――小説を初めて書いたのはいつごろですか? きっかけと内容を合わせてお聞かせください。
2010年の夏ごろ、処女作を書きはじめました。
その年の春に東京から実家に戻りまして、以前よりも時間ができたものですから、書いてみようかなと思ったんです。
最初はサウンドノベルのようなゲーム性のある作品にして自分で実況動画を投稿しようと考えていたのですが、スクリプトなどの細かさに諸手を上げてギブアップしてしまいました。
内容は『ゾンビパニックで隔離された土地から脱出する』というゾンビもので、激しい銃撃戦やグロテスクな表現が多い、なんというかとんでもない作品でした。
流石に読み返すのも恥ずかしいのですが、登場したクリーチャーは受賞作の『丸ノ内 OF THE DEAD』でも活躍しているので、思い入れの強い作品ではあります。
――自身に影響を与えた作品のタイトルと、好きだった点をあわせてお聞かせください。
平山夢明先生の著作全般が該当するのですが、特に『東京伝説』シリーズは学生時代から愛読させていただいておりました。『オバケなんかよりも生きている人間のほうがよっぽど恐い』を地でいく掌編集で、眉間に針を突きつけられるような、ジリジリした感じがたまりません。
同先生の『DINER』も傑作なのですが、こちらはヤングジャンプでコミカライズされておりますのでよろしければ是非。
その他、秋田禎信先生の『魔術士オーフェン』シリーズなど。中でも無謀編に登場するキースというキャラクターが大好きでした。
JUMP j BOOKSから刊行されている『VSこち亀』のコラボ作品のひとつに『魔術士オーフェン』があったときには、思わずTwitterの告知を二度見してしまいました。
――プロデビューを志したのはいつ頃からですか? 最初からプロ志向だったのか、何かのきっかけがあったのか教えてください。
自作のサウンドノベル化を諦めてからは小説を書く=賞への投稿作を書く、という考え方に変わっていたため、わりと早い時期からプロデビューを志していたといえるのですが、プロになりたいというよりも、漠然と『受賞したい』という気持ちのほうが強かったです。
もう少し掘り下げますと、賞への投稿はジャンプ小説新人賞が主でしたので、正確には『受賞してジャンプに載りたい』という気持ちだったのですが。
念願叶って名前が載ったジャンプ(2015年の6・7号)は、今も大事に保管してあります。
――小説賞に応募する以前、周囲の方に小説を読んでもらうことなどはありましたか?
あった場合は他人に読んでもらうことの影響を教えてください。
投稿する前に感想をもらおうと、上述の処女作に加え、その後にも二作ほど読んでいただきました。回りに小説読みの知り合いもいなかったので、ニコニコ動画やTwitterで試読してくださる方をつのったんです。
自分ひとりでは説明不足、あるいは説明がくどくなっている箇所など、気づきにくい点もあるので、そのあたりを認識できたのがありがたかったです。
自分だけではなく読者も楽しめるものを、という意識を持つことにも繋がったので、読んでもらってよかったかなと思えました。厳しい意見だけじゃなくて、楽しんでもらえたならモチベーションも上がりますしね。
――デビューするまでJUMP j BOOKS以外の新人賞には投稿されていましたか? 投稿されていた場合はその経験から得られたことを教えてください。
処女作はKADOKAWAさんの『日本ホラー小説大賞』に捧げたものの、それ以降はJUMP j BOOKS一筋です。
『日本ホラー小説大賞』は一次選考すら通過せず落ちてしまったので、特に得るものもなかったのですが......強いていうなら、ホラー以外のジャンルもちゃんと読もうと考えを改めたことでしょうか。
そのころはKADOKAWAさんのホラー文庫と竹書房さんの実話系怪談ばかり耽読していたので、本棚が黒と白のツートンに染まっていました。パンダもびっくりというか、フレイザード※もかくやといった具合です(笑)
JUMP j BOOKSの本の背表紙が華やかなこともあって今はもう少し賑やかな本棚なのですが、当時は左右二色にきれいに分かれていました。
※『ダイの大冒険』に登場する敵キャラクター。身体の左半分が炎の岩、右半分が氷の岩で構成されており、中心を境にして色が2色に分かれている。
――ぞんちょ先生が応募されたのはジャンプ小説新人賞のキャラクター小説部門という、漫画家の先生に描いていただいたキャラクターのイラストを元に、小説を書いて応募するという部門でした。なぜ、この部門に応募しようと思ったのでしょうか?
『予めキャラクターの造形が決まっている』というのがとても魅力的でした。キャラクターの造形を考えるのがどうも苦手なんです。
主人公の外見を描写するときも髪の色しか書かないぐらいで、あとはもう、細かな装飾品を隠せるようにマントとかを羽織らせてました。学生なら学生服で済むので楽なんですが。
加えて、当時のジャンプ小説新人賞には『小説フリー部門』と『キャラクター小説部門』があったのですが、『小説フリー部門』のほうは年単位で改稿を重ねた力作が集まりそうだな、と及び腰になっていました。反面、『キャラクター小説部門』であればイラストが公表されたばかりですから、投稿者は全員同じスタートラインに立っているわけです。それなら自分でも通用するのではないか......と、ちょっと打算的な考えもちらつきました。
――お題となったシヒラ竜也先生のイラストからどのようにして受賞作『丸ノ内 OF THE DEAD』のアイディアが生まれたのでしょうか?
スタートは『いかにしてシヒラ竜也先生のお題イラストにゾンビを絡めるか』という、ゾンビありきのものでした。
男の子のほうは潜水艦のようなゴツいマシンに乗っているな、女の子のほうはやけに露出が激しいぞ......とキャラクター造形の意味を求めているうちに『浴びるとゾンビ化する雨が降る世界で、男の子のほうは絶対に濡れるわけにはいかない。でも、女の子のほうは濡れても平気』というアイディアが生まれました。
ついでに、アイディアを練る過程で本作のラスト近くにある変声シーンを思いついたので、『せっかくだから女の子には〈声を変えることができる〉特殊能力を持たせよう』と、ゾンビにならない代わりに変わった能力を持たせる設定になりました。
好きな声で喋られるって、羨ましいですよね。常にイケボな訳ですから(笑)
――応募作はどれぐらいの期間をかけて書かれたのでしょうか? また、応募するとき自信や手ごたえはあったのでしょうか?
たしかシヒラ竜也先生のイラストが公表されたのが2014年の4月末だったと思うのですが、5月一杯をストーリー作りに当てて、6月~8月を使って書き上げました。1日に見開き1枚(本でいうと2P)書き進めるペースで、8月の中旬に「了」の字を打った気がします。その後8月30日まで推敲して、31日に郵便局に持って行き、与えられた時間を目一杯使い切りました。
自信は思い出せませんが、手ごたえはあったように思います。受賞への手ごたえというより、小説を書くのがちょっと上手くなってきたぞ、という手ごたえでした。
この調子なら次はもっといいものが書けそう、とウキウキしていたのですが、先に新人賞をいただく運びとなりました! ありがとうございます!
次回更新は5月16日予定!!
ゾンビ小説を書く際のこだわりをお聞きしました。
お楽しみに!!