第2話 反魂人形
七海は出張が嫌いではない。
経費で落ちる旅行と言えなくもないし、なかなか行かない場所へ赴く理由にもなる。
まして北海道なんて尚更だ。
なにより、同僚と離れて一人になる機会というのは、呪術師といえども、社会人としてはかけがえのないクールダウン。つまりは魂の換気だ。
空気の変化が無ければ、気が滅入ってしまう。
適度な息抜きができるかどうかが、労働を長く続けるコツである。
そう考えている七海にとって、出張先に先輩呪術師がついて来るというのは面白くはなかったし──それが五条悟 であるとなれば、もはや頭の痛い案件ですらあった。
「七海、北海道クイズしようぜ」
「お一人でどうぞ」
「はい第一問。僕の一番好きな北海道スイーツはいったいどの銘菓〝三方六〟でしょーうか?」
「せめてクイズの意味十回調べてから出直してください」
「じゃあジャガバターゲームしようぜ。ルールは簡単。よりジャガバターの好きな方が勝ち。はい僕の勝ちー僕ジャガバター日本で二番目に好きな男だから」
「誰ですか一番」
「松山千春」
「呼吸より嘘の回数の方が多いですよねアナタ」
「CO2削減になるだろ?」
「私のため息から出るCO2でチャラでしょう。何が悲しくてはるばる北海道まで来て、男二人、呪術師二人」
「いいじゃん、バラエティ番組っぽくて」
「どこにあるんですか、こんな辛気臭いバラエティ」
大通りの賑やかな道を、七海と五条は正反対の表情で歩いていた。
札幌の街並みは京都と同様、碁盤 の目。
標識を眺めながら歩けば、まず迷うことはない。
一方通行の把握がやや面倒だが、歩いての観光ならば中央区に限っては容易である。地図とも照らし合わせやすい。
「まあ全部が全部、素直に格子状の道になってる、ってわけじゃないんだけどさ。スポットを巡るルートは組みやすいよね」
と、五条が取り出したのは二つ折りになったパンフ。
開けば中央区の地図が、分かりやすく簡略化して記されていて、そこにいくつもの赤丸が書きこまれている。
「なんですか、その地図」
「オイオイオイ七海ィ。オイオイオイ、オイ」
「雑にイラつきますねそれ」
「しっかりしてくれよ。オマエ、ここで僕が取り出すんだから五条悟スイーツマップ以外に何があるってんだよ」
「ですから、そういうのはお一人でどうぞ」
「先輩ヅラし甲斐の無い奴だなぁ」
「アナタも昔から、慕い甲斐のない先輩でしたよ」
ため息を吐きすぎて、肺がぺしゃんこになりそうな七海だった。
プライベートの五条の話は、九割が適当だ。
基本的に自分のペースでしか話さないので、真に受けて返せば疲れるし、聞き流してもイラつく。
そういう相手が目上で、先輩で、実力上の絶対強者であるというストレスは、五条悟に関わった者でなければ理解できないだろう。伊地知 あたりにはもっと深刻な問題かもしれない。
「……というか、ほんと、なんでついて来たんです? 別に二人も呪術師が必要な案件じゃないですよ、今回は。まして──」
「まして超イケメン最強呪術師の五条悟が出る幕じゃない、だろ?」
いい加減疲れてきたので、七海は無視した。五条の話はそれでも続く。
「確かに心配ないとは思うよ。単独での調査とはいえ、任されたのがオマエなら一人でもきっちりこなすだろ」
「じゃあなんで来たんです?」
「たぶん心配ない案件を、絶対心配ない案件にするためだよ。一人で十分な案件とはいえ、一級呪術師が出張るようなことなんだろ? それもどうやら悪徳な呪詛師か、その〝もどき〟絡みだって聞いてるしね」
「……相手も一級か、特級に値する呪詛師かもしれないと?」
「あくまで〝かもしれない〟だけどね」
「そんなあやふやな可能性のために、わざわざ出向いてくる人じゃないでしょ、アナタ」
「よき理解者ヅラ、五臓六腑に染 みわたるよ。ま、今はそういうことでいいだろ? 案外僕も多忙な日々に疲れて、北にバカンスに来たくなっただけかもしれない」
「そう口に出した時点で、本命は違うわけですか……」
「あ、七海。あれ見てあれ」
「人の話を聞いてください。言うだけ無駄でしょうけど」
五条の指さした先には、こぢんまりとした屋台があった。
山吹色の看板に、赤い字ででかでかと書かれた「ジャガバター」の文字は自己主張が激しいことこの上ない。
「考えてみりゃストロングスタイルだよね、ジャガバター屋台。ジャガイモ焼いたやつにバターのっけただけの料理売るんだぜ。ウチで作っても手間かかんないよ、これ」
「石焼き芋だって似たようなもんでしょう」
「言われてみりゃそうだ。流石だな七海。目の付け所がサングラスの奥」
「ただの眼球の位置情報でしょうそれ」
「ところで七海、ジャガイモのジャガって何?」
「ジャカルタ港から日本に輸入されたから、という説があるとか」
「なんで即答できんのオマエ、怖っ」
「逆になんで知らないんですか、日本で二番目にジャガバター好きな男が」
「所詮二番目は二番目だよね。目指すならナンバーワンじゃないとダメか……っつーわけで大将、ジャガバターいっちょください」
会話中、あまりにも当然のような流れで五条が屋台に寄っていったので、七海は少々リアクションが遅れてしまった。
「食べるんですか」
「食うよ。だって日本で二番目にジャガバター好きな男だよ僕」
「一応、仕事しに来たんですけどね」
「じゃあオマエは食わなきゃいいよ、僕一人で北海道を味わうから」
「食べますけど」
「食うんじゃん」
大通公園のベンチに男が二人。片やカジュアルな黒ずくめで片やかっちりしたスーツ、二人そろってサングラス。並んで座ってジャガバター。
パフォーマーやコスプレイヤーが往来を歩いていても「そういうこともあるか」となる町が大都会札幌であるが、それをさし引いても人目を引く二人組である。
「うわ美味しい。ホックホクだよホックホク」
「ウチで焼いてもこうはなりませんよ」
「いやマジでね。ナメてたわジャガバター。屋台で焼くだけのことはあるわ」
「ビールが欲しくなってきますね。やはり仕事の後にすればよかった」
「ビールかぁ……僕としちゃ単品で旨いものを酒と組み合わせて考えるのあんまりよく分からないんだよな。……え? あれ?」
「どうしました?」
「オマエのジャガバターなんか僕のと違わない?」
「塩辛のせたので。美味しいですよ、あげませんけど」
「いやいらねーよ。ビジュアルがこないだ祓った呪霊に似てるし」
「…………」
あわよくば、気分転換を期待して訪れた北海道。
七海はちょっぴりストレスが溜まっていた。
ホクホクのジャガバターを堪能したのち、立派な大人 なのでゴミをきちんと片付けた二人は、大通り公園を東、テレビ塔に向かって歩く。
大通公園はそこで途切れて、バスセンター近くに大きな道路が南北に横切っている。
都市の大動脈と呼べる大きな道だが、意外なことに、歩いている人はそう多くはない。
これは札幌という都市の構造が関係している。
「で、今回調査するのはどんな阿漕な呪詛師なんだっけ。いや、そもそも呪詛師かどうかも曖昧 だけど」
「あやふやなままついて来たんですか」
「どうせ対処するのはオマエだからね」
「じゃあついて来ないでくださいと言いたいのですが……というか、けっこう腹に溜まる物食べた後によくソフトクリームなんて食べられますね」
「いやオマエも食ってんだろ」
チーズとミルクのツインソフトクリームを、零さぬよう器用に舐めながら、五条は当然のごとく、七海の前を歩いていた。
いったいどこへ向かって歩いているのやら、まるで今回の事件内容をよく知らない人間とは考えられない動きである。
五条いわく、わざわざ北海道に来てミルクソフトでもなくチョコレートでもなく、クッキー&クリームを注文する七海のチョイスが信じがたく、視界に入れておけないのだという。サングラスをかけておいて何を、とは思う。
七海は勝手に歩いてかないでくれ、と五条に言いたかったが、説明を先にした方が手っ取り早いだろう。
というのも、普段の五条であれば、七海に聞くまでもなく事件の内容を把握している。
それでもあえて七海に聞くということは、五条がいっさい情報を仕入れていない事実の表れである。つまり五条も本来、自分が出るほどの事件ではないと分かっているわけだ。
それでもなお、五条は七海について来た。
本当に暇つぶしで遠路はるばる北国に来るほど、暇人でないことは分かっている。七海としては五条の目的こそ知りたかった。
とにかく、彼に真意を喋らせるには、速やかに〝人形騒ぎ〟を解決してしまうしかない。
七海は効率から考えて、簡潔に説明することにした。
「発端は〝黄泉比良坂〟と呼ばれているサイトだそうです」
「すごいネーミングセンスだな」
「検索エンジンからは辿りつけないよう、独立したサーバー内に設けられたサイトのようですね……情報をもとに、伊地知が見つけました」
「アイツは優秀だよ」
さっぱりとした五条の口調には、さも「当然だろうな」という響きがあった。
それを聞いて七海は「あ、この人さては伊地知を締め上げて私の行き先を聞いたんだな」と察した。
伊地知潔高は、別にスーパーハッカーというわけではない。
それでも、探すものさえ分かってしまえば、その〝探し方〟を調べることができるのが伊地知という男だ。
情報の飽和したこの社会においては、専門知識より検索能力がものを言う場面は多い。
そういう点で伊地知は重宝されている。
まあ重宝されているからといって、情報を漏らした人間を優しい態度で労 うかどうかは別である。七海は後で伊地知を叱っておこうと思った。
「で、その悪趣味なサイトはどういう目的のために設置されてるんだ? まさか面白動画が見られるワケでもないんだろ?」
「サイトは簡素なものでしたよ。懐かしくなるくらい」
「アクセスカウンターが置いてあって、キリ番踏んだら報告しなきゃならない感じ?」
「そういう雰囲気ですね」
「懐かしさを感じる自分が嫌だな」
「歳ですからね、私たちも」
ソフトクリームが平らになったあたりで、コーンを齧って一呼吸おいてから、七海は続ける。
「結局のところ、そのサイトは、ある呪詛師へ連絡を行うための窓口のようです」
「窓口?」
「簡単な入力フォームがあり、そこに依頼内容を書きこんで送信すると、現金書留の宛先が表示され、商品が購入できるわけです」
「郵送払いの通販かよ。アナログな」
「住所は零細不動産屋の所有する、北海道内の某物件に指定されていました。二畳一間のシェアハウスだそうで」
「どこをシェアするんだよ」
「郵便受けが二十個ありました。簡易的な私書箱として、後ろ暗い連中が利用しているようですね」
「手口がヤクザのフロントだな。呪詛師の発想じゃない」
「良くも悪くも歴史ある家系の呪術師ならば、まずこういうルートの整備を行う発想がないでしょうね」
「……で、結局なんの通販なんだ? はぐれ呪詛師なら蠅頭 程度の呪霊を祓う呪具でぼったくったり、他人を呪って小遣い稼ぎをしてそうなもんだけど……その程度の相手で七海が呼ばれやしないだろ」
「察しのよろしいことで」
「誰と会話してるのか考えて言えよ。オマエが呼ばれてるのに僕が詳細を知らされてないなんて、お偉方のジジイが隠したい案件だったってことだろ」
「だとすれば、私が“詳細を話すのを禁じられている”という可能性も考えられるんじゃないですか?」
「関係ないだろ。僕がその気になったら口を割らせるなんてワケないからね。奴らにできるのはせいぜい〝事件そのものを知られないようにする〟ことくらいだ。ってことは僕がここに来た時点で詰んでるだろ」
「毎度思うのですけど、それだけ頭が回るなら、説明しなくても自分で調べてほしいのですが」
「不可能でなくても面倒なことは、後輩を使うのが一番手っ取り早いんだよ」
「……はぁ……」
七海のため息は長かった。
別に詳細を話すことを躊躇っているわけではないが、ただただ横暴な先輩呪術師に対してため息を吐きたかった。
吐き切った息を吸いこんで、七海はようやく事件の核心に触れることにした。
「──死者の蘇生です」
「……なんて?」