――作品を書く上でどういったことに気を付けていますか? 自分のなかで大切にしていること、読者にどのような気持ちになってもらいたいと考えていますか?
わかりやすく、読みやすく、おもしろく。
デビュー前から今まで、常に意識していることがこの三つです。
わざと難しい言葉を使って、わかりづらくこねくりまわして長々と書いてある文章と、老若男女誰が読んでも理解できる言葉で簡潔に書かれた文章とだったら、私は後者のほうが優れた文章であると考えています。
日本刀のように鋭く切れ味のある文章。これが理想です。
もちろん、これは作家によって考え方が異なる部分なので、たとえば「読者にまるで迷宮にでも迷い込んだかのような感覚になってもらいたいから、自分はわざとわかりづらくこねくりまわして書いているのだ」という人がいたとしても、それがべつに悪いだとか劣っているだとか考えているわけではありません。
それはそれでいいのです。すべての作家が同じ文体で似たような文章ばかりを書いていたら、なんにもおもしろくないですからね。
ただ、やはりおもしろくしてもらわないと困ります。そこだけは譲れません。
なので、どんな人であろうと必ず一度は笑えるように、と思って書いています。とくに『ラッコ』や『斉木』のようなコメディをやるときは強く意識しています。
人を笑わせるのは難しいものです。泣かせるのは笑いとくらべると、ある程度パターンというものがあります。大切な人を失ったとしたら、そんなものは誰だって悲しいに決まっています。しかし笑いは違います。笑いのツボは人によってさまざまです。
文字だけで、どうすればすべての人を笑わせることができるのか。そのために、小説内にはあらゆるパターンのネタを仕込んでいます。多くの人がピンと来ずになにげなく読み飛ばしたところが、一部の人のツボに嵌るなんてこともありますから。
私はそんな一部の少数派であろうと決して切り捨てたりしません。見捨てたりしません。なぜなら、その人たちは世の中に数多くある本のなかから、あえて私の本を選んで手に取ってくれた人たちだからです。どうせ読むのなら、すべての人に本を閉じたあとに楽しかったという気分になってもらいたい。満たされた幸せな気持ちになってもらいたいのです。
だから、とにかくネタを仕込みます。自分でも思わず笑ってしまうものから、自分では笑わないけれど好きそうな人がたくさんいるであろうネタ、果ては書いている自分ですらもはや理解ができないなんだかよくわからないものまで片っ端から仕込みます。
読者の人生観を根底から変えるようななにか、などという大それたことを言うつもりはありません。ただ、明日一日を生きる糧になってもらえたら。たった一日でいいのです。
あなたの明日のために、私はすべての人生を懸けます。
――作品を書く上で、資料はどのようにして集めていますか? また、集めた資料はどの程度作品に反映されるのでしょうか?
興味のあることを本やネットで調べます。自分の中のひとつのルールとして、本に出すお金だけは惜しまないというものがあります。ほしいと思ったら値段を見ずに買います。
ウソです。さすがに値段は見ます。たまにはかっこいいことを言ってみたかっただけなんです。さすがにウソはよくないので、正直な話、値段を見てあまりにも高くて買わなかったこともあります。けれど、他のものとくらべて本に関してだけは財布のヒモがゆるいというのは確かです。「迷ったら買え!」くらいの気持ちでいます。
わりと節約志向の人間なのですが、本をケチるようじゃおしまいだと思っています。
本やネットで調べたことですが、それをそのまますぐに使うかというと、そうではないことのほうが多いです。今読んでいる本が、今書いている作品ではなく次回作か次々回作に活かされたみたいなこともふつうに起きます。
そもそも、私はあまり資料を集めるといった感覚で動いていません。気になったことや興味を持ったことは日頃から常に調べているのです。今はネットがあるので、すぐに調べられて便利です。そういうもののほうが、やがて活かされたり反映されたりしています。
何年も前、十数年も前に調べたり見聞きしたりしたことのほうが、むしろ使えるのではないでしょうか。とってつけたようなものではなく、自分のなかで知識として熟成しているもののほうが、やりやすいと思います。昔観たテレビで得た知識とかも役立ちます。
いざ「次回作ではこのジャンルに挑戦するから、資料として関連書籍を集めまくるぜ」なんて意気込んで集めた本は、意外とそのまま積読になってしまうことが多いです。
せっかく買ったのでパラパラと見たりはしますが、どうもそういう傾向があります。
買った時点で満足してしまうからでしょうか。そういうことありますよね。
ただ、その本も、もしかしたら十数年後とかに活かされるかもしれません。
――創作をしているなかで原稿に行き詰まることもあるかと思います。そんなときはどのように気分転換をしていますか?
おもむろにベッドに横になり、のたうちまわります。しばらくすると暇になってくるのでやめます。テレビでも観るかとリビングに行きます。自分の部屋にはテレビを置いていないのです。観る番組は映画やアニメだけでなく多岐にわたります。興味を持ったものなら、なんでも観ます。ただ、ドラマは毎週観るのが面倒くさくてあまり観ません。ドラマを観るのなら映画のほうが自分の性格や生活習慣に合っていていいです。基本的に二時間程度で終わってくれるので、一気に集中して観られるところがいいです。
あとはネットで動画を観たりしています。昔からの趣味である『アニメ鑑賞鑑賞』とかです。アニメを観ている人を眺めるという高次元かつ高尚な趣味です。
これ以上の気分転換となると、自宅では不可能でサウナや天然温泉が必要になります。
少し前までは、そもそもあまり気分転換とかそういったことを考えていなかったのですが、最近は意識してたまにスーパー銭湯のような場所に行くようにしています。
サウナ目当てなのですが、天然温泉もあるのが理想の場所です。
サウナは子供の頃から好きだったのですが、最近やっと水風呂に入る勇気を獲得しました。なので、今はサウナ、水風呂、休憩という流れを三回くらいくり返したのち、温泉にのんびり浸かるといった感じで利用しています。
そういえば自宅用のサウナ室みたいな広告を子供の頃に見て、大人になったら買おうとか考えていましたが、そんなもん置けるスペースなんてないんだよなあ......。
――これがなくては仕事にならない! というものはありますか? 普段の執筆環境について教えてください
貧すれば鈍する、という言葉があります。
極端な話、明日食べるものにすら困っているだとか、病気なのに医者にも行けない薬も買えないなどといった状況では、もはや小説を書いている場合ではなくなります。
大切なのは健全な肉体と精神なのです。
それを維持できるような執筆環境であれば、なんでもいいです。あとは、たとえばあまりにも猛暑がキツイとなればパソコンもダメになってしまうので、クーラーをつけさせてください。私が追加で望むことはその程度の贅沢です。
他の作家さんたちのインタビュー記事を見ると、みなさん格好良かったりオシャレだったりする写真が掲載されていますが、私の場合は驚くほど平凡な執筆環境なので羨ましいです。写真の代わりに手の内を明かしますので許してください。
机とベッド。それ以外の場所には本が山積みというのが私の部屋です。もう本を置ける場所がなくて困っています。けっこう前に床の一部を補強してもらったような気がするのですが、本の重みで床が抜けたりしないだろうかと、寝る前にふと考えます。
使っているのはNECの古いノートパソコン。作家になると決めたときに「日本語の文書といったらこれでしょ」と購入した一太郎と、付属のATOKで執筆しています。
使いやすくていいものです。が、どのみち私にできることは文字を打つことだけ。複雑な機能は、いまだに使えないのです......。
ノートパソコンの下には、有限会社マルダイの『すのこタン。』という製品を置いています。アルミニウム製の冷却台です。縁の下のエコな力持ちとして、長時間の執筆にともなう過酷な熱からパソコン本体や机を守ってもらうために長年愛用しています。
思えばこれらの品々は、本当に長いこと使っています。毎日いっしょに仕事をしているわけですから、まさに相棒のような存在ですね。
最初は、「道具にはとくにこだわりはありません。どんなものであろうと仕事はできます。以上」なんて答えようかと思っていたのですが、やっぱりずっと使っていて、ともに困難を乗り越えてきたものたちには愛着があります。
――小説を書く際に、小説を読むこと以外で役にたったことがあれば教えてください。
役に立ったことといえば、それは人生のすべてということになります。
人間、生きていれば、毎日楽しいことばかりではありません。つらいことや苦しいこともあるでしょう。不運な日も、理不尽な目に遭う日もあるでしょう。回り道をしたり、無為に過ぎていってしまう日々もあるでしょう。ときには、泥水を啜ってでも這って進み、意地だけで痛みに耐えて立ち上がらねばならないときだってあるでしょう。
それらの経験は意味のないものなのでしょうか。あってはならないことなのでしょうか。できれば嫌なことからは逃れたい。そんな経験はしたくない。それは当たり前のことです。
しかし、そういった経験は、本当に意味のないものなのでしょうか。
少なくとも、作家を志した者にとってはそうではありません。ひとたび作家を志したその瞬間、世界は変わります。人生のすべてが意味のあるものとなるのです。喜びも悲しみも、生まれてから死ぬまでのすべてが糧となり文字となるのです。
理不尽上等。回り道どんと来い。
そう言える心の鎧を身につけることこそが、作家というひとつの生き方なのです。
――今後どのような作品に挑戦したいか、また構想中の作品などあれば教えてください。
私はこれまで一〇冊の本を出しているのですが、実は文庫サイズの本を一冊も出していないので、つぎはぜひ文庫を出したいと思っています。
そして、いつか『ダッシュエックス文庫』でも一度は本を出せたらと考えています。『スーパーダッシュ文庫』時代から恋い焦がれています。「『スーパーダッシュ文庫』、俺が行くまで待っていろよ!」と思っていたら名前が変わってパワーアップしていました。
機会があれば、『集英社みらい文庫』でもなにか書きたいです。奥深い児童書の世界でも経験を積みたいです。
こんなことを言っていると節操がないと思われるかもしれませんが、そうではないのです。私は純粋無二の『作家』になりたいのです。
『ノベライズ作家』でもなく『ライトノベル作家』でもなく『SF作家』でもなく『ファンタジー作家』でもない、頭になんにもつかないただの『作家』。誰もが口を揃えて「あの人は間違いなく『作家』だ」と認めてくれるような、そんなすごい存在。それこそが私の目指すべきところ、理想の姿なのです。
しかし、まだまだ理想は遠いです。いつか自分の望む理想の姿になれるのか。これは、もはや人とくらべてどうこうという話ではありません。己との戦いなのです。
作家というのは職業というよりも生き方、もっといえば呪いのようなものとすら思っているので、この先の自身の生き様で証明していかねばなりません。
なので、今はまだ、『小説を書いているただの人』に過ぎません。
いつの日か、自分が心の底から納得できたとき、そのとき初めて自分は『作家』だと胸を張って名乗りたいと思っています。その日が来ることを夢見て、この先もいろいろなジャンル、作品に挑戦していきたいです。
――これからJUMPjBOOKSの小説賞に応募される方に応援メッセージをお願いします!
Jブックス編集部は、ジャンプ編集部と同じフロアにあります。基本的にジャンプ系列の作品のノベライズを刊行していますが、実はそれだけではありません。ここには、あらゆるチャンス、無限の可能性があるのです。
ノベライズだけでなくオリジナルのライトノベルも書きたい。それだけでなく一般文芸作品も書きたい。さらには漫画の原作もやりたい。スマホゲームのシナリオも書きたい。
全部OKです。その夢は、全部ここで叶えられます。そんな編集部、他にありません。
すべては、やる気と努力と実力次第。そこに、溢れんばかりのジャンプ魂が加われば無敵です。ジャンプ魂については、わざわざこんなところまで読んでくれているそこのあなたなら、すでに充分すぎるほど足りていますのでご安心を。
投稿された作品は、たとえどんな作品であろうと、プロの編集者が複数人で最初から最後まできちんと目を通してくれます。読まれもせずに落とされたなんてことも、最初の数行がつまらないから捨てられたなんてことも、ましてや私が審査をしているなんてこともありませんので、そこもご安心ください。
そうそう、私もつい最近気づいたのですが、考えているだけではいつまで経っても本は出ないのですよ? まずは書かなくては、それこそお話になりません。
『自分を拾ってくれた編集部が、自分が一番向いている場所』
そのくらいの気持ちで、まずは肩肘張らずに挑戦してみてください。ジャンプ魂も充分足りている今、必要なのは前へ進むためのほんの少しの勇気だけなのですから。
ひなた先生、ありがとうございました!!