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約束のネバーランド~ノーマンからの手紙~

約束のネバーランド~ノーマンからの手紙~

原作:白井カイウ
作画:出水ぽすか
小説:七緒
ノーマンは出荷当日である11月3日、森の中で脱獄を成功へと導くための手紙を書いていた。その最中、彼にGFハウスでエマ達と過ごした懐かしい想い出が蘇る。今はもう戻ることの出来ない、ノーマンたちのGFハウスでの温かくも切ない日々を初ノベライズで解禁!!

 

──プロローグ──

 

 親愛なるエマへ。

 この先の計画をここに記す。

 

 森の中、ノーマンは真っ白な画用紙にそう書き出した。

 かたわらでは、スケッチブックをひざに置いたイベットが、小さな足を揺らしながら絵をいている。

 11月3日、午後。森の中を乾いた秋風が吹き抜け、カーディガンをっていても少しはだざむいほどだ。いつの間にか、季節はこんなにも進んでしまっていた。

 ノーマンは枝の間から空をあおいだ。ゆっくりと雲が流れていく。

へい』の向こうに絶望を見てきたはずなのに、不思議と心は落ち着いている。

 今日の夜、自分は〝出荷〟される。

 それはもう、初めから心に決めていたことだった。

「ねぇノーマン? 何描いてるの?」

 隣に座っていたイベットが、ノーマンを見上げた。ノーマンはその無邪気な笑顔に笑い返した。

「手紙だよ」

 イベットはうなずき、「私はあの木を描いてるの!」と楽しげに鉛筆を走らせる。

 幼い妹や弟達は、まだこのハウスの正体を知らない。

 ノーマンは森の向こう、ハウスの屋根を振り返った。

 自分達が暮らす、このGFグレイス=フイールドハウスはずっと、平和な孤児院だと思っていた。血はつながっていないが仲の良い兄弟姉妹達と、優しいママとともに幸せに暮らしていた。

 だが、違った。

 ノーマンは鉛筆を持つ手を止める。

 あの晩、自分達はそれを知った。

 

 10月12日、その夜、里親の決まった妹のコニーがハウスを旅立った。

 ここにいる子供達はみな、12歳になるまでに里親を手配されハウスを出ていく。11歳になっている最年長は、自分と、エマ、そしてレイの三人だった。

「コニーもいよいよ今日で最後かぁ……」

 最後の日の自由時間、妹のかどを祝福しながらも、エマはさびしそうに胸に手をやった。彼女の明るいオレンジのくせ毛が、ふわりと風に揺れる。レイはその日も、われ関せずで一人読書をしていた。

「また僕らせんを越されちゃったね」

 そう答えつつ、ノーマンは心のどこかでほっとしていた。エマとレイとは、物心ついてからずっと一緒にいる家族であり兄弟であり、親友だった。

 運動神経が良く、家族思いで、いつも明るいエマと、物知りで現実主義、ちょっとひねくれ者のレイ。まつたく性格の違う三人だったが、エマとレイとは、何をするにもまるでぴたりと息が合っていた。お互いにない部分を補い合える、そんな存在だった。

 だがエマもレイも、そしてノーマン自身も、近い将来この施設ハウスを出る時が来る。

 新しい家族が見つかることは、喜ばしいことだ。そう思いながらも、離れ離れになる日を思うと、やはり寂しさの方がつのった。ずっと、一緒にいられたら……。ハウスを旅立っていく誰に対しても、その気持ちがないことはない。

 夜、玄関でコニーを見送った時も、ノーマンはそう思っていた。

 エマの声が聞こえてきたのは、その後の掃除時間のことだった。用具入れからホウキを取り出そうとしたノーマンは、その大きな声にびっくりして振り返る。

「コニー!? ええぇっこんなウッカリありえる!?」

 ホウキを持って食堂に入ったエマは、そのテーブルに、コニーが肌身離さず大事にしていたウサギのぬいぐるみ、リトルバーニーが忘れられているのを発見したのだ。

 リトルバーニーは、コニーの6歳の誕生日に、この施設のママであるイザベラが、手作りしたものだ。ママのことが大好きだったコニーは、旅立つ前そのぬいぐるみを抱きしめ『この子がいれば大丈夫。大人おとなになったら、ママみたいな〝お母さん〟になりたいんだ』とそう話していたばかりだ。

「ど……どうしよう……」

 途方に暮れるエマに、食堂にやってきたレイが言った。

「さっき風呂場の窓から、遠く門にあかりがついているのが見えた。見送りについて行ったママも戻ってきていないし、まだコニーは出発していないんだと思う」

 それを聞いて、届けられると思った。ここから『門』まで、走っていけば時間はかからない。困り顔のエマへ、ノーマンは声をかけた。

「届けてやろう」

 本来、夜にハウスの外へ出てはいけない。イザベラは今夜ももちろんまりをしていた。だが勝手口の扉の鍵は難しい仕組みではなく、自分なら針金だけで開けられた。『門』までの道も、自分達三人は小さい頃に探検と称して向かったことがある。いつもは近づいてはいけない場所だが、『門』自体は遠くからでもわかる、大きな建物だ。ハウスの外にさえ出られれば、やみの中でも迷わず着けるだろう。

「〝コニーの気持ちを考えたら、早い方がいい〟──だろ?」

 その内心を代弁すると、エマは大きく頷き返した。

 そうしてエマと二人、こっそりと『門』へやってきた。そこで自分達は、この世界の〝真実〟を知った。

 残酷な〝現実〟を。

「コニー?」

 てつさくの扉が開いた中には、トラックが一台まっているだけで誰の姿もなかった。エマの声が、頼りなげに反響する。リトルバーニーを抱いたエマは、荷台にせておけばと、ほろのかかったその中をのぞんだ。

 その手から、地面にどさりとリトルバーニーが落ちる。

 見たこともないほど青ざめて、自分の名を呼んだエマの元へ、ノーマンは駆け寄った。

 そしてそれを見た。

 荷台に、コニーはいた。仰向けに倒れ、うつろな目がこちらを向いていた。その胸には見たこともない植物が突き刺さり、体はれそぼって水のような何かに半分かっていた。

 ほんの少し前だ。一時間も経っていない。新しい服に着替えて、帽子をかぶって、ママに手を引かれて幸せそうに出ていったコニーが、今変わり果てた姿で目の前にいた。

「誰かいるのか」

 低く響いた声に、エマとともにとっさにトラックの下へ隠れた。コニーは明らかに、何者かに殺されていた。聞いたことのない男の声は、ノーマンの中で自然と犯人──殺人鬼に繋がった。

 身を伏せたまま、そっと上を見る。その狭い視界に映ったのは、人間ではなかった。

 巨大な爪と、黒々としたいびつたい。二つの目玉が、仮面のような顔に縦に並んでいた。

うまそうだなァ」

 ノーマンは、自分が見ているものが信じられなかった。

 殺人鬼、は半分しか正しくなかった。なお一層、おぞましいものだった。

食人鬼おに……)

 そこには二体の、いぎようの怪物が立っていた。息絶えたコニーの体を持ち上げ、大きなびんに詰める。何が起こっているのかわからないまま、その鬼達の会話に、ノーマンはせんりつした。

 人肉。農園。───大事な商品。

 自分達はずっと、〝鬼〟に食べられるために生かされてきたのだ。

 トラックの下に隠れたまま、ノーマンは身を寄せ合ったエマの震えを感じていた。手を伸ばそうとした自分の指先も、震えていた。

 悪夢はそれで終わらなかった。

 次の〝出荷〟についての鬼の指示に、冷静な、けれど自分達が決して聞き間違えるわけがない声が響く。

かしこまりました』

 そこに立っていたのは、ママである、イザベラだった。

 

 風がひときわ強く吹き抜け、頭上の枝を揺らした。イベットが描いていたスケッチブックのページがばらばらとめくれ、そばに置いていた色鉛筆が飛んでいく。少女がそれすら楽しそうに、かんだかい悲鳴を上げる。

「大丈夫?」

 ノーマンは足元に転がってきた色鉛筆を拾い上げた。

「ありがとう、ノーマン。ね、これ見て。ママめてくれるかな?」

 完成した絵を見せたイベットに、ノーマンは「そうだね」と、目を細めて頷く。

 誰もがしたう、優しいママ。

 けれどそのママこそ、鬼の手先──自分達の敵だった。

 あの夜から、エマとレイ、そして一つ年下のドンとギルダを仲間に、GFハウスから〝脱獄〟することを計画した。そのために、今までずっと知らないでいた〝真実〟を探っていった。

 平和な孤児院と信じていたGFハウスは、鬼のための飼育場だった。鬼達が食べるのは人間の子供の脳だ。ハウスでは毎日頭脳テストが行われているが、それはこのためのものだったのだ。

 成績スコアと年齢によって等級ランクづけされ、〝出荷〟が決まれば、里親の元へ行くのだと言って、られる。どんなに待っても、ハウスを出た兄弟から便りなど届くはずがない。それをイザベラはいつも、微笑ほほえんで慰めていた。

 あの笑顔の裏で、イザベラは一体何人の子供達を死へ導いてきたのだろうか。

 ノーマンは顔をゆがめる。

 自分達子供には、ここへ送られてくる1歳より前に、耳に発信器が埋め込まれていることもわかった。イザベラが持つ懐中時計はそれを監視するためのモニターだ。どこまで行っても、発信器が機能している限り自分達に逃げ場はない。

 かんぺきな、すきのない支配だ。

 だがその発信器を無効化する装置を、レイは完成させた。

 その〝脱獄〟の準備のため、レイが払った犠牲は計り知れない。

 自分達と同い年のレイは、6歳の時から〝内通者〟としてイザベラに加担していた。ハウスの真実に気づいたレイは、いつか巡ってくる〝脱獄〟の機会まで、ママの番犬として〝羊の群れこどもたち〟を内側から見張り、同時に鬼側の情報を集め脱出の準備を進めていたのだ。

 だがイザベラはレイとの関係を切った。二重スパイがバレたためではない。子供達を制御するために、レイを利用する必要がなくなったからだ。

(ママとレイとの取り引きは、を無事出荷させるためのものだったから……)

 ノーマンは自分を〝出荷〟した後、イザベラがどう行動するか考えていた。

 イザベラは勝利を確信しているはずだ。最上物の三人を、完璧に出荷できると信じている。そうなれば、もう自分の敵はいない、と。

 ノーマンは口の端を、ほんの少し持ち上げる。

(だからこそ、だ……)

 このハウスから、きようだい達を見捨てず、全員で〝脱獄〟する。

(やれる……きっと、エマなら……)

 当初の計画から考えれば、状況は今や絶望的だ。イザベラに見破られ、エマは足を折られ、〝内通者〟として立ち回っていたレイは切り捨てられた。

 だがまだ勝算はある。今こうして手紙に書き記している〝計画〟が、そうだ。

 希望はあるのだ。

 たとえ今日の夜に、自分は〝出荷〟されるとしても。

 あの時のコニーの姿が、何度も脳裏に浮かび上がる。エマとレイからは今日、この自由時間の間に自分は姿を消すように言われていた。そうして生き延び、脱獄決行の時に合流する。そういう計画だった。

(甘いよなぁ)

 エマはともかく、レイならこの計画でどれほど、今後の脱獄の成功率が下がるか予測できそうなものなのに、とノーマンは小さく苦笑をする。

 そうまでしても、自分とエマを助けたかったのだろう。

 たとえレイ自身を、犠牲にしてでも。

 その気持ちはよくわかる。最小の犠牲で脱獄を成功させる。今自分がやろうとしていることも、同じことだ。

『決行は、2か月後。恐らくレイの誕生日、その前夜』

 ノーマンは、画用紙に自分の計画をつづり始めた。

 自分が、いなくなった、その後の。

 

 

──GFグレイス=フィールドハウスゆうれいそうどう──

 

 計画についての文章を途中まで書いたところで、イベットが唐突に尋ねてきた。

「ねぇ、誰か最後に、ノーマンに勝てるかな?」

 紙面から顔を上げたノーマンは、少し考え、自分が自由時間の始めに鬼ごっこに加わっていたことを思い出した。

 最後、とイベットが言っているのは、昨日きのうの夜にノーマンの里親が決まったことをイザベラが全員に伝えたからだ。

「ふふ、どうだろう?」

 ノーマンはしんみを浮かべる。イベットが身を乗り出した。

「エマなら勝てるかな? レイは?」

「エマにもレイにも、捕まらないよ。最後まで、ね」

「そっかぁ、やっぱりノーマンすごいね!」

 言葉通りに受け取ったイベットは、そう言って手をたたく。

「鬼ごっこかぁ……たくさん、やったな」

 目の前に広がる森は、ずっと小さい頃から勝手知ったる遊び場だった。ここで何度も鬼ごっこや隠れんぼをした。

(ああ、なつかしい……)

 ノーマンはいくつもよみがえる思い出に、笑みを浮かべた。

 エマとレイと一緒に、毎日、色んなことをした。春にはピクニック、冬には雪合戦。特別な日も、そうでない日も、数えきれないほど思い出がある。

 二人とも、物心ついた時から今までずっと、当たり前にそばにいる存在だ。だから出会った時のことなどは記憶にない。

 レイなら、もっと幼い時の出来事まで全て、覚えているのだろうけれど。

(もっと、聞いておけたら良かった……)

 自分が思い出せるのは、3、4歳くらいの頃からだ。その中でも、よく覚えている出来事がある。記憶の中で最も古い、二人との最初の思い出と呼べるようなものだ。

 その時のことが脳裏に蘇り、ノーマンは苦笑した。

 スケッチブックをめくりながら、イベットが不思議そうに隣に座る兄を見上げる。

「ねぇイベット、幽霊っていると思う?」

「え?」

 首をかしげるイベットに、ノーマンはくすりと笑った。

 あれは誰が言い出したのだったか、当時年長だったオリビアだったか、自分より二つ上のマーカスだったか。

 ハウスに、幽霊が出る、と。

 

*     *     *

 

「私、見ちゃったの、この前の夜にね……」

 消灯時間前のハウスの一室では、子供達が一人のベッドに集まっていた。

 声をひそめた姉のオリビアを囲み、同室の兄弟達は思い思いに座ったり寝そべったりしている。誰もがその話にじっと耳を傾けていた。

 その中に、まだ4歳のエマもいた。

(何だろう? オリビア、何見たのかな?)

 きようだいに混ざって、エマはドキドキとその続きを待った。枕を胸に抱き、オリビアは話を続ける。普段高い位置でポニーテールにしている髪を今はおろしており、顔にかかった前髪がどこか怪しげな印象を作っていた。

「トイレに行って戻ってこようとしたら、廊下を白い影が、すぅーっと通り過ぎていったの。怖くなって、すぐ部屋に逃げてきちゃったんだけど、あれは絶対幽霊だったと思う」

 おりしも外は雨降りで、ざぁーと暗い音が絶えず響いていた。オリビアの話に、前に座っていた少年がごくりとかたを飲んだ。

 その隣から、身を乗り出したのはマーカスだ。6歳になったばかりで、生意気盛りな顔つきだ。

「俺も俺も」

 マーカスはまわりを見渡してから、話し出した。

「夜ふっと物音がして目が覚めたらさ、ピアノの音が聞こえてくるんだよ。真夜中だぜ? それで俺、音楽室まで行ったんだよ」

「すげぇ! マーカス勇気ある!」

 弟からの賞賛の言葉に、マーカスは得意げに笑う。それからよくようをつけて話し続けた。

「けど、ドアを開けたら中には誰もいなかったんだ。ピアノのそばに明かりだけ、ぽつんとついてたんだよ……!」

「うぅっ怖い~」

 エマの隣にちょこんと座っていたギルダが泣き出した。「あーごめんごめん! もう、マーカスが怖い声出すから!」「話し出したのオリビアだろ」幽霊話を披露していた二人がき合う。

 一つ年下の妹の手を、エマはぎゅっとつないだ。

「大丈夫だよ、ギルダ」

「エマ……」

 鼻をすすり、ギルダは小さくうなずき返す。

「ほら、もう消灯時間だ。寝よ!」

 オリビアに言われ、みんな自分のベッドへもぐむ。明かりが消えた部屋の中では、まだ小さな声がところどころから聞こえてきていた。

「もーう、そんな話するから眠れなくなっちゃったよぉ」

「俺、幽霊なんか出てきても全然怖くねーもん!」

 薄くりんかくだけがわかるやみの中、隣のベッドからギルダがもぞもぞと出てくる。

「エマ……一緒に寝てもいい?」

 大きな枕をかかえて、ギルダは心細そうにエマを見つめる。3歳のギルダは、去年まではママの部屋で一緒に寝ていた。最近ようやく大部屋で寝ることに慣れてきたが、今日はさすがに一人では寝つけないようだ。

「うん! いいよ」

 年上の姉達ではなく自分を頼ってくれるギルダの存在が、エマにとっては〝お姉さん〟になれたようで、うれしかった。

 ギルダと枕を並べたエマは、部屋の天井を見上げて、さっきまで聞いていた話を思い返した。

(……幽霊……)

 ハウスに現れる、不思議な白い影。なぞめいたピアノの音。ギルダは怖いと言うけれど、エマの中ではむずむずするほど好奇心がふくらんでいった。毛布の中で、思わず足をばたばたと動かす。

(幽霊……会ってみたいな!)

 

 

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