――小説を初めて書いたのはいつごろですか? きっかけと内容を合わせてお聞かせください
小説っていうかはちょっと微妙なんですけど、初めて物語らしきものを書いたのは小学校五年生のときの国語の宿題でした。
「お題のイラストを元にして、お話を作ってみよう!」的なもの。(今思うと、Jブックスの小説賞みたいな感じですね)。お題は「丘の上に立っていた白いワンピースの女の子が、風に飛ばされた帽子を追いかけている」......みたいなイラストでした。
今考えれば、「この女の子はどうして帽子を大切にしているのか?」「誰かにもらったものなのか?」みたいなことをテーマに作文を書けば、国語の宿題としては正解だったのでしょう。求められていた文量も、400字詰め原稿用紙で二枚くらいですし。
しかし当時の僕は反抗期の真っただ中。国語的な正解など「うるせえ知るか!」とばかりに、自由気ままにロックな物語を構築し始めます。
その結果、ひと晩かけて出来たストーリーは、
「実は女の子の持っていた帽子には隠された財宝の在処が記されており、それを偶然手にした少年オサム(当時仲の良かったクラスメートの名前です)は、波乱万丈の冒険に繰り出すことになる。しかしそんなオサムに悪の手が迫る......」――みたいな。
気づけば内容も膨らみ、無駄に原稿用紙で二十枚は書いてしまいましたよ。翌日担任の先生にも「書きすぎ(笑)」と呆れられる始末でした。
国語の授業での発表の際、色んな意味でクラスメートを笑わせることには成功したので、それはまあ良かったかな、と。
自分の文章で他人を楽しませる喜びを知ったのは、このときだったと思います。
――自身に影響を与えた作品のタイトルと、好きだった点をあわせてお聞かせください
他社作品で申しわけないのですが、ライトノベル業界で一世を風靡したあの有名シリーズ、スニーカー文庫の『涼宮ハルヒの憂鬱』です。
この作品を読んだのは僕が大学四年生くらいのときだったでしょうか。実はこの作品を読むまで、僕は「美少女モノ」とか「萌え」とかそのあたりの系統にはまったく疎かったんです。
当時の僕といえば、大学で女の子に酷いフラれかたをされており、その際に友人から勧められたのが『ハルヒ』でした。ちょうどアニメ流行ってたんですよね。
それで読み始めたのですが、そのときの衝撃ったらもうね......。
「うおおおおお! やべええええ! ハルヒ可愛えええええええ! ツンデレ可愛えええええ! ああああああああ! もう現実なんていらんわああああああああ!」と悶え苦しんでおりました。
それ以来ラブコメ系ラノベを浴びるように読み漁り、数多くの二次元美少女との出会いを繰り返しました。その結果、今に至ります。
二次元って、最高にいいものですよね。
――プロデビューを志したのはいつ頃からですか? 最初からプロ志向だったのか、何かのきっかけがあったのか教えてください
実は僕は大学を出た後、法科大学院に進学しておりました。なんと無謀にも、司法試験なんぞに挑戦しようとしていたのですね。
しかしその大学院生活も三年過ぎ、受験半年前くらい前になって、僕はひとつの重大な事実に気付いてしまいます。「あれ? 俺、六法読んでる時間より、ラブコメ読んでる時間の方が長くね?」――と。上の項目でも触れたのですが、僕は二十代序盤から中盤にかけて、遅咲きの二次元フィーバーの真っただ中だったわけですね。
当然、法律の勉強などまともにするわけもなく、コミケで「ツンデレ六法」なる同人誌を作って遊んでいたくらいです。いくらなんでも法律を舐めすぎです。
しかしさすがに僕も二十代中盤。焦ります。「このまま大学院を卒業したらまずい。ニートまっしぐらじゃん!」と。
そろそろ真面目に法律の勉強を始めるか。それとも一生をかけて美少女を愛でる道を選ぶか。ふたつにひとつでした。
結果、僕は六法を捨てて美少女を取りました。二次元美少女を愛でながら生きるためには、ラブコメの作り手になるしか道はない。そう思ったのです。
後悔はしていない......です。たぶん。
――小説賞に応募する以前、周囲の方に小説を読んでもらうことなどはありましたか?
あった場合は他人に読んでもらうことの影響を教えてください。
僕がJブックスの小説賞で栄えある銅賞をいただいたのは、『龍ヶ崎のメイドさんは秘密がいっぱい』という作品でした。内容は、メイド姿の女装少年が困ったお嬢様に振り回される......というラブコメです。
僕は当時、これを同人活動を共にしていた友人に見せたのですが、その第一声は「女装メイドとかさあ......某作品のパクリじゃね?」でした。
いやもうほんと悔しかったですよね。なにが悔しいって、当時の僕はその作品が大好きで、実際に相当影響されてたからなんですよね。「パ、パクリじゃねえし! 流行を捉えただけだし!」と相当苦しい言い訳しか思いつきませんでした。
他人の意見って本当に怖い。だけどちゃんと聞かなくちゃ、自分のためにならないと思っています。
なので、僕は今でも担当さんに指摘されたことは真摯に受け止めるようにしています。時折「うるせえ! お前が間違ってんだよ!」とか内心逆ギレしたりすることはあっても、まあ基本的には真摯だと思うんですよね。ええ。
――デビューするまでJUMP j BOOKS以外の新人賞には投稿されていましたか? 投稿されていた場合はその経験から得られたことを教えてください
電撃文庫の「電撃大賞」に一回だけ応募しました。学園もので、「部活動対抗の校内バトルロイヤルで、廃部寸前の科学部が優勝を目指す」的な話を書いたのですが、結果はダメダメでしたねえ。
審査員の先生からは「まずは落ち着け」的な書評を頂きました。さすがに廃部寸前という設定のはずの科学部が、なんの伏線も無く近未来的パワードスーツを繰り出してしまったのは唐突に過ぎたのかもしれません(というかこの筋書き、思い出しているだけで恥ずかしいものがありますね......)。
若気の至りって恐ろしい。落ち着くのって大事ですね!
――なぜジャンプ小説新人賞に応募しようと思ったのかを教えてください
電撃文庫の賞に落選した後、「次はどこに出そうかな?」と思っていろいろ探していた折、同人仲間(ジャンプ愛読者)から、「これに出してみたら?」と紹介されたのがきっかけでした。
僕もちょうどその頃、大崎知仁先生の『銀魂 3年Z組銀八先生』を読んでいたので、「ノベライズって仕事も面白いかもしれない」と、Jブックスの門戸を叩くのを決めたわけです。
実際面白いし、正解でしたね。
――応募作はどれぐらいの期間をかけて書かれたのでしょうか? また、応募するとき自信や手ごたえはあったのでしょうか?
短編の賞でしたので、一週間くらいで仕上げたと思います。
本当はもっと時間をかけて練り上げるべきだったんでしょうが、友人が勧めてくれた時点で締め切りまで二週間を切っていたので仕方ありません。
まあ、結果的にはそれで良かったんだと思います。基本的に僕は、追い詰められなければやる気が起きない人間ですからね。もしかするとその友人も、僕の性格を見越して時期を選んだ可能性も......?
応募作の自信や手ごたえについてですが、実はこれ、執筆初期から結構ありました。
最後のオチを思いついた瞬間、「あ、これイケるな」と思ったのです。
それで、その至高のオチに向けて短編を一本書ききったわけですが......銅賞受賞後の編集部コメントを見てビックリ。そこには「文体はそこそこ悪くないけど、オチが残念」的なことが書かれていたのでした。
受賞自体は嬉しかったものの、なんだか「あれれ?」って感じでした。自分の自信や手ごたえなんて、案外当てにならないものなのかもしれませんね。
次回更新は11月13日予定!!
経験値ゼロから数々の作品の執筆にいたるまでの経緯とは?
お楽しみに!!