――小説をはじめて書いたのはいつ頃だったのでしょうか?
ちゃんとワープロで書き始めたのは16歳の夏休みからでした。それ以前だと小学生の国語の時間に「お話をみんなで書いてみましょう」というような授業があって、そこで書いたことがあるぐらいでしたね。
――ジャンプ小説大賞に応募したときが16歳ということだったので、『夏と花火と私の死体』は処女作だったということでしょうか?
16歳の夏休みに初めて一本のファンタジー小説を書いてみたんですよ。ざーっと書き上げたんですけど、夏休みがまだちょっと残っていて、もうひとつ短めの作品を書いてみようと思って書いたのが『夏と花火と私の死体』でした。最初に書いたファンタジー小説の方は他の賞に送ったんですけど、それは一次選考も通らなかったですね。
――はじめて書いた小説はどんな内容だったのでしょうか?
ほとんど覚えていないのですが、異世界ファンタジー小説だったということだけは覚えています。『ドラゴンクエスト』のような世界観にしていたと思います。当時のライトノベルでは異世界ファンタジーを題材にしたものがすごく多くて、僕もそういうのが好きで書いてみたんです。
――現在もまた異世界ファンタジーを題材とした小説が流行していますが、それについてはどのように感じられていますか?
当時異世界ファンタジー小説を僕と同じように読んでいた、10代後半だった読者たちが書き手側に回っている感じがしますね。
――受賞作の『夏と花火と私の死体』は異世界ファンタジーとはかなり異なるホラーを題材にした作品になりますが、どのような経緯でこの作品が生まれたのでしょうか?
最初に異世界ファンタジーの小説を書いてみたときにうまくいかなくて、このジャンルは自分には無理かなと思ったんです。異世界ファンタジーを軽やかに他の作家さんみたいに書ける才能がないならば、そこを避けるようにしたほうがよいのかなと。それと、ファンタジーの応募作が多いだろうと予測して、ファンタジーじゃないものの方が選考員の目にとまりやすいのでは、と考えてジャンルはホラーにしてみました。
――受賞作を書くうえで参考にしたものをお聞きしたいと思います。何か参考にされたホラー小説はあったのでしょうか? また、『夏と花火と私の死体』はヒッチコック監督の映画を参考にしたという記述が当時の週刊少年ジャンプに掲載されていましたが、具体的にどんな映画だったのでしょうか?
ホラー小説はほとんど読んだことがありませんでした。当時読んでいたのはSFやファンタジー小説ばかりでしたね。
参考にしたヒッチコック監督の映画は『ハリーの災難』という映画で、当時はそのあらすじしか読んでいなかったんですけど、そのあらすじの中で死体を隠すという要素を見つけて、これはどんな映画なんだろうなというのを想像していたんですよね。それを参考にして『夏と花火と私の死体』を書いてみたのですが、当時は死体を隠すなんてそんなに珍しいテーマでもないのかなと思っていました。
――審査員の栗本薫先生や大沢在昌先生からは死体の視点からストーリーが展開するという部分について絶賛されていました。このテーマはどういうふうに考えられたのでしょうか?
そこを褒められるとは自分の中ではまったく思ってなかったんですよ。まず最初に一人称で書くか、三人称で書くのかを迷っていたんですけど、とりあえず一人称の視点で書いてみることにしました。そうすると、じゃあ誰の視点で書くのかということを考えて、殺される子の視点で書いたらみんな驚くんじゃないかと思って書いてみたら予想外にほめられたんですよね。ただ、選考員の先生の印象に残りやすいようにそういう選択をしてみたものの、特に栗本先生には「目立とうとして、こんなことしてバカなんじゃないのか」と怒られそうという怖さもありました。
――『夏と花火と私の死体』はヒッチコック監督の映画に影響を受けたということですが、今の作家生活にもつながるような部分で影響を受けた作品はありますか?
『羊たちの沈黙』が大好きで、思い出しながら小説を書くことがありますね。後は、ティム・バートン監督の映画もすごく好きで、バートン版の『バットマン』シリーズも繰り返しみていました。ああいうダークな感じが今の作風にもすごく影響を与えています。
――プロデビューを志したのはいつごろからでしょうか
16歳当時、高専に通ってたんですけど、人間関係を築くのがあまり得意ではなくて、このまま社会に出ていくことができるのかすごく不安だったんですね。それで何か手に職をつけようと思ったんですけど、将来一人でできるような職業として小説や漫画を書いて生活できたらいいなと想像していたんです。ただ、作家としてデビューすることは簡単にはできないだろうなと思っていて、できても30歳ぐらいかなという考えがありました。だったらそのために今のうちから小説を書く特訓をしていこうと思うようになって、小説を投稿するようになっていったんです。
――なぜ数ある賞の中からジャンプ小説・ノンフィクション大賞に応募しようと考えたのでしょうか?
当時の僕はライトノベルしか読んでいなくて、ライトノベル系の小説賞として僕の知っている賞が富士見ファンタジア大賞とスニーカー大賞とジャンプ小説・ノンフィクション大賞だけだったんです。でも、『夏と花火と私の死体』では富士見ファンタジア大賞とスニーカー大賞の応募規定の枚数の下限に届かなくて、ジャンプ小説・ノンフィクション大賞の規定が原稿用紙200枚以内だったということもあり、それで応募することにしました。
もちろん週刊少年ジャンプも読んでいて、漫画を小説にする仕事ができれば楽しいんじゃないかという考えがぼんやりありました。JUMP j BOOKSででデビューしたら漫画のノベライズ(小説化)の仕事ができるかもしれないというのは想像して応募していましたね。
次回更新は5月15日予定!!
小説を書くことへの壁にぶつかった乙一先生、いかにしてその壁を乗り越えたのか!
お楽しみに!!