――受賞の第一報を受けとったとき何をされていたのか、また当時の気持ちを教えてください。
第一報を電話で受けるよりも先に、ホームページで最終選考まで残ったことを確認して知っていました。なので、電話があったときは意外と冷静でした。
取り乱したのは最終選考まで残ったという事実を、偶然発見してしまったときです。
それまで私は、各出版社に投稿をしていましたが、選考の過程などはろくに見ていませんでした。気がついて確認したらすでに一次選考で落とされていたといった状態でした。それに、投稿をした瞬間にやりきった感があったので、なかば自分が投稿したことも忘れてしまっていて、つぎはなにを書こうかと考えていました。選考の途中経過というのは、ほぼ脳内になかったように思います。
そんなある日、つぎの応募作では気晴らしにペンネームでも変えてみようかと考えた私は、新しいペンネームをつくるために、まずはなにげなく今使っている自分のペンネーム『ひなたしょう』をネットで検索してみたのです。
すると、ここのホームページがトップで表示されて見覚えのあるタイトルと、その横に自分のペンネームが表示されていたのです。
目にした瞬間、盛大にむせました。わけがわかりませんでした。なぜ自分のペンネームと、自分が書いたはずの作品のタイトルがネット上に掲載されているのか。それらは誰も知るはずがないものです。真っ先にふたつのことが頭に思い浮かびました。
すなわち、情報漏洩と盗作です。
私のパソコンがウイルスに感染していて、何者かが私の原稿を奪い、私のペンネームを名乗り、集英社に投稿したのではないかと思ったのです。
バカな......なぜ私なんだ......どうせならもっと腕のいいやつの原稿にしとけよ......などと考えたところで、よく見たらこれは本当に自分が応募したものだと気がつきました。
これまで一次選考で落ちてばかりいたので、なにが起こっているのかわからなかったのです。それに、もともと選考の結果を確認しようと思って検索していたわけではなかったので、まさに不意打ちのようなかたちで、自分が書いた小説が最終選考に残ったことを知ったのです。
しかも、二作品投稿して、その両方がそれぞれの部門で最終選考に残っていたのです。困惑と興奮の板挟み状態で、え? え? う、嬉しい......嬉しい......! オエェ!(嘔吐いた)みたいになりました。
――初めて編集部に足を踏み入れたときの気持ちはどんなものだったのでしょうか? ご自身の想像とは違ったりした部分などがあればお聞かせください。
この日生まれて初めて足を踏み入れた場所であるにも関わらず、どこか懐かしいような見たことがある景色、知っている光景が広がっているという不思議な感覚を味わいました。
知っている......私はこの場所を、知っている......!
と、なにやらすさまじい波動のようなもの、スピリチュアルなものを全身で感じました。
な、なんだ? これは前世の......記憶......なのか......?
いや、この胸の高鳴り、これはやはり運命......? それとも『バクマン。』?
『バクマン。』でした。
やはり、その頃ジャンプではちょうど『バクマン。』がやっていたので、「『バクマン。』で見た景色とまったく同じだ!」と思いました。
漫画内で描かれた光景が、まさにそのまま目の前にあったのには驚かされました。
主人公たちが打ち合わせをした場所で、私も打ち合わせをしました。嬉しかったですね。なにせ、漫画家志望の方や実際に集英社で漫画を連載されている方々ならともかく、小説家でそのような体験ができるとは思ってもみなかったので。
――初めて担当編集者と話をしたときどんな印象を持ちましたか? 編集者から受賞作にどういった評価をもらったのかも聞かせてください。
話をしたときどころか、言葉を交わすその前、会ったその瞬間から好印象でした。
「あ、この人なら大丈夫だ」と、安堵したのをよく覚えています。
それというのも、約束の時間に遅れないように集英社には早く着いていたのですが、初めて見上げた集英社の圧倒的巨大さ、大企業さに度肝を抜かれてしまった私は、怖くて怖くてなかなか中に入れずにいたのです。
二十分くらい集英社のまわりをぐるぐると歩き回っていました。
歩きながら様子を窺います。入口には警備員さんがいます。その先に受付が見えました。磨き上げられた床やガラスに、塵ひとつ落ちていない吹き抜けの巨大エントランス......。まさにザ・大企業。
もしかしてここ、会社なのでは......?
とんでもないところに来てしまったと思いました。「一度編集部に来て」「あっ、はい」みたいなやりとりでここまでやって来たわけですが、そうだよ、よく考えたら編集部って会社内にあるんだよな......。こんなでかい会社に......。と、脚がガクガク震えました。
これ、わざとおもしろおかしく書いていると思われるかもしれませんが、すべて本当のことです。私みたいになる人も、それなりにいるようです。作家や漫画家が持ち込みなどで初めて集英社を訪れたときあるあるだと思います。
ともかく、そんな調子でしたがこのままでは埒が明かないので、意を決して突入。が、また怖くなって急遽入口付近に展示してある雑誌やキャラクターのパネルなどを眺める作業に移行。あたかも「え、これが見たくて来たんですよ?」みたいな空気を醸し出します。緊張のあまり、なにが展示してあったのか、自分が熱心なふりをしてなにを見ていたのかまったく記憶にありません。なんとか心を落ち着け、再度意を決して受付を済まし、指定された階へとエレベーターで向かいます。
目的の階に着きエレベーターが開いた瞬間、このあと担当編集者となる人と目が合いました。私のことを待っていてくれたのです。この人とならうまくやっていけそうだと、直感がそう告げていました。
しかし私は疑り深い性格なのです。確かに人として信用できそうなやつであることはわかった。だが、編集者としての実力はどうかな? クソみたいなことを言いだして私の作品にケチをつけようものならあれだな......うん、あれだわ。適切な言葉が思いつかないけどあれだわな、などと最初は考えていました。
いやあああああああ、すごい的確に批評してくるもうやめてええええええ!
受賞作について話しはじめたその直後に、そんな状態になりました。
このとき、この人なら間違いないと改めて心の底から安堵したのです。
――受賞からデビューまでの期間はどのようなやりとりを担当編集としていたのでしょうか?
受賞ののち、華々しくデビューして、トントン拍子につぎつぎと新刊を出せた――というわけではありません。そういう作家さんももちろんいらっしゃいますが、私はそうではありませんでした。
私がデビューするまでにかかった時間は、受賞後三年と数ヶ月。受賞前も合わせるともっとですね。ここまで時間がかかる新人は、なかなかいないのではないでしょうか。
では、その間なにをしていたのかと言いますと、書いては直し、直してはボツ。ずっとそのくり返しでした。私が受賞したときに中学校に入学した人は、すでに高校生になっているどころか、もはや高校生活にもとっくに慣れているくらいの期間ずっとそれでした。
担当編集者の的確すぎてぐうの音も出ない指摘を、ひとつずつこなしていました。
小説では、なにかを直すといっても、ただそこだけを直せば済むというわけではありません。ひとつ変更を加えたら、べつのページも修正しなくてはならなくなり、そのべつのページを修正したことによって、今度はさらにまたべつの複数箇所を書き直したりするようになるといったことが起こります。そうして直したことによって、今度はまた新たな不具合が見つかるといったことさえあります。こんな状態が三年以上続きました。
まさに賽の河原で石を積んでは鬼に崩され、また石を積んでは鬼に崩され......といった精神状態でしたが、戴いたアドバイスをひとつひとつ噛みしめ、牙を研ぎ直しては何度も何度も諦めずに食らいついていました。担当編集者の意見ももっともだ、そのとおりだと自分でも納得できていたからこそ、デビューできぬまま三年以上という長い期間でしたが諦めずに書き続けることができたのです。
ただ、改めて振り返ってみると、当時の私はといえば「ここを直せって言われたから勝手に他のところも直してやるぜ!」だとか、「ただ直しているだけじゃ編集者も飽きるだろうから、サプライズで新キャラを出してみるぜ!」だとか、「もはや直せって言われていないけど、なんか言われそうな気がするから独断で打ち合わせと全然違う話を書いてみたぜ!」みたいな感じでしたので、客観的に見て、もしかしたら当時の私は、ただの問題児であったような気もします。
――その後、『ヒキコモリパワード メタルジャック!』と『ラッコ11号 番貝編 闘え!平帆水産株式会社第一宣伝部部長』で二冊同時刊行のデビューとなりましたが、こちらはどのような経緯で執筆することになったのでしょうか?
まず『メタル』のほうは、先に述べたとおりデビュー前の書いては直し、直してはボツの間に書き上げたものです。もちろん、ずっと『メタル』を書いていたわけではなくて、いろいろなものを書いたのちに、最後に書いたものでした。
直しやボツばかりであまりにもうまくいかず、ついに吹っ切れた私は、とにかく自分の好きなことを好き放題書いてみようと思ったのです。なので、作品全体のテンションがやたらと高いのは当時の精神状態の表れです。今、もう一度書いてくれとなっても、もう同じようには書けません。わかりやすく漫画家さんで例えると、絵柄が当時と変わっているといった感じです。今なら同じキャラ、同じ設定で書いてもかなり違う印象の作品になるのではないでしょうか。同じ人が書くのにそうなるのです。ですが、こういったことも小説の面白いところだと私は思います。
『ラッコ』のほうは、実は受賞したのち三年間くらいやりたいと言いつづけていたものでした。当時、編集部には『ラッコ』のノベライズをやろうという企画そのものがありませんでした。そもそも私が言いだしたことだったのです。
しかし、当然のことながら受賞後まったくぱっとせず、何年経ってもデビューもできず、なんの実績も経験も信用もない新人が言うことなど世の中簡単に通るはずもありません。
状況が変わったのは、二〇一一年の東日本大震災のときでした。
震災の翌日、私は編集部に修正した原稿をメールで送っていました。
担当編集者が「揺れながら書いてたの!?」と驚きました。 「今日が約束の日だったから......」と、私は答えました。
このときから、編集部の私に対する見る目が変わったように思います。 『いつまで経ってもデビューできないなんだかわからない新人』から『どんな状況であろうと約束は必ず守る信用のおける新人』になったのではないでしょうか。
編集部側のことはわかりませんが、私の側からするとこれがひとつのきっかけだったのではないかなと解釈しています。
その後、三年間熱望した『ラッコ』の企画が通り、デビューのチャンスを戴くこととなったのです。今書いていた『メタル』といっしょに、二冊同時発売、二冊同時デビューというありがたい栄誉も戴きました。さらにありがたいことに、受賞作の短編も『メタル』の巻末に収録してもらえました。
二〇一一年、その年の暮れに、ついに私はデビューしたのです。
ちなみにですが、二冊同時出版となったのですが、私個人としては『ラッコ』のほうがデビュー作だなという印象が強いのです。二冊を同時期にいっしょに書いていたわけではなくて、『ラッコ』のほうを後に書いてデビューしていますから。
次回更新は12月18日予定!!
数々のノベライズから得られた経験をお聞きしました!
お楽しみに!!