ずんぐりとした煙突が吐く白煙を引きずって、一列の雷車が走り抜けていく。
猿飛木ノ葉丸はシートに深く身を預け、茶色と緑だらけの風景が左から右へと流れていくのをぼんやりと眺めていた。山間をぬうように蛇行して敷設された鉄路はひたすらに長く、車窓が切り取る景色も変わり映えがしない。むせかえりそうに茂った木々の新緑に、ときおりハナミズキの白やピンクが混じる。
里に帰ったら、何食べようかなぁコレ……やっぱ一楽のラーメンか? それともたまには節約して、自炊にすっかなぁ……。
風影のもとへ届け物を持っていくという、単独任務の帰り道。
木ノ葉丸はすっかり気を抜いて、今日の夕食の心配をしていた。いついかなる任務であろうと常に油断せず……などと、いつもはボルトたちに偉そうに言い聞かせているものの、戦闘の可能性がほぼゼロのおつかい任務の帰路ともなれば、緊張感は控えめだ。
早く着かねーかな、コレ……。
アクビまじりにぐっと伸びをした木ノ葉丸は、離れた席に座る人影に気が付いて、ふと動きを止めた。
長く伸びた前髪で、顔半分を隠した男——うちはサスケだ。
いつもの黒マントに顔をうずめ、寝入っているようだった。
サスケさんがいるなんて、珍しいなコレ……定期報告かな。
木ノ葉丸は、眠るサスケの様子を、興味しんしんで眺めた。
少年のころから端正で有名だった顔立ちは、歳を重ねた今も衰えを見せない。目元にかすかに寄るようになったシワが、元来の整った容貌に渋みを添えている。そして、閉じたまぶたの裏側には、常人にはけして持ちえない一対の特別な眼——写輪眼と輪廻眼が潜んでいるはずだ。
世界最強の忍者のひとりで、しかもクールなイケメンとくれば、独身時代にはさぞかし多くの女性の心を惑わしてきたことだろう。本人がその状況を甘受していたかどうかは、また別問題だが。
まさかこんなところで、サスケさんにお目にかかれるとはなぁ。
木ノ葉丸は改めて、車内をぐるりと見回した。母親の膝の上ですっかり眠りこんでいる乳児に、どら焼きを半分こにしている老夫婦、旅行帰りとおぼしき若いカップル。乗り合わせた客たちは、忍の血なまぐさい世界とは無縁の、平和を謳歌する里人たちだ。
そんな人々の中にしれっと混じって眠っているのだから、気配の消し方も見事と言わざるをえないだろう。
木ノ葉隠れの里におけるサスケの立場は、非常にとらえがたい。ゲマキカードで激レアになるほどの有名人でありながら里にはあまり姿を見せず、公的には保護観察中の罪人である。味方も多ければ敵も多い——そんなうちはサスケが雷車に乗り合わせていることに周囲が気づけば、大騒ぎになることは必至なのだが、雷車内の誰ひとりとして、この男に気づかずにいた。
木ノ葉丸は、自分もひと眠りしようかと目を閉じた。窓ガラスにこつんと頭をぶつけて、もたれかかる。
次の瞬間——
ドォン!
爆音が響き渡り、車両が揺れた。驚いて目を開けると、窓の外に見える雷車の最後尾車両が、黒煙とともに炎を噴いている。
「爆発だ! 煙が!」
乗客のひとりが、悲鳴じみた叫び声をあげる。車内はたちまち、パニックに陥った
「イヤ———ッ!! 死にたくない!!」
「やめて! 押さないで!」
「逃げろ! 先頭車両だ! 早く!」
乗客たちは先を争って、狭い通路に殺到した。
「落ち着いてください!」
木ノ葉丸は通路に出て、声を張りあげた。
爆発そのものより、集団がパニックになることのほうがまずい。
「私は火の国の忍者です! 爆発は最後尾の車両! ここからはかなり離れています! みなさん、落ち着いて冷静に……まずは自分の席で待機してください!」
先頭車両へと誘導すべきか迷ったが、もしこの爆発が人為的なものであるとしたら、操縦機関のある先頭車両は狙われやすい。
車内はいつの間にか、静かになっていた。木ノ葉丸の指示によって、乗客たちは多少の秩序を取り戻したようだ。
「私は現場の状況を見てきます。まもなく雷車は停止すると思いますので、完全に止まりきったら、最低限の荷物だけ持って外に出てください。くれぐれも、パニックを起こさないように!」
てか、サスケさんは?
ふと気が付いて車内を探すが、サスケの姿はどこにもなかった。すでに爆発現場に行ってしまったらしい。サスケはどうやら、乗客たちをなだめることより、火災を鎮火させることを優先したようだ。
自分が後れを取ったことに気づき、木ノ葉丸は大慌てで窓を開けて屋根へ登ると、爆発の起きた最後尾の車両へと急いだ。
*****
最後尾の十二号車へとやってきた木ノ葉丸は、驚愕して立ち尽くした。
激しく炎上していたはずの車両が、なぜか、丸ごと——氷漬けになっているのだ。凍りついた窓を蹴り割って中に入ると、ヒュウと頰を刺すような冷気が吹きつけてきた。
うちはサスケは、渦巻く冷気の中央に立っている。
彼のかざした手の先で、最後までくすぶって座席の木枠を燃やしていた赤い火が、みるみるうちに氷に覆われて消えていった。
「サスケさん……これは一体……」
「木ノ葉丸か」
振り返ったサスケは、凍てついた車内を目で指して言った。
「見ての通りだ。鎮火した」
「ち、鎮火……まあ、確かに、火は消えてますけど……」
最後尾車両は丸ごと一等席になっていて、他の車両とはずいぶん作りが違っていた。ゆったりとした幅広のソファが向かい合うように作りつけられ、各コンパートメントは重厚なオークの壁で仕切られている。天井は、爆発の衝撃で無残にひしゃげていたが、砕けて床に転がったファンつきの照明具は、細かな彫刻の施された高級品であることが見て取れる。いずれの調度品も爆風で湾曲し、焼け焦げたうえに、今は氷漬けになって見る影もなかった。
「水遁による消火では、高温の水蒸気が生まれてしまう」
圧倒されている木ノ葉丸に、サスケが言う。「だから、水遁に風遁を組み合わせて、発生する水蒸気ごと凍らせた」
「水遁ならぬ〝氷遁〟、ってことですか……」
「近いが、そのものではない。昔、戦った相手がやっていたのを真似た技だが、奴の威力にはまるで及ばん」
及ばない? これで?
床から天井まで一分の隙もなく凍りついた車両を見上げ、木ノ葉丸は白い息をついた。水遁と風遁の組み合わせ——言うのは簡単だが、異なる二つの性質変化を同時に発動させ組み合わせるのは、けして簡単なことではない。
その時、戸口のほうから「ひゃあっ!」と短い悲鳴が聞こえてきた。
「な、ななななな、なによこれ……」
立っていたのは、赤い髪をショートカットにした、十代半ばくらいの少女だ。耳にピアスをじゃらじゃらつけ、両手のネイルもラインストーンやらなんやらでごてごてと飾られている。
「なんで、あたしの席が、凍ってんの……?」
「この車両で爆発があったので、鎮火のための処理です」
木ノ葉丸が言うと、少女が目をむいて叫んだ。
「爆発っ!? いつ!?」
「ついさっきです。車内にいたのに気づかなかったんですか?」
「なんかみんなバタバタしてんなーとは思ったけど……あたし、音楽聞いてたし」
確かに少女の両肩には、オレンジ色のイヤフォンが引っかかっている。
サスケが一歩前に進み出て、抑揚のない声で少女に聞いた。
「今まで何をしていた?」
「何って……小腹がすいたから食堂車で、えーとパスタとー、エスカルゴとー、あとパンナコッタ食べてー、そんでお水テイクアウトして帰ってきたのよ」
そう言って少女は、手に持った炭酸水のグラスを見せつけるように掲げた。
「他の乗客はどうした?」
「あたしだけよ。ここ、一等車だもん。車両全部貸し切りなの!」
胸を張る娘の顔を、木ノ葉丸はまじまじと見つめた。
……この少女が、たったひとりで一等車に?
「何よその顔」
うさんくさそうな木ノ葉丸の表情に気づいて、少女が口をとがらせる。
「未成年がひとりで雷車乗ってたらダメなわけ?」
「いえ、そんなことは……」
「バカにしないでよね、お金ならあるんだから! あたしはねぇこう見えても……」
「木ノ葉丸、ここへ来る途中に不審者の気配を感じたか?」
ごちゃごちゃ言おうとした少女をさえぎって、サスケが聞く。
木ノ葉丸は首を横に振った。
「いえ……屋根伝いにここまで来たので、車内の様子までは分かりませんでした」
「この車両に爆弾を仕掛けた犯人は、まだ車内にいるはずだ」
サスケは落ちていたガラスの破片を、木ノ葉丸に投げてよこした。
窓ガラスに使われているものとは明らかに違う、ゆるく湾曲した薄手のガラス片。時限式爆弾に使われる信管の一部だと、木ノ葉丸は受け取ってすぐにピンと来た。
これを使って爆発を起こしたのだとすれば、確かに、忍術を扱えない一般の里人による犯行と考えたほうが自然だ。そして、犯人が忍でないのなら、最高速度で走り続ける雷車から逃げおおせるわけがない。
つまり、爆破犯はまだ車内にいるということだ。他の乗客に危害を加える前に、至急、確保しなくては。
木ノ葉丸が動き出そうとした瞬間——
ドォン!
またも爆発音がした。
「今度は先頭車両です!」
窓の外をのぞきこみ、木ノ葉丸が短く叫ぶ。
「雷車の速度が上がったな……」
外の景色に視線を走らせたサスケは、そうつぶやくや否や、窓枠に足をかけ、車両の上へと登った。
「サ、サスケさん……!?」
サスケは車両の上をすごい速さで移動して、あっという間に先頭車両にたどり着くと、もうもうと塊になって立ち上る煙の中に躊躇なく飛びこんでいった。
落ち着け。
木ノ葉丸は自分に言い聞かせた。緊急時こそ連携が大事だ。
二度目の爆発後にスピードが上がったということは、破壊されたのは速度を調整するコントロールパネル周辺である可能性が高い。だとすれば、即座にかつ安全に雷車を止めるには、動力部を停止させるしかないだろう。それにはサスケの氷の技が有効だ。そして、サスケが雷車停止のために動いているのなら、一方の木ノ葉丸の仕事は必然的に、車内の爆破犯を捕まえることになる。
——という結論にたどり着くまでに、木ノ葉丸が要した時間はおよそ二秒。
サスケのような一流の忍者と行動できるのは非常に貴重な経験だが、なにしろ術の規模も判断の速さも段違いなので、ついていくだけで大変だ。
……ともかく、自分は、車内にいる爆破犯を確保しなくては。
車両を出ていこうとした木ノ葉丸は、ふと気が付いて、振り返った。
一等車両客のあの少女が、氷の壁を物珍しそうにつんつん突いている。
「……絶対にこの車両から動かないでくださいよ。あぶないですから」
「オッケ〜」
少女はゆるい返事をすると、氷漬けの壁から垂れたつららをパキンと折り、マドラー代わりにして炭酸水をからからとかき回した。
大丈夫か、こいつ……いや、でも構ってる余裕ないしなコレ……。
そこはかとない不安を覚えつつ、木ノ葉丸は十一号車へと足を踏み入れた。
二等席が並ぶ十一号車はもぬけの殻で、座席や通路にカバンやら何やらが散乱していた。
乗客たちはすでに、前のほうへと避難したのだろう。すぐ後ろの車両で爆発が起きたのだから当然だ。
木ノ葉丸は、周囲に注意を払いながら通路を進み、十号車へと入った。
この車両も、全員避難したあとで、誰もいない……かと思いきや、座席の隅に縮こまるようにして震えている女の背中があった。
「あの、大丈夫ですか?」
木ノ葉丸が声をかけると、女はビクリと肩を震わせて振り返った。涙で顔をぐしゃぐしゃにして、胸に赤ん坊を抱いている。
どうやら恐怖で動けずにいたようだ。
「あ、あなたは……?」
「木ノ葉隠れの里の忍です。先ほどの爆発は、すでに鎮火しましたのでご安心ください」
「あぁ、よかった……それじゃあ、私もこの子も、助かるんですね!?」
「えぇ。落ち着いて座席に座って、待機していてください」
そう伝えて先へ進もうとした木ノ葉丸を、女は「待って!」と呼び止めた。
「お願い、お願いです、ひとりにしないで! 私、怖くて怖くて……」
「あの、落ち着いてください」
まいったな、早く爆破犯を探さないといけないのに……。
困りつつ振り返った木ノ葉丸めがけて、女が、突然、抱いていた赤ん坊を放り投げた。
……え?
「あぶね!」
つい飛び出して両手でキャッチしてしまい、マズイと思った時にはもう遅い。ボン、というにぶい音とともに赤ん坊は深紫の装束を着た忍者の姿になって、鼻の先にいる木ノ葉丸に向かってクナイを突き出した。
身体をのけぞらせてなんとかかわすが、頰をかすめて血が噴き出る。
赤ん坊は忍者の変化!
ということは、母親もグルか。
思った瞬間、真後ろから背中を蹴り上げられる。いつの間にやら母親も忍者へと姿を変え、吹き飛んだ木ノ葉丸の脇腹に向かって右アッパーを打ってきた。
「弱者のフリして油断させるなんて、性格悪いんじゃねーのコレ……!」
ダン!
木ノ葉丸は勢いよく天井を蹴り、体勢を変えて元母親のアッパーをかわした。左に迫っていた元赤ん坊のクナイは、避けきれそうになかったので手甲で受け、その勢いのまま裏拳で顔面を殴打する。
と、視界の端にキラリと光るものが見えた。——手裏剣!
木ノ葉丸は飛びすさって、通路の奥まで距離を取った。
二人の忍者と、改めて対峙する。
ひとりは初老の男だ。赤ん坊に化けていた名残で、首のまわりにはまだよだれかけが巻かれている。もうひとりは身体つきから察するに男性だろうが、顔を布で覆っているので人相が分からない。左目の下にあるほくろだけが、唯一の個性だ。
お互いに武器を構えたまま、じりりと警戒し合う。
「身のこなしから察するに、上忍の方とお見受けする」
よだれかけを巻いているほうの男が、おもむろに口を開いた。
「さあ、どうだろうねぇ」
敵に情報を与えるのを避けて、木ノ葉丸ははぐらかした。
「木ノ葉の忍者はみんな強ぇからな、コレ。オレみてえなのはまだ中忍にもなれてねえかもしれねえぜ?」
「ご謙遜を。巡り合わせに感謝しますよ」
「は?」
「まさか上忍を直接殺せる機会を賜ろうとは」
強気か。木ノ葉丸は内心で吐き捨てて、ちらりと車窓の外へと目をやった。
わずかだが、速度が落ちている。先頭車両のサスケが、機関部を凍らせて停止させているのだろう。
サスケさんが戻ってくる前に片づけて、いいところ見せてえな、コレ……。
「あなたが出るまでもありません」
ほくろの男が、よだれかけの男の一歩前にすっと進み出ていった。
「この男は、我々で始末します」
「我々?」
木ノ葉丸が、聞きとがめたのとほぼ同時に——
背後の、九号車につながる扉が開いて、新たな紫色の影がゆらりと姿を現した。
「もうひとりいやがったか……!」
木ノ葉丸は飛びすさる。
これで三対一……と思ったのも束の間。
新参者の背後に、もうひとり、紫装束の忍者がいた。そして、その後ろにも、さらにその後ろにも。
四対一、五対一、六対一、……十二対一。
生け捕り希望、なんて言ってる場合じゃない。十二人もの忍者に半円状にぐるりと囲まれ、あとずさった木ノ葉丸は扉にトンと背をぶつけて立ち止まった。
いやいや、ちょっと待て。
この狭っ苦しい車内で、この人数を相手に戦うのか?
「ちょ、タンマ……」
十二人の忍者たちの斬撃が、三方から木ノ葉丸に襲いかかる。囲まれすぎて、逃げるスペースももはやない。
影分身——いや、この狭さで乱戦になるのは危険だ。
わ、まじ、どうするコレ……!?
目の前に迫った敵のクナイを、とりあえずかがみこんでかわす。
その頭上すれすれを、すさまじい熱風がかけぬけた。
紅蓮の炎に追いたてられ、男たちがひるんで後退していく。
これは——火遁・豪火球の術。
「うちはサスケ……!」
ほくろの男が、燃えさかる炎を払いながらあえいだ。
サスケは、床にかがんだままの木ノ葉丸をかばうように立ちはだかると、背を向けたまま「状況は?」と短く聞いた。
「車内の敵は、おそらくこれで全員です。リーダー格は、よだれかけをつけたあのジジイ。彼らの背後にはもっと大きな組織がいる可能性もありそうです」
「生け捕りだな」
「はい」
木ノ葉丸が返事をした次の瞬間、サスケの姿が消えた。
はっと気が付いた時には、端にいた紫装束の男が、ぐらりと身体を泳がせている。男が床に倒れこむと同時に、その隣の男も膝をついてがっくりとくずおれた。
あっという間に、二人を倒してしまった。
「ここは我らに……!」
別の男が、よだれかけの男をかばうように立ちはだかる。サスケは無言で、隠し刀を鞘に入れたまま突き下ろした。
男はリーダーをかばって、サスケの一太刀を手甲で受けた。しかし、こらえきれるわけもなく、軽く吹き飛んで壁に叩きつけられる。
圧倒的な戦力差。
よだれかけの男は一瞬の逡巡ののち、窓に突進した。
パリィン!
ガラスを割って、外へと飛び出していく。
「あっ、待てコラ……!」
木ノ葉丸は、サスケのほうをちらりと見たが、よだれかけの男を気にするそぶりはない。
……てことは、こっちがオレの担当か。
木ノ葉丸はよだれかけの男を追って、窓の外へと飛び出した。
*****
サスケは、峰打ちや手刀で、敵を次々と気絶させていった。
移動速度ひとつ取っても桁違いのレベルなので、何人いようとまるで相手にならない。紫装束の爆破犯たちは、サスケの動きを目で追うことすらできぬまま、バタバタと倒れていく。
ものの数分も経たないうちに、立っている紫装束はたった二人になってしまった。二人のうちひとりは、母親に化けていた、あのほくろの男だ。
「…………」
サスケが降伏を促すように、ほくろの男の顔を見つめる。
「クソッ……」
ほくろは、舌打ち混じりに、短い印を結んだ。
グボッ!
突然、サスケの足元の床から、鋼でできた角状の柱が生え出た。鋭くとがった切っ先がサスケめがけて勢いよく伸びる。サスケはひらりと身をかわし、よけたついでに近くにいた男のアゴを殴って気絶させた。
鋼の柱は、一瞬にして雷車の天井を突き破り、うねりながら天に向かって伸びていった。
見たことのない忍術だ。なかなかの威力だが、サスケの敵ではない。
ともかく、これで、あとひとり。
最後に残ったほくろの男を、サスケは底知れぬ黒い瞳で、まっすぐに見据えた。
「くっ……来い、うちは!」
ほくろの男が、ヤケクソのように背中の剣を抜いて構えた、その時。
「ねぇ、なんか雷車止まってなーい?」
場違いに、能天気な声が響いた。
ほくろの男の背後のドアが開き、一等車に乗っていた少女が、ひょっこりと顔をのぞかせている。
「逃げろ!」
サスケが叫ぶと同時に、ほくろの男が床を蹴る。少女に向かって突進し、細い身体を抱え上げた。
「……へ?」
事態を把握できず、少女がきょとんと首を傾げる。
サスケがとっさに投げたクナイが、ほくろの男の腹に刺さった。しかし男の動きは止まらず、少女を窓に向かって、ボールのようにぶん投げた。
「きゃあああああッ!! 」
ガシャァン!
窓ガラスが割れ、少女は車外に放り出される。
「チッ……」
サスケは舌打ちとともに、窓を蹴り壊して飛び出した。少女の身体を空中でキャッチして、地面に着地する。
「なななななんなのっ!? 怖すぎんだけど! なんなのあの男!? チョー死ぬところだったんですけど!?」
これだけ騒げるならたいした負傷はないだろう。それより問題は、あのほくろだ。
サスケは小脇に抱えた少女をその辺の茂みの上にぼさっと落とすと、車両のほうへ向き直った。
飛び上がって窓枠に足をかけ、中をのぞきこむ。
——案の定、ほくろの男は自決していた。
車内は、天井まで真っ赤に染まっていた。ほくろの男は血まみれで、壁に寄りかかるようにして座りこんでいる。首筋の出血から察するに、床に落ちたクナイで搔っ切ったのだろう。足首の先がかすかに痙攣しているが、見開かれた両眼は完全に瞳孔が開ききっていて、もはや絶命しているのは明らかだ。
やられたな……。
サスケは、床にうつぶせに倒れた別の男をひっくり返した。左胸にクナイが刺さり、血がにじんでいる。他の男たちも調べたが、同様に、みなトドメを刺されて死んでいた。ほくろの男が、情報の流出を恐れて、殺したのだろう。
サスケは忌々しげにため息をついた。爆破犯とはいえ、人が死ぬのは本意ではない。犯人たちについての情報を聞き出すことが不可能になってしまうし、なにより現火影が、人が死ぬことを嫌がる。
木ノ葉丸が追いかけた、あのリーダー格の男だけでも、せめて捕まえることができればいいのだが。
サスケは十一体の死体に背を向け、車両の外へと降り立った。
先ほどの少女が、土の上にぺたんと尻もちをついて、へたりこんでいる。その瞳はかぼそく震え、驚愕に揺れていた。
「……どうした」
尋常ならざる少女の様子に気が付いて、サスケは声をかけた。
「あ……あ……」
声をわななかせ、少女は、震える指を持ち上げた。
指の先を追って振り返り、サスケは、自分の最後の望みがもはや潰えていたことを知った。
車内で男たちと戦った時、ほくろの男が繰り出した鋼の忍術。床から生えた鋼は座席をねじり倒し、天井を貫通して、するどく天に向かって伸びている。
伸びた鋼の切っ先に、あのリーダー格の男が、串刺しになっていた。
百舌鳥が枯れ枝に刺した早贄のように。
*****
車外へと飛び出した木ノ葉丸は、逃げるよだれかけの男の背中に向かって、声を張りあげた。
「待てってコレ! どうせ逃げらんねえんだから降伏しろ!」
よだれかけの男は、線路脇に広がる森のほうへ逃げこもうとしている。
木ノ葉丸は、手首の内側につけた科学忍具のツマミを回し、射出口から飛び出た小さな巻物を握りしめた。
中に収納されているのは、雷遁による電流攻撃。ただし、並みの忍者に使っても殺さずに済み、なおかつ身体を麻痺させ動きを止められる程度に計算された強さのもの。
木ノ葉丸がかざした手のひらから、電撃が放たれる。バチバチと音を立てながら、金色の竜のように宙を駆け、よだれかけの男の背中を直撃した。
バチバチィ……!
男がつんのめり、びくりと身体を震わせた——が、すぐに持ち直し、何事もなかったかのように走り始めてしまう。
あれ? 不発か???
木ノ葉丸は、頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにしながらも、とりあえずよだれかけの男を追いかけた。先ほどの電撃は、科学忍具班の測定のもと、確実に相手を殺さずに麻痺させるだけの電流を、計算して用意されたものだ。そして、電撃は確かに男に当たった。
……まさか、電流に耐性があるのか?
考えながらも、木ノ葉丸は雷車の上によじ登り、迅速に鎖鎌を放った。鎖の先端についた分銅が、よだれかけの男の足をとらえる。
まずは接近戦に持ちこむぞ、コレ!
木ノ葉丸はぐいと鎖鎌を引いた。
ぶわん、と男の身体が宙に浮く。
弧を描いて引き寄せられてきたよだれかけの男は、その勢いをカウンターに、木ノ葉丸の顔面めがけて拳を打ちこんだ。木ノ葉丸は左手でガードして、近くに来た男の頭を両手で抱えこんだ。自分の頭も割るくらいのつもりで、思いっきり頭突きをかます。
ドゴォッ!
音と衝撃が、もろに頭がい骨を揺らす。
痛む鼓膜に耐えて、木ノ葉丸は素早くチャクラを練り上げた。
——螺旋が……
一瞬早く、男が首元のよだれかけをはぎ取った。よだれかけを握りしめたまま、木ノ葉丸の足首をむんずとつかむ。足首に、布地とは明らかに違う、小さな固い感触が当たった。
しまった!
木ノ葉丸が足首をよじりかけた瞬間——
ボン!
よだれかけが爆発した。
右足に激痛が走る。とっさに足を引いて直撃は逃れたものの、爆弾の破片がふくらはぎにもろに刺さり、いくらかは肉塊になって辺りに散った。
もちろん、素手で爆弾を押さえていた男の右手はきれいに吹き飛んでいる。男は手首から先のなくなった腕を、木ノ葉丸の顔面に向かってブンと振り回した。
男の手首から噴き出た血が、木ノ葉丸の両目にまともに入る。
「……っ!」
両目に耐えがたい痛みが走る。しかし木ノ葉丸は根性で目を開け続け、ゆがむ視界に目を凝らして、男の右腕をねじり上げた。
「お前ら、目的はなんだ! なんでこの雷車を狙った!」
「目的か?」
男が、挑発的に目を眇めた。
「そうだな、直近の目的は……お前を殺すことだ! 木ノ葉の忍!」
男が、木ノ葉丸を蹴り飛ばす。
右足にダメージを負った木ノ葉丸の身体は、たやすく揺らいだ。しかし反動で、男自身も、後ろによろめいた。
——今だ!
木ノ葉丸は、手のひらにチャクラを集中させた。
今度こそ、螺旋が……
次の瞬間、よだれかけの男の身体を、黒々とした鋼の柱が貫いた。
「がっ……!」
男が吐いた血が、宙に散る。だらりと投げ出された両足が、虚空をかきながらひくひくと痙攣する。
「……っ!!」
木ノ葉丸は、足を引きずりながら、男の顔のほうに回った。
鋼の柱は、車両の天井を突き破って生えていた。中で誰かが忍術を使って繰り出したのだろう。
男は、白目をむいて、頰を引きつらせていた。だらりと垂れた舌の裏から、細かな血泡が湧いている。垂れた血液の最初の一滴がぽたりと落ちて、木ノ葉丸の靴に染みを作った。
死んでる。
「クソォ……」
そうつぶやくと同時に、木ノ葉丸はふらりとその場に倒れた。ふくらはぎに刺さった金属片を、ヤケクソ混じりに一枚引き抜く。
サスケに合わせる顔がない。
情報を得られなかったうえに、敵を死なせてしまうなんて。