――小説を初めて書いたのはいつごろだったのでしょうか? きっかけとあわせてお答えください。
中学生の頃だったと思います。友達と遊んでいるときに何か物語を書いてみようという話になったことがあってそれで書き始めたんじゃないかと。
もともと父が推理小説好きということがあり、家で小説に触れる機会が多かったことや、僕が少年ジャンプを好きで読んでいて、なにか話を描いてみたいなと考えていたことがありました。ただ、漫画を描くほど絵がそこまでうまくなくて、小説を書くことの方に自然と興味が向いていきました。
――それはどのような形で書いていたのでしょうか?
形式でいうとリレー小説みたいなもので、何人かで続けて書いていこうという趣旨でした。ただ、思いつきで始めたので一人二人と脱落していってしまいまして......それでも最後までちゃんと書きたいなと思って書いたのが最初の小説でした。原稿用紙とかに書かず、大学ノートに横書きというすごく簡単なものでしたね。
――書かれた作品はどんな内容だったか覚えていますか?
最初は友達の話に合わせてうまくつないでという感じだったんですけど、最後は僕だけになってしまったので、話がだいぶ変わっていきました。最終的には女の子と黒猫のバディものにして推理小説テイストの作品になっていったはずなのですが、どんな結末だったのか全然覚えていないですね(笑)。
リレー小説を書いているメンバーで最後まで残ったのは僕ともうひとりの友達だけだったんですけど、そのもうひとりも途中からは文章を書かなくなって、読んでもらう専門になっていきました。最後まで作品を書き続けられたのは、その友達が僕の書いたものを読んで楽しんでくれているのが嬉しかったという部分もあります。
――自身に影響を与えた作品のタイトルと、好きだった点をあわせてお聞かせください。
もともとは父の影響で推理小説をよく読んでいたのですが、学校の図書室に置いてあった『セイバーマリオネット』シリーズを読んだことがライトノベルにハマるきっかけになりました。それまで家にあった父の持っている推理小説では会話が少ないし、文章も難しいし、頭を使わないと読めないという感じだったんですけど、この作品では会話量も多く、キャラの躍動感もすごくて、今までに読んだことのない本としてすごく影響は受けたと思います。こういうのも小説なんだという体験がありました。
あとは妹が好きな漫画家の杉崎ゆきる先生がイラストを担当されていた『サイケデリック・レスキュー』というシリーズが好きで高校生のときに読んでいました。イラストで興味を持った作品でしたが、主人公は過去に決死の状況から生還した経験から、緊急時に生存するための最適な行動を直感的に察する能力に長けていて、そのイメージ通りに身体を操る天性の運動神経と決断力を持っていました。僕が元々武道に通じる知識があったのと、アクションものが好きだったのもあって、結構重たい話だったんですけど、ドラマ性も高くて、いつの間にかにはまってしまっていました。そういうところは『セイバーマリオネット』の楽しい雰囲気とは違って面白いなと感じながら読んでいましたね。
――武術を習っていたとのことですが、もともとは体を動かす方が好きなタイプだったのでしょうか。
そうですね。結構活発な子供だったと思います。小学生の頃はサッカーをしたり、『ドラゴンボール』が流行っていたので、「修業するぞ!」という感じで山を駆け回ったりしていましたね(笑)。ただテレビゲームもやっていたりはして、どちらかというと勉強よりも遊び優先という感じでした。
中学生のときには色々と付き合う友達の幅も増えて、そういうところでライトノベルにふれる機会も多かったと思います。
家には父の好きな推理小説がたくさんありましたし、コナン・ドイルや内田康夫先生の『浅見光彦』シリーズなどは読み漁りました。昼は外で遊んで、夜は読書、みたいな子供時代だったと思います。
――プロデビューを志したのはいつ頃からですか? 最初からプロ志向だったのか、何かのきっかけがあったのか教えてください
大学時代に出会った友人が同人誌を書く際に、僕も頼まれて何ページか小説を書いたり、シナリオライティングのバイトをしていたりと、何かを書くということはちょこちょこやっていたのですが、本格的に志そうと思ったのは『鬼塚伊予の臨床心霊学』を書き始めた頃でしょうか。
大学を卒業して一度塾講師に就職したものの、高校時代に患った足の怪我が再発してしまい、手術やリハビリが必要になったんです。立ち仕事が多い塾講師だとバリバリ仕事が続けられなくなってしまって...それで時間を持て余すなら、卒業前に進路として考えていた大学院に進学して、研究をするのもありかなと考えるようになりました。ずっと立ったり、走り回ったりするわけではないので、リハビリと並行してできるかなと思ったんです。
ただ、研究が進めば進むほど辛くなってくる部分があって、大学院生の研究には実益が伴ってこないといけないんですけど、興味の赴くままに好きなことだけをやっているだけでは駄目だという状況の中で論文を書くのが嫌になってしまったんです。ただ、論文は書かなくてはいけないという気持ちはあったので、パソコンには向かい合っていたのですが、やはり筆が進まず、そんなときに楽しいことをしたいと思って書いていたのが『鬼塚伊予の臨床心霊学』でした。
結局、博士課程は論文を出さずに単位取得退学という形をとることになり、もう一度塾講師を始めることにしました。ただ、作品については、せっかく書いたんだし何かの賞に出してみようかなと考えまして。もともと書くことが好きだったんだし、受賞することができれば、物を書いて生きていく人生もありなのかなと考えたのがプロを志すきっかけだったと思います。
――プロデビューを志すきっかけが受賞作ということは他の賞などに投稿はされていなかったのでしょうか?
一度ジャンプ小説新人賞に応募したことがありました。大学院生のときだったんですけど、まわりにジャンプ好きが多くてみんなで「出してみようぜ!」という完全に学生ノリの流れで書きましたね。ただ、結局出したのは僕ひとりだけだったんですけど(笑)。それは一次審査を通ったところで落ちました。そのときは受賞のことなども考えていなかったので、むしろ僕の中ではすごいことだ、ぐらいに思っていました。
――なぜジャンプ小説新人賞に応募しようと思ったのかを教えてください
すごく単純に、本当にジャンプが好きだということがあります。あとは、乙一先生の小説が好きで、文庫版のものは全部読んだんですけど、乙一先生もこの賞の出身ということで「ここしかない!」と思いました。それと子供の頃から漫画自体が好きで、ノベライズもたくさんこのレーベルからは出てますし、何かしらの形でそこに関わることができれば嬉しいなと思って応募を考えたというのもありましたね。
次回更新は7月11日予定!!
原稿を送っていたことをすっかり忘れていて…
お楽しみに!!