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鬼滅の刃 しあわせの花

鬼滅の刃 しあわせの花

原作:吾峠呼世晴
著者:矢島 綾
立ち寄った村で婚礼に招待された炭治郎たち。禰豆子と同じくらいの年である花嫁の艶姿を見て、炭治郎は妹の倖せを思う。の他、鬼殺隊の本編では語られなかった出来事が明らかに。我妻善逸がはじめて鬼を斬ったその日の出来事とは。炭治郎、善逸、伊之助の『女難の相』とは。蝶屋敷の少女たち、アオイとカナヲのひそやかな一日の出来事とは。そして大好評番外編『キメツ学園』のノベライズも。吾峠先生完全監修、描きおろしイラストも多数収録。ファン必見の一冊になること間違いなし。

第1話 しあわせの花

 

 りんとしたうつくしさの黒引き振袖は、妹の白い肌に、さぞやよく映えるだろう。

 豪華なきんらんの帯に、苦労性の妹は『もったいない』と眉を寄せるかもしれない。

 ぶんきんしまに結い上げた黒髪の下で、妹は涙を流すのだろうか……?

 悲しみではない、喜びに満ちた涙を。


 誰よりもやさしい俺の妹。

 鬼となってさえ、人であった頃のぬくもりを捨てずにいてくれる、俺の妹。

 


 願わくは、誰よりもお前を幸せにしてやりたい──。




「──しゆうげん、ですか?」

「はい……この度、めでたく村の娘が嫁ぐことになりまして」


 ひさはそう言うと、元から細い目を糸のように細めた。


 藤の花をかたどった家紋は、さつたいであれば無償で尽くしてくれるあかしだ。

 この家紋を下げた家は、隊士たちによって鬼から救われた恩義を忘れず、こういった形で返してくれているのだという。

 ゆえに、任務で傷ついた隊士は藤の花の家紋を目指す。

 ひさの家もそういった家の一つであった。

 たんろうぜんいつすけ、そしての四人は、任務で負った傷を癒すべくここにとうりゆうし始め──今日で丸十日になる。

 もっとも、鬼である豆子は、日中〝きりくもすぎ〟で作られた箱の中で寝ている為、家人たちと顔を合わせているのは、もっぱら他の三人ではあるが……。

 山の幸をふんだんに使った料理とふわふわのとん、やわらかな着物、心のこもったもてなしの数々に、三人仲良く折れた肋骨も、各々かなり良くなってきていた。


「ここから一番近い町の名主の家へまいります」

「それは、おめでとうございます」

 炭治郎が心から祝いの言葉を述べる。

 ひさはにっこり微笑ほほえむと、よろしければ、と続けた。「鬼狩りのみなさまにも祝ってやってもらいたいのですが……」

「え? 俺たちがですか?」

「もちろん、みなさまのお身体からだの具合がよろしければの話です……くれぐれもご無理はなさらないでくださいまし」

「いえ、身体はもう大丈夫です。それより、それは俺たちが出てもよいものなのですか?」

 炭治郎が遠慮すると、ひさがふるふると白い頭を振った。

 ひさの話によれば、今夜は、こちらの村で心ばかりの祝言を挙げ、明日の昼に嫁入り道中を成して町へと下り、相手の家で大掛かりな式を挙げることになっているそうだ。

 嫁に行く娘は大層うつくしく、明らかな器量望みではあるが、まれに見る良縁なだけに、村の者たちも大いに沸き立っているという。

「鬼狩り様たちが祝福してくだされば……みなも喜びます」

「そういうことでしたら、喜んで。なあ? 善逸? 伊之助?」

 炭治郎が肩ごしに振り返る。

 それを聞いた善逸は、

「うん、もちろ──いや、もちろんでございます。祝言だったら鬼狩りと違って、怖いこともないだろうし、しいもの食べて、可愛い花嫁さんを拝むだけだし、一石二鳥──って……いくら可愛くても、豆子ちゃんほど可愛くはないだろうけどね? いや、それはわかってますけど──あくまで、俺は豆子ちゃん一筋ですから──そこんところ間違えないでくださいな」

 と揉み手をしながら応じ、

「祝言ってなんだ?」

 一方、伊之助は両手につかんだまんじゆうをむしゃむしゃ食べながら、炭治郎の脇腹に頭突きを繰り出してきた。

(痛い……)

 炭治郎が両眉を下げる。

 そして(善逸が)気持ち悪い。

 今や──というか、ここ数日の間で──すっかり恒例となった光景である。

 善逸は、豆子が炭治郎の妹だとわかるや否や、露骨に態度を変えた。やたらヘコヘコしだしたのだ。

 伊之助の方は、この頭突きである。彼なりに他人と交流を持とうと思っているのだろうが、ことあるごとに繰り出される頭突きに、炭治郎は弱りきっていた。

 これでは、炭治郎だけいつまでもたっても肋骨が完治しない。

 そして(善逸が)気持ち悪い。

「善逸はどうして、そんな気持ち悪いしゃべり方をするんだ? それに、花嫁さんに対して失礼な言い方はめろ。──それから、伊之助。祝言というのは、二人が結婚して夫婦になる為のお祝いのことだ。痛っ……伊之助、いい加減、頭突きは止めてくれ」

 二人にやんわりと苦言を呈し、ひさに顔を戻すと、

「是非、お祝いさせていただきたいので、よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げる。

「こちらこそ、よろしくお頼み申します……」

 ひさはそれこそ畳にぬかずくほど頭を下げると、

「今夜は、我が家でもごそうにいたしましょうね」

 と口元をほころばせた。

「お若い方が好むものといえば、やはり、お肉でしょうけれど……あいにく、ハイカラなお料理はとんと疎くて……」

「──いえ。もう十分、お世話になっていますから」

 慌てて両手を振る炭治郎を押しのけ、

「アレだ!!」

 と伊之助が叫ぶ。「いつものアレだ! ババァ、アレを作れ!! アレだぞ、アレ!!」

「こら! 伊之助!!」

「お前、アレしか言ってねえじゃねえか。ちゃんと、名前で言えよ」

 炭治郎と善逸がそれぞれたしなめるも、ひさは納得したように「アレでございますね」とうなずいてみせた。

「天ぷらでございますね? 衣のついた」

「おう!」

「はいはい……沢山揚げましょうね。お茶うけは足りていますか?」

「足りねえから、アレを持ってこい!! いいか、アレだぞ!?」

「はいはい。おかきですね。今、お持ちしますよ……」

 ひさはおっとりと応じると、部屋を後にした。

 年齢的なこともあるのだろうが、ひさの立ち居振舞いはとても静かで、ほとんど物音がしない。

 この時も、すうっと音もなくふすまが閉まった。

「……あの人もさ、よくアレでわかるよな。ほとんど、アレしか言ってないじゃん」

 善逸が感心したようにもあきれたようにも見える眼差しを、ひさが消えた襖へと向ける。

「確かに──」と炭治郎も肯く。

 当の伊之助は無心に饅頭をらっている最中で、二人のつぶやきなど聞こえていない。

 逗留し始めこそ、


『ふざけんじゃねえ!! 着物を着て家の中で暮らすなんざ、まるっきりごうもんじゃねえか! まっぴらごめんだ!! 俺を誰だと思ってんだ!? 山の王だぞ!』


 と騒いでいた伊之助だったが、今では──相変わらず上半身裸ではあるものの──ここでの暮らしにだいぶ慣れ親しんでいるように見える。

 少なくとも、拷問とは思っていなさそうだ。

 おそらくは、あるじであるひさの存在が大きいのだろう。

 この屋敷を訪れた当初から、ひさは伊之助を恐れなかった。

 物々しいいのししあたまを恐れず、数々の奇怪な行動をものともせず、まるで実の孫か何かのようにかいがいしく伊之助の世話を焼く老女の姿を思い出し、炭治郎はあたたかい気持ちでいっぱいになった。

(ありがたいなぁ……)

 としみじみ思う。

 清潔な寝床やあたたかい湯殿、心のこもったもてなしもさることながら、一緒の風呂に入り、同じ釜の飯を食ったせいか──善逸の異様なおもねりや伊之助のどこでも頭突きはあるものの──三人の距離がぐっと縮まったような気がする。

 何より、二人は鬼である豆子をいとうことなく、ありのまま受けれてくれる。

 それがどれだけうれしいか。

 そんなことを、炭治郎がほっこり考えていると、


「おまっ、なに、饅頭全部食ってんだよ!? 俺や炭治郎の分も入ってたんだぞ!? このバカ猪!!」

「うるせえ、尻逸! もたもたしてる方が悪いんだろうが!!」

「善逸だよ!! 尻逸って、誰だよ!?」

「黙れ小僧!! ここは俺のなわばりだ!!」

「あー、そーかい。ごめんなさいね。てか、なんだよ、縄張りって──ギャアアア!!!!」

よわが!! 俺に勝とうなんざ、百万年早えんだよ!! グワハハハハハハ!!!」



 頬を殴られた善逸が、奇声と共に畳の上をのたうちまわった。伊之助の獣の雄たけびのような笑い声が室内にだまする。

(…………)

 炭治郎は小さくため息をくと、

「──伊之助、善逸を殴っちゃだめだ」

 と仲裁に入った。

 善逸が伊之助に(もっともな)突っこみを入れ、伊之助に容赦なく殴られ、炭治郎が仲裁する──。

 これもまた、彼らにとって、すっかり恒例の光景となりつつあった。




「あー、花嫁さん、すごいれいだったなぁ~」

「すげえご馳走だったな。げふっ」


 花嫁の家から戻る道すがら──。

 まったく異なる感想を述べる二人の隣で、炭治郎は初々しい花嫁の姿を思い出していた。

 まだいとけない花嫁は、器量を望まれて名主の家に嫁ぐだけのことはあり、まさにまばゆいばかりにうつくしかった。

 何より、はちきれんばかりの笑顔が、彼女の幸福さを物語っていた。

 それこそ、ひしようする鶴と大輪の花が描かれた黒引き振袖や、ごうしやな金襴の帯すらもかすんでしまうほどに……。

「──あの人」

「? どうした?」

「いや、なんでもない」

 炭治郎が軽くかぶりを振る。


 もしかすると、豆子と同い年ぐらいかもしれない。


 そんなことを思った瞬間、胸の奥がズキンとした。

(え……? ズキン?)

 小首をかしげた炭治郎が背中の木箱をそっと背負い直す。

 すると、カリカリカリ……と爪の先で箱の内側をく音が聞こえてきた。それに思わず、飛び上がりそうになる。

(!!)

 てっきり、眠っているであろうと思っていた妹が起きていたことに、かひどくドキリとした。

「それにしても、あの女はなんであんなもん着てたんだ?」

 伊之助が誰にともなく尋ねてきた。「あんな裾の長ぇ着物なんか着てたら、木にも登れねえしうさぎも鳥もれねえぞ」

 猪頭をかしげ、心底不思議げだ。

 そんな伊之助の素朴な問いに、

「あーあ、これだから田舎いなかものは嫌だよ」

 と善逸がため息を吐く。

「山なんか、入んないからいーの。あの子はさ、これからおおだなの奥方様になるの。たま輿こしだよ、玉の輿。わかる? 美人だからお金持ちの人んとこに嫁入りして、綺麗な着物着て、ちようよ花よと大事にされて暮らすの」

「大体、なんで、あんな暗い色にしたんだ? 黒い着物だと山ん中で蜂に狙われやすいって知らねえのか? アイツら。祝い事なら、もっとパーッと明るい色にすりゃあいいじゃねえか。辛気臭えな」

「だから、山には入んないんだって。黒引きの振袖っていったら、しろと並んで花嫁さんの定番衣装だし、『貴方あなた以外の方の色には染まりません……』っていう、意思表示とかいうじゃない? あー、俺も一度はそんなこと言われてみたいよ。出来れば、豆子ちゃんにさぁ……ウィッヒヒッ」

 途中、気持ちの悪い裏声を挟んで、うっとりとつぶやく善逸に、

「何、言ってんだコイツ」

 伊之助が真顔でつぶやく。

「気持ち悪いやつだな……」

「お前にだけは言われたくないよ!!」

 伊之助の暴言に善逸がカンカンになって怒る。

「なあ? 炭治郎!?」

「──え?」同意を求められ、少し遅れて生返事をする。「ああ……どうだろう?」

 妙に気がそぞろで、落ちつかなかった。

 喉の奥の辺りに、こう……何かがつかえているような気がしてならない。

「どうしたんだよ、ぼーっとして」

 案ずるような口調になった善逸が、羽織の袖口を引っ張ってくる。「なんかあった?」

「腹が減ったんだろ」

 と伊之助。祝言で出された餅をもりもりと食べながら、

「祝言でもなんにも食べなかったじゃねえか。あんなにいもんが山ほどあったのに、バカな奴だぜ」

 そう言うと餅の残りを一気に飲みこんだ。己の胸をドンとたたく。

「待ってな、仙二郎。今から戻って、飯の残りを持ってきてやるぜ!」

「!? いや、それには及ばない!」

 ようやく我に返った炭治郎が、伊之助の暴走を慌てて止める。

 祝いの場で、山賊のようなはさせられない。折角の幸せな式が台無しだ。

「遠慮すんな。子分の世話を焼くのは親分のつとめだからな」

「遠慮じゃない。お腹も空いてない」

「食える時に食わねえと後悔すんぞ? こんなデカイ肉の塊があったんだぞ!? 山盛りのくだものもだ!!」

「だから、本当にお腹はいていないんだ。伊之助」

 そう言っても伊之助はなかなか納得せず、しまいには、頼むから戻らないでくれ、と頭を下げる羽目になった。

 それでようやく(というか、渋々)わかってもらえたが、善逸はちょっと心配そうな顔になり、炭治郎の顔をのぞきこんできた。

「どうしたんだ? 炭治郎。なんか、さっきから変だぞ?」

「! 変? 俺が?」

「うん。なんか、変な〝音〟がする」

「……──」

 ドキリとした。

 人並み外れて耳が良い善逸は、人の気持ちまでも〝音〟で聞き分ける。炭治郎の〝匂い〟と一緒だ。

 その彼が炭治郎の〝音〟を変だと言う。

 炭治郎が無言でうろたえていると、

「──わかってるよ」

 みなまで言うなというように、善逸がいつになくな顔でささやいてきた。


豆子ちゃんのことだろう?」


「!!」

 思わず、心臓が跳ねた。

 とつに言葉が出ない炭治郎を前に、善逸がうんうん、と肯く。

 俺は何もかもわかっているぞという顔で、

「大方、豆子ちゃんが嫁ぐ日を想像して、しょんぼりしちゃったんだろ?」

「……え」

「でもな、炭治郎。それじゃダメだ。豆子ちゃんの為にも、豆子ちゃんが結婚したいって相手が現れたら、素直に祝福してあげるんだぞ?」

「…………」


 善逸の指摘は、微妙にずれていた。


 鬼である豆子が、彼の頭の中では、普通に結婚して普通に嫁に行くことになっている。そもそも、善逸は豆子が鬼であることをほとんど気にかけていない節がある。

 心の底からありがたいと思うところなのだろうが、何かが違う。

 根本的に、こう、何かが決定的に違う気がする。

 だが、その何かがわからない。

 ゆえに喉に小骨が刺さったみたいに気持ち悪い。


 ──うん。なんか、変な〝音〟がする。

 ──豆子ちゃんのことだろう?


 何気ない言葉に、どうして、あそこまでびくついたのだろう?

 戸惑いながら、己の左胸にそっと手を当てる。そこはトクン……トクンと小さな鼓動を刻んでいた。そっと耳をすませてみる。

 だが、炭治郎に善逸の言うような〝音〟は聞こえない。

(いや、当たり前だろう? 俺は善逸のように耳が良いわけじゃないんだから……)

 一体、自分はどうなってしまったのかと、炭治郎が眉を寄せる。

 そんな炭治郎をに、善逸は豆子の嫁ぐ日を朗々と語り、伊之助は伊之助で先程の料理のどれが美味そうだったかをとうとうと述べている。

 炭治郎が自分の中のモヤモヤを持て余していると、

「コラ、あかり!」


 という幼い声が聞こえた。

「ダメに決まってるでしょう? もうじき暗くなるんだから、鬼に食べられちゃうわよ」

「でも、あかりもとよ、、ちゃんみたいに、町の大きなおうちにお嫁に行きたいもん!! 働きたくないもん!!」

「ダメなもんはダメなの!!」

「ケチ!! 姉ちゃんのケチ!! ケチケチババァ!!」

「なんですって!? もういっぺん言ってごらんなさい!!」

 見ると、道端で二人の少女がもめていた。

 片方は十前後、もう片方の少女は七つぐらいだろうか? 眉間にしわを寄せ、頬をふくらませた顔が驚くほどそっくりだった。おそらくは姉妹だろう。

(とよさんみたいに……ってことは、さっきの花嫁さんのことだろうか?)

 炭治郎が近づいていくと、幼い方が彼に気づき、さっと年上の少女の袖をつかんだ。

「どうしたんだ? 何を言い争ってたんだい?」

 少女たちを怖がらせないように、その場にしゃがみこんで尋ねる。

 としかさの方の少女が、炭治郎を素早くいちべつすると「鬼狩りの方ですか?」と逆に質問してきた。

「ひささんのところにお泊まりになられている」

「うん。俺は炭治郎。君たちは、姉妹なの?」

「はい。私が姉のあかね、、、で、妹のあかり、、、です」

 姉が名乗ると、あかりは照れたのか姉の背中にすっぽりと隠れてしまった。そして、顔だけちょこんと出して炭治郎をチロッと見ると、またしゅっと隠れた。

 子供らしいその仕草に、炭治郎の頬が思わずほころぶ。

ろくもこんな風だったな)

 いや、しげるはなたけや──そして、豆子にもこんな時があった。

 炭治郎が在りし日をしんみりと思い出しつつ、

「とよさんっていうのは、今回、町へお嫁入りする人?」

 と姉妹に尋ねる。

「はい」

「あのね。とよちゃん、ホオズキカズラ、、、、、、、を見つけたんだよ」

 再び、姉の脇から顔を出すと、あかりが口を挟んできた。

「──ホオズキカズラ?」

 炭治郎が小首を傾げる。山育ちの彼でも初めて聞く名前だった。

「それは、花か何かなの?」

「うん。花だよ」

 あかりはこくりと肯くと、小さな指で近くに見える山の一つをさした。

「あの山に生えてるの。それを持ってると、たまのこ、、、、にのれるんだって」

「たまのこ? ああ、玉の輿のことか」

「だから、とよちゃんはお金持ちの家にお嫁に行けたんだよ」

 少女が得意そうに言う横で、

「単なる言い伝えです」

 あかねが両の眉尻を下げた。

「この村に昔からある言い伝えなんです。『新月の晩にだけ咲くその花を肌身離さず持っていると、愛する人と結婚して、誰よりも幸せになれる』と──。とよさんはとても良い縁に恵まれたから。きっと、ホオズキカズラを見つけたんだろうって、村の老人たちがそう話してるのを、この子が聞いてしまって……」

「なるほど」

 得心した炭治郎がポンと片手を打つ。

「今日は新月だから──」

「……はい」

 あかねが困ったものだというように肯く。

「これから取りに行くんだってきかなくて……幻の花だって言っているのに」

 それでケンカになったというわけか。

 他愛もない原因だが、もう夕方だ。じきに暗くなれば、鬼が出始める。姉であるあかねの心配はもっともだった。

 炭治郎が姉の背中にぺったりとはりついたあかりを覗きこむ。

「でも、夜の山は危ないよ?」

「あかりもう六歳だよ」

 おかっぱ頭の少女は、いかにもきかんきな顔立ちでそう応えた。

 炭治郎は内心、吹き出してしまったが、表向きは至極真面目な顔で少女を諭した。

「大人でも危ないんだ」

「鬼がいるから?」

「うん」

「ふーん…………鬼って怖いの?」

「うん。とっても怖いよ」

 炭治郎がしかつめらしく肯いてみせると、あかりはしばらく考えていたが、

「わかった」

 と、渋々納得した。「お山には行かない」

 それを聞いたあかねがほっとしたように、

「ありがとうございます。お陰様で助かりました」

 深々と頭を下げ、「──ほら、行くわよ」と妹の腕を引いた。

 炭治郎が二人の背中を見送っていると、

「どうしたんだ? 炭治郎。今の子たち、なんだって?」

 と、善逸がやってきた。後ろに伊之助の姿もある。

「何か聞かれたの?」

「ああ──」

 炭治郎が今、聞いた話を二人へ伝えると、

「ケッ、くだらねえ。ただのガキのざれごとじゃねえか」

 伊之助は針の先ほどの関心もなさそうだったが、対する善逸は、

「へえ~、おもしろそうな花だなあ」

 と興味深そうにつぶやいた。

「愛する人と結婚して、誰よりも幸せになれる──ってとこがいいよなあ。まあ、それで玉の輿ってのは、さすがに飛躍がすぎるけどさ」

「あくまで言い伝えだぞ? 善逸」

 彼の結婚願望の強さを思い出した炭治郎が釘を刺す。

 何せ、道端で初めて会ったばかりの少女に泣きながら求婚していたような男だ。

「幻の花だって、あかねちゃんが」

「そりゃそうだろうけど、女の子ってさ、そういう恋愛の絡んだ幻想的な言い伝えとかに弱いわけよ」

「! そうなのか?」

「うん。おまじないとかも好きだろ? 花占いとかもさ。新月の夜にだけ咲く花ってのも、女の子がいかにも好きそうだし。──そういや、新月の晩の願い事はかなうって言うから、それにちなんでるのかもな……だとすれば、ひょっとするとひょっとするかもな。言い伝えってのも、まったくのデタラメじゃないことが多いし……」

 本当にそういう花があるのかもしれないぞ、と善逸が訳知り顔で語る。

「よく知っているなあ。善逸は」

 存外に鋭い見解を炭治郎が褒めると、

「おまっ! 褒めてもなにも出ねえぞ!!」

 赤くなった善逸が「うふふっ」と気持ちの悪い照れ笑いをもらす。

 よくよく考えれば、女の子との会話を弾ませるなど、下卑た目的でそういったことに詳しいのかもしれないが、炭治郎は素直に感心していた。

(そっか、女の子はそういうのが好きなのか)

 ということは──。

豆子も……?)

 背中に当たる霧雲杉の固い感触に、炭治郎が両目を細める。

 さっき見たばかりの、とよの愛らしい花嫁姿が豆子に重なる。


 黒引き振袖姿の妹が微笑んでいる──。

 うれしそうに。

 とても幸せそうに。

 その想像に、頭の中の霧がさーっと晴れていく。

(……そうだったのか……)

 モヤモヤの原因にようやく気づいた。

「オイ、お前ら! そんなことより、早くババァの家に帰んぞ! ババァが衣のついたやつを揚げて待ってるからな!!」

 盛大に腹の虫を鳴かせた伊之助が、炭治郎をき立てる。なまじご馳走を思い出したせいで腹が減ったのだろう。

「ホラ、ぐずぐずすんな!!」

「てか、まだ食うの? お前」

 どんだけ食う気だよ、とげんなり顔の善逸が、立ち止まったままでいる炭治郎を振り返る。

「どうしたの? 行くよ?」

「…………」

「炭治郎?」

 炭治郎はかすかに躊躇ためらった後で、

「ごめん。ちょっと用があるから、善逸と伊之助は先に帰っててくれ」

 二人にそう言い残し、はやる心のまま、あかねとあかりの後を追った。

「あ……いた! あそこだ」

 別れてから少しっていたので追いつけるか心配だったが、相手は幼い少女の二人連れである。炭治郎の鼻の力もあって、すぐに追いついた。

 夕焼けの中、小さな影が二つ、仲良く手をつないでいる。

「あかねちゃん、あかりちゃん! ちょっと待って──」

「?」

 声をかけると、姉と妹がよく似た顔で振り向いた。

 二人とも不思議そうな顔をしている。


「鬼狩りのお兄ちゃん?」

「どうかしましたか?」


「ホオズキカズラについて、もっと詳しく教えて欲しいんだ」


 炭治郎が告げると、幼い姉妹はきょとんと見開いた目をそれぞれしばたたかせた……。

 

 

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