬意を込めてそう呼ぶ。

 太公望の名で呼ばれた道士である。

 申公豹と太公望の間には不思議な因縁がある。

 封神計画が始まって間もない頃、申公豹は封神計画を阻む障害として彼の前に立ち塞がった。事実、封神計画のリストに記された排除すべき仙人の筆頭にその名が記されていた。

 だが、申公豹は結果的に太公望の行動に幾度となく手を貸すことになる。それを気まぐれとみるか、目的をもった策謀であったかは申公豹そのひとのみが知ることである。

「戦とは望んだから起きるものではありませんよ。ほら、天命とも言うでしょう? いわば天より授けられた運命のもとに私たちは動いている。星の動きがそうであるように」

「僕らを縛る〈れきみちしるべ〉はもう存在しない」

「ええ、そのとおり」

 だが、封神計画のすえ、彼は姿を消した。

 あたかも自らの使命を果たし、お役御免になったといわんばかりに。

「本来、僕の今の立場には師叔こそが立つべきだった」

 楊戩が空を見た。醒めるような青い空だった。

「だからこそ、僕は彼がいたならやっていたであろうことを、やる」

「つまり?」

「のちの世に禍根を残さないための戦後処理だ」

 そう楊戩は言った。

「つまりは戦のあとしまつ」と申公豹はうなずいた。「殷周革命とともに起きた仙界大戦も終結した。しかし、実際に、そうは思わない者たちもまた多い」

 事実、本当に戦が済んでいるとするなら仙人同士がいがみ合うはずもなかった。

 しかし、教主たる楊戩のもとには、ねんとうどうじんちようけいがそれぞれ人間と妖怪を代表して揃っている。実のところ、そのようにせねば再び戦が起きることを抑えられないと楊戩ら仙界の代表者たちは理解しているのだ。

「それで、具体的にはどのような策を?」

 戦争は、大きく重い球のようなものである。転がり出すまでは時間がかかる。しかし一度転がり始めれば、自らの重さゆえにそう簡単には止まれない。止めることはできない。

──歴史を作る」

 迷いのない言葉だった。

「戦の勝者は歴史を作り、敗者の歴史を葬り去る。新たな覇者の常ではありませんか?」

「百も承知している。一方に都合のいい歴史は、いずれ新たな戦の火種となる」

「では?」

「だからこそ、双方にとって納得のいく統一された歴史を完成させたい」

「これはまた大きく出たものですね。歴史の道標なき世において、新たな歴史をへんさんしようとは」

「今後の仙人界のあるべき方針を定めるため、崑崙・金鰲双方に偏ることない統一した歴史書の編纂がすでに始まっている。歴史は誰の意思でもなく客観的に記されるべきだ。本当の歴史を記すために、あなたの力を貸して欲しい」

──なるほど。では、雷公鞭であなたがたにあだなすはぐれ仙人たちをまとめてぎ払えばよいのですか?」

 雷公鞭。世界に七つしか存在しないスーパー宝貝と呼ばれる比類ない威力を有する仙界の至宝のひとつである。それを申公豹は有し、ひとたび力を解き放てば、天地を貫く雷撃があらゆるものを薙ぎ払い、かいじんに帰す。

 それほどの力を、この申公豹は自由に操る。

「……そんな物騒なことを口にして欲しくないな」

「無論、冗談ですよ。私の雷公鞭はそんな安いモノではありませんからね」

 ニコリと笑った。

 申公豹は元より道化のような化粧をしている。表情の変化は少ない。

 それでも楊戩は申公豹が気分を害していないと察した。

──神界に赴き、封神された仙道たちから話を聞いて欲しい。彼らにとって先の仙界大戦とは何だったのか、記録し持ち帰ってくれないか。この仕事をお願いできないだろうか?」

「さてどうしましょう」

 しかし、申公豹もそう気安く了承はしない。

「私は、再び戦が始まっても一向に構わないのですよ。いまや誰も運命に縛られない。ならば、本当に誰も知らない展開が待っているかもしれない──

「聞き捨てならない言葉だな」

 楊戩がぞわりと気を発した。冷静で実直で、それでいて必要とあらば決断を下すためにちゆうちよしない覚悟を、楊戩は先の戦いによって身に着けていた。

「では、私を討ちますか?」

 そうとうなずきでもしたら、間髪入れずに雷公鞭を振るいそうなけんのんさだった。

 そのくせ申公豹は殺気や闘気といったものとはまるで無縁の平静さである。

 それでも並の者が相対すれば、雌伏する虎を前にしたように身がすくみ、言葉ひとつ発せられなくなるであろうことは明らかだった。

「いいや」

 そして楊戩も並ではない。傑出した道士である。弟子を取らない方針ゆえに仙人ではないが、駆使する術、宝貝の扱いともにその実力に比肩する仙人は僅かである。

「あなたほどの道士を相手にすれば、それこそ本当にもう一度戦を起こさなければいけなくなる」

「賢明ですね。やはりあなたはなるべくして今の立場についた」

「そうなるように努力しているつもりだよ。荷は重いが、実際、僕は適任だ」

「あなたは自らの立場をよく理解している」

「僕は師叔が残したこの世界を守りたい。歴史の道標の先へと向かうために」

「しかし困難ですよ。誰もが自分は正しかったと主張する」

「だから、その正否をあなたに見極めてもらいたい」

「ほう」

「これを」

 楊戩は申公豹に巻物を渡した。

 記されていたのは仙人たちの名前だった。

 まるで、かつて太公望が元始天尊より封神計画の開始を告げられたときのようだった。

「これはこれは」

 その名に目を通し、申公豹は思わず笑みをこぼした。

「また厄介な人物ばかりを押し付けられたものですね」

「すでに打診済みだ。みな協力的だよ」

 申公豹は巻物から目を離し、じっと楊戩を見た。

 その眼は精巧な作り物のように揺らがない。それゆえどんなしんがんも見通す力を宿しているようであった。

──いいでしょう、面白い。条件つきですが仕事を請け負ってもいい」

「その条件は?」

「私が望むとおりの報酬を寄越しなさい」

 そして申公豹は席を立った。

 そうと決まれば行動に移すのは早かった。

 

 表に黒点虎を待たせていた。

 申公豹の駆る霊獣である。巨大な猫のような風情だが、その力は、他の霊獣の追随を許さない。

「遅かったじゃないか、申公豹」

「思いのほか、話しこんでしまいましてね」

「それで楊戩との話は済んだわけ?」

「ええ、とりあえずは」

「それにしても面倒くさい仕事を引き受けたもんだね」

 黒点虎はせんがんじゆんぷうじの持ち主である。その目はあらゆるものを見通し、その会話を聞き分ける。この程度の距離であれば、造作もないことだった。

 悪態をつく黒点虎に、申公豹は答える。

「これを期に再び仙界で戦が起きるかもしれない。いや、むしろ、そうなったほうがよほど面白い」

「申公豹ってさ」

「何ですか?」

「すっごいひねくれてるよね」

 申公豹はニコリとするばかりで答えない。

「では参りましょうか」

「はいはい」

 申公豹は黒点虎にまたがる。とはいえ、その巨体ゆえにじ登らなければならない。

 そして申公豹を背中に乗せた途端、黒点虎が地面を蹴った。

 敏捷に飛翔する。

 空を往った。

 天を駆けた。

 雷光がはしるが如く、目的地までは瞬く間である。

 

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