――小説をはじめて書いたのはいつごろですか? きっかけと内容を合わせてお聞かせください。
高校生の頃です。はじめて書いた小説が、何かの偶然でそのままデビュー作になりました。
もともと、空想するのが好きなタイプの子どもでした。なので、自分で物語を作りはじめたのは自然な流れのように見えるかもしれません──が、中学生ぐらいまでは、外に向かって表現したいという気持ちは持っていませんでした。空想することは好きな一方、文章を書くことには、まだ興味がなかったように思います。物語自体に興味があって、それを表すためのツールには興味がなかった、という感じでしょうか。
小説を書くようになったのは、文章の手ざわりの心地よさや面白みが感じられるようになってからだったと思います。また当時はちょうど、部活にも入っておらず、受験勉強などもしておらず、土鍋の中でずっとぼんやりしているような生活を送っていたので、時間だけはたっぷりありました(笑)。
――はじめて書いた小説が『ジハード』に与えている影響や、引き継がれたエッセンスなどをお聞かせください。
はじめて書いた小説がデビュー作の『ジハード』だったので、影響というより何より、思春期の空想がそのままダイレクトに入った形になっています。
たとえるなら、机の引き出しにこっそりしまっていた妄想日記が、そのまま世間に公開されているような感じでしょうか。以前は、気恥ずかしい思いをすることも多かったです。
いまではもう、
(おっ、我ながらなかなか面白いお話書いてるじゃない)
と思えるようになりましたが。
そりゃそうです、自分好みの空想を自分好みの書き方で表現してるんだから、自分がいちばん面白く感じるのが当たり前です(笑)。
――自身に影響を与えた作品のタイトルと、好きだった点をあわせてお聞かせください。
いろんな作品に触れていましたが、小学校~高校あたりで出会って、デビュー作に影響があったものを挙げると──
『宇宙皇子』著:藤川桂介
史実を舞台にしたファンタジー作品に触れたのは、これがはじめてだったと思います。
そのときのワクワクした感じがそのまま、今のぼくが史実を舞台にファンタジーを書く志向に繋がっているかと。
ぼくは、ハイ・ファンタジー(完全な異世界物語)とロー・ファンタジー(現実世界で魔法等が登場する物語)の境界付近で書くのが好みなのですけど、その原点になっていると思います。
『百億の昼と千億の夜』著:光瀬龍
『ジハード』の主人公ふたりのキャラクターはもともと、シッタータと阿修羅王から来ています。投稿前の原稿では、さらにそのまんまでした。台詞まわしまでマネしていました。ただの趣味で書いていたので、それはそれで良かったのですけど。
で、投稿時にはこのままではまずいと思い、かなりキャラクターをこねくりまわした記憶があります。
ただ、素人が浅はかな考えで、
(こんな感じなら、きっとうけるだろう)
みたいに動かすと、どうも不自然な感じになってしまうものです。
のちに改稿した時には、かなり揺り戻した形で統一しました。
『悲しみの歌』著:遠藤周作
まぬけで臆病なのにもかかわらず、人が困っていると助けようとせずにはおられないガストンさんが、ものすごく好きでした。
その人間のかたちが、『ジハード』の主人公の要素に加わっています。
『蒼き狼』著:井上靖
文章が好きで、デビュー前後からよく書き写していました。『李陵』や『百億の昼と千億の夜』も、書き写しのお手本でしたね。筆ペンで自由帳に文字を書くのが好きだったので、趣味の一環でした。トレーニングのつもりはなかったのですが、これでかなり筋力がついた気がします(笑)。
『三国志』著:吉川英治
中学の頃、何度も何度も繰り返し読んでいました。
中国史に知識がなかったので、当時はファンタジーとして楽しんでました。
史実を舞台にファンタジー、という作風に、やはり繋がっていると思います。
『アルスラーン戦記』著:田中芳樹
異世界ファンタジーで、三国志のような国と国が争うタイプの物語にそれまで触れたことがなかったので、とても衝撃的でした。投稿前の『ジハード』は、主人公ふたりが剣で戦うヒロイックな感じが強かったのですが、この作品の影響で、国同士が争う歴史物的な方向にふれていったように思います。
『ロードス島戦記』著:水野良
RPG的なファンタジー作品に触れたのは、これが最初でした。ゲーム大好き人間なので、とてもはまりました。そんな中で、ヒロイックな感じに書いていた投稿前の『ジハード』は、この作品のモノマネをしていたような記憶があります。
『グレイルクエスト』著:J・H・ブレナン
当時、ゲームブックというものが流行していました。説明は、長くなるので省きます(笑)。この作品は、数多く出版されたゲームブックの中のひとつです。
ゲームブックでは、語り手の存在をなるべく感じさせないように、地の文をできる限り無個性・無機的にするのがセオリーになっていました。けれど、この作品だけは、本の中から読者に話しかけるような独特極まった文章で、とても印象的だったんです。
(物語にとって、ユーモアはけっこう大事なんだ)
と気づかせてくれた作品でした。
『読んで微笑む感じ』は今でもぼくにとって核と根本になっています。
『ファイアーエムブレム』ファミリーコンピューター用ソフト
こちらも、広い世界で国と国が争う、という物語で衝撃的でした。当時、そういうゲームは滅多になかったので。はじめて触れたのは、もうデビュー後だったと思うのですが、その後の展開に影響はあったと思います。
――プロデビューを志したのはいつ頃からですか? 最初からプロ志向だったのか、何かのきっかけがあったのか教えてください。
プロ志向という言葉が、ちょっと苦手なタイプかもしれません。
ぼくの場合、まず書きたいお話があって、それが今に繋がった感じでした。なもので、逆方向の「作家になりたいので、物語をひねり出す」という矢印の向きには、なんとなくしんどい感じを持ってしまいます。その方向だと、プロになった時点で疲れ切ってしまうのではないだろうか、と。
――小説賞に応募する以前、周囲の方に小説を読んでもらうことなどはありましたか?
書いたものを人に読んでもらうような度胸は、ぼくにはありませんでした。人の評価を聞きたくもありませんでした。誰もいない静かな土鍋の中で、自分の物語だけを考えていたいタイプだったと思います。
ちなみにこれは、今でもまったく変わっていません。AmazonやSNSなど、自分の名前で検索なんて無理です。むしろ絶対に近づかないようにしています。心が死ぬので(笑)。
――デビューするまでJUMP j BOOKS以外の新人賞には投稿されていましたか? 投稿されていた場合はその経験から得られたことを教えてください。投稿されていなかった場合は、他の新人賞に応募することを検討することはあったかをお聞かせください。
はじめて書いたお話が運良く取り上げていただいたので、当然ながら、ほかの新人賞に投稿した経験はありません。若者向けのファンタジーを受けいれてくれる新人賞がまだ少なかったので、選択肢はあまりなかったと思います。関係ないですが、『BEEP』というゲーム雑誌の物語企画?みたいなものにハガキをよく送っていた記憶はあります。そういうところにまで場を求めるぐらい、機会が少なかったのかも知れませんね。そんな中でデビューできたのだから、運が良かったのだと思います。
――なぜ第1回少年ジャンプ小説・ノンフィクション大賞に応募されようと思ったのでしょうか?
ぼくが応募した当時は、まだJUMP j BOOKSは存在していませんでした。なので、受賞作品の傾向などもなく、どのような作品が求められているのかもわかりませんでした。そんなわけで、(ここならぼくの作風に合っている)といった戦略やきっかけなども、当然ありませんでした。ドラマチックの欠片もありませんが、たまたま新聞で「少年ジャンプが小説新人賞をはじめた」という記事を見かけた、というのが実際のところです。それを見てふと、高校の頃書いていた物語を引っ張り出してみたのでした。
――受賞作『ジハード』を書いていた当時の話を聞かせてください。応募作はどれぐらいの期間をかけて書かれたのでしょうか? また、応募するとき自信や手ごたえはあったのでしょうか?
もともと高校生の頃に書いていた原型がありましたし、百数十枚程度の中編でしたから、さほどの時間はかかっていなかったと思います。一ヶ月弱ほどでしょうか。はじめて書いた小説でしたから、自信や手応えなどはまったく持ってませんでした(笑)。ただ、感覚的な話になりますが、ある程度短い期間で書き上げたものの方が、読む人の心に引っかかりやすい傾向はある気がします。あまり考えすぎるのもよくない、とプロになってからしみじみ思うようになりました。考えなさすぎるのは、もっとよくないでしょうが(笑)。
次回更新は4月17日予定!!
定金先生が語る受賞当時の思い出とは!?
お楽しみに!!