ウェズはショートソード型のギアを右手に構え、手近なバニットに斬りかかった。しかしバニットは、軽やかなジャンプでウェズの 斬 撃 を躱してしまう。
続けざまにギアを振るっても、また空振り。この素早いウサギを間合いに 捉 えるのは、予想以上に難しいことだった。ウェズは「くそっ」と舌打ちする。
「こいつら、速い……!」
バニットに 翻 弄 され続け、ウェズはすっかり息が上がってしまっていた。すでに十体以上は仕留めているディアと比べると、かなり情けない有様である。
舌打ち交じりに額の汗を拭っていると、背後からロゼの叫び声が聞こえた。
「ぼーっとするな! ウェズ!」
振り向けばバニットが一体、ウェズの首筋を狙って飛びかかってきていた。
あまりにもとっさのことだったので、身体が動かない。このままでは致命傷は必至である。いったいどうすれば――と 狼狽 えるウェズの鼻先で、バニットは叩き斬られ地面に落とされる。
ウェズを救ったのは、どうやらロゼの大斧らしい。
彼女は「やれやれね」と、ウェズに目を向ける。
「こういう混戦のときこそ、背中には気をつけなきゃ」
「あ……うん。ごめん、ロゼ」
どうやら実戦は、一筋縄ではいかないものらしい。ロゼに注意され、ウェズは素直に頭を下げるしかなかった。
後方から、ウラガンの「ははっ」という笑い声が聞こえてくる。
「今期のうちの隊は、どうも女子のほうが優秀らしいなあ。おーい、しっかりしろよ、男ども」
思わずウェズは、地に這うシエロと目を合わせてしまった。シエロもまた、ばつの悪い気分なのだろう。むっつりと顔をしかめている。
「しょーがねえじゃん、おれら訓練始めて三か月の新兵なんだし」
「戦場に出たら新兵もベテランもないでしょ。油断したらみんな死んじゃうんだから」
ロゼが斧を振りまわしながら、シエロに告げる。
「別に活躍しろとは言わないから、せめてあたしらの足を引っ張らないようにね」
「へいへい、わかりましたよ」
ため息をついてシエロが立ち上がった。彼も彼なりに、カッコイイところを見せようとしているのかもしれない。クロスボウに矢をつがえ、手近なバニットに狙いを定めている。
「女の子に 馬 鹿 にされてばっかりも 癪 だしな……。ウェズ、おれらも、ちょっとくらいはやれるってとこ、見せてやろうぜ」
「ちょっとくらいは、って言い方がすでに後ろ向きな気がするけど」
「そりゃほら、最初に大口叩いといてやられたらカッコ悪いし」
「そういうところがヘタレなんだって」
ウェズは苦笑いを浮かべる。
シエロは「いいだろ別に」と答えながら、エネミーに向けてクロスボウを放った。放たれた矢は見事エネミーの身体を貫き、シエロは「よっしゃ!」と、ガッツポーズを見せる。
「おれの初白星見てた? おれも結構やれるんじゃね?」
「はいはい、ウサギ一羽仕留めたくらいで調子に乗らない」
ロゼはそう言いつつ、またしても大斧でバニットを一体叩き潰していた。大斧を軽々と振り回すロゼの腕力に、シエロは「マジかよ」と眉をひそめている。
「お前ってホントに人間? 実はゴリラかなんかなんじゃないの?」
「乙女に向かってゴリラはないでしょ。あんたも叩き潰されたいの?」
シエロは「滅相もございません」とぶんぶん首を振った。やっぱりヘタレである。
実戦訓練開始から十数分。ウェズが周囲を見渡せば、数十体いたはずのバニットの群れは、もはや数えるほどしか残っていないようだった。
しかしウェズが倒すことができたのは、わずかに二、三体だけ。シエロも似たようなものだった。どうやらほとんど、ディアとロゼで倒してしまったらしい。
「あ、エネミーたちが……」
残ったバニットたちも恐れをなしたのだろう。 蜘 蛛 の子を散らすように森の奥へと逃げてしまった。
「まさに、 脱 兎 のごとくってやつだな」シエロが笑みを見せる。
「このまま連中を追ったほうがいいのかな」
ウェズの疑問に、ロゼは「別にいいんじゃないの」と答えた。
「ここのエネミーはとりあえず 蹴 散 らしたしね。深追いする必要はないでしょ」
「だな。大尉殿もお疲れみたいだし」
シエロが、倒木に座るウラガンへと目を向ける。
すっかり赤ら顔になったウラガンは、酒瓶を手に「ひっく」と 痙 攣 していた。酔いつぶれてしまったのか、すっかり 項 垂 れている。
「ちょっとウラガン大尉、起きてください。エネミー全部倒したんですけど」
シエロが肩を揺すっても、ウラガンは「んごぉ」といびきで答えるだけだった。
「まったくこのひとは……」
ウェズはため息をつく。仮にも部下が危険な実戦に 臨 んでいる脇で、ここまで堂々と居眠りをしてみせる上官がいるだろうか。前々から変なオッサンだとは思っていたが、本当にどうしようもない。
シエロが「とにかくさ」と提案する。
「早く王都に戻ろうぜ。このオッサンはおれとウェズで担いでいくから」
「いえ、ここで戻るわけにはいきません」
突然、ディアがそんなことを言い出した。いったいどういうつもりなのだろうか。ウェズはシエロやロゼと共に、そろって眉をひそめる。
「私は、先ほどのエネミーを追撃すべきだと思います」
「どうして?」
ロゼが 尋 ねる。
「ミストエネミーは、王都の民に 仇 なす存在です。逃げた個体がまた群れを成す前に、きっちりと叩いておいたほうがいい。放置しておく理由はありません」
「それはその通りだけどさ、ディア。連中、森のかなり奥まで逃げちゃったよ? あのあたりはまだGEARSの調査も行き届いてないから、危険だと思う」
「そうそう。なにも、おれらが無理して追わなくても」
ロゼとシエロに反対され、ディアはむっとした表情を浮かべる。
「危険だから追わない、とかそういう問題ではないでしょう。私たちはGEARS。この国の民を守り、ミストと戦うための 剣 です。戦うことを恐れてはなりません」
ディアは、ウェズに視線を向けた。
「アーマライト二等兵。あなたはどう思いますか」
急に話を振られ、ウェズは「え」と一瞬口ごもる。まさか、彼女に意見を求められるとは思わなかった。
「えっと、おれは……おれも、危険なことはするべきじゃないと思う。ディアやロゼはともかく、おれとシエロはまだ新兵なんだし」
「そうですか……。やはり、あなたの覚悟はその程度なのですね」ディアは吐き捨てるように呟くと、長槍を持ち直し、森の奥に目を向けた。「では、追撃は私ひとりで行います。覚悟のない者たちの力を借りるまでもありません。あの程度のエネミー、私ひとりでなんとかしてみせます」
「ひとりでって、ディアちゃん、さすがにそれは……」
シエロの制止を無視し、ディアはエネミーの逃げた方角へと駆け出してしまう。
「ちょっとディア! やめなよ! 危ないって!」
ロゼが叫んだ。
「問題ありません! 英雄を目指す以上、多少の危険は覚悟の上です!」
振り返ることもなく、ディアは走り去った。
またしても「英雄」である。どうして彼女がそこまで危険に身を 晒 そうとするのか、ウェズにはやはり理解できない。
小さくなっていくディアの背を見つめ、ロゼは「はあ」とため息をついた。
「あの子、ほんとにひとの言うこと聞かないんだから」
「いや、でもまあほら」シエロが呟く。「ディアちゃんってすげー強いし、実際彼女ひとりでも、なんとかなるんじゃないの?」
「だといいけど」ロゼの表情は険しい。「ここ最近、ミストがますます濃くなってるからね。エネミーの生態系もだいぶ変わってきてる。予想できないトラブルが起こるかも」
「予想できないトラブル?」
「たとえばほら、強力なエネミーが、予期しない場所に現れるとか」
ロゼの言葉には、ウェズも心当たりがあった。
安全だったはずの採掘場に現れた、大猪のエネミー。あの「予想できないトラブル」により、ウェズの元同僚たちは全員命を落とすことになってしまったのだ。
ふと鼻先に、あのときの血の臭いが 蘇 ってくる気がした。ウェズはぶるりと背筋を震わせる。
「いますぐ、ディアを助けに行ったほうがいい」
ウェズの提案に、ロゼは「そうね」と首肯した。
「何かあったら寝覚めも悪いし。さっさと連れ戻しましょ」
「まあ、ディアちゃんを追うのはおれも賛成だけど」シエロが、いまだ爆睡中のウラガンに目を向ける。「このオッサンはどうする?」
「置いていくしかないんじゃないの?」
ロゼの言葉に、ウェズも頷く。この周辺のエネミーたちはひとまず一掃した。寝ているウラガンをひとり残していったところで、さほど危険はないだろう。
それより心配なのは、むしろディアのほうである。
そんなウェズの心配が伝わったのか、シエロがいつもの調子で気楽に笑ってみせる。
「まあ、ディアちゃんのことだから、万が一ってことはないと思うけどさ」
シエロには「そうだな」と返したものの、ウェズは内心 危 惧 していた。
理不尽 に 覆 われたこの世界では、その「万が一」は容易に起きてしまうのだ。
※
ロゼを先頭に、〝陽だまりの森〟を奥に進む。
同じ森でも街道の近くとは異なり、このあたりの木々は 鬱 蒼 と茂っている。日の光もほとんど届かず、 陰 鬱 で薄暗い。
王都からもかなり離れたこの場所は、人間の住む世界とは様相を異にしていた。もはやミストエネミーたちの領域なのだろう。あちらこちらから、人外の鳴き声が響いてくる。
「確かにこんな場所じゃ、なにが出るかわかんねえな」
シエロの呟きに、ロゼが「そうだね」と頷いた。
「ディアはどこまで行ったんだろ。もうだいぶ奥のほうまで来たと思うんだけど」
「……しっ。何か聞こえる」
ウェズは口元に人差し指を立てて、耳を 澄 ませる。
聞こえてきたのは金属同士が弾け合うような音。それから、この世のものとは思えない、おぞましい 唸 り声だった。
「――ヴオオオオオッ! ヴオオオオオッ!」
腹の中まで響くような、不快な重低音。おそらくは、ミストエネミーのものなのだろう。
ロゼが、「ちっ」と舌打ちする。
「まずいね、こいつは 梟熊 だ」
「ホロウ?」
ウェズが首を傾げる。
「他のエネミーよりも一際デカい上に凶暴、このあたりじゃ、ちょっと 厄 介 なエネミーだよ。GEARSでも、毎年必ず何人かは死者が出てる」
「うげえ!?」シエロが目を丸くした。「そんなヤバイのがこの近くにいるのかよ!」
「どうやらディアは、そいつと出会っちゃったみたいだね」
唸り声にまじって、聞き覚えのあるギアの駆動音も聞こえてくる。ディアの長槍のものだ。どうやら現在、彼女は戦闘中らしい。
「急ごう、ディアが危ない」
ロゼのあとを追い、ウェズたちは森の中をひた走る。
するとすぐに、少し開けた広場のような場所に出た。その中央にいたのは、やはりディアだった。彼女が槍を向けている相手は、彼女の身長の数倍はあろうかという異形の怪物である。
異形の怪物――全身を隆々たる筋肉に覆われた、熊のようなシルエット。首から上は 梟 のそれであり、 翼 を兼ねた太い両腕は羽毛に覆われ、その先端は鋭利な 鉤 爪 となっている。
鳥とも 獣 とも判別がつかない、異様な風体のミストエネミー。おそらく、あの巨大な怪物がホロウなのだろう。
「ディアちゃん!」
シエロが叫ぶ。
「みなさん、どうしてここに」
ディアが鉤爪を打ち払いながら、こちらを振り向いた。
見れば彼女はすでに、かなりのダメージを負っているようだ。身に 纏 う 外 套 は破れ、衣服のあちこちに血が 滲 んでいる。怪我で左腕が使えなくなっているのか、長槍を握るのは右手一本だった。見ているだけで痛々しい。
一方、ホロウのほうにさしたる外傷はなかった。あのディアをして防戦一方の相手だということは、やはりあの怪物、強力なエネミーらしい。
ディアが槍を大きく振り抜き、ホロウとの距離を取る。
「誤算でした。これほどの強力なエネミーが、この森に 棲 息 していたなんて」
「ディア、もういいよ! 逃げな!」
ロゼはそう叫んだのだが、ディアは首を振る。
「強敵であればこそ、このエネミーを見逃すわけにはいきません。ここで取り逃がせば、いずれ王都の民に危険が及びます」
「でも、あんたひとりでやれる相手じゃないでしょ!」
「そうだとしても、です!」
ディアはホロウの顔面を狙い、槍を突き上げる。しかしその 渾 身 の刺突も、ホロウの丸太のような腕に 容易 く払いのけられてしまった。さすがのディアといえど、片腕で戦うには無理がある相手なのかもしれない。
それでも、ディアは一歩も 退 こうとはしなかった。
「問題ありません! このエネミーは、私がここで仕留めます!」
「ったく、無茶すんなっての……!」
ロゼが舌打ちまじりに駆け出した。背から大斧を抜き放ち、ミストコアを起動する。けたたましい駆動音と共に、ロゼはホロウに向かって斬りかかった。
「だあああああありゃああああああっ!」
荒々しい 雄 たけびと共に、ロゼが 袈 裟 斬 りを放った。ホロウの身体が切り裂かれ、噴水のように血が噴き出した。
「うおお!?」シエロが目を丸くした。「さすがゴリラ女! とんでもねえパワーだ!」
ロゼは「だからひとこと多いっての!」と舌打ちする。
「てか、まだヤツの傷は浅いよ! 気を抜くな!」
どうやらロゼの斧が切り裂いたのは、ホロウの表皮にすぎなかったようだ。
ホロウは血にまみれた目で、「ヴオオオオッ!」と金切り声を上げた。
「ひいい! あいつ、怒ってるううう!」
シエロもまた悲鳴を上げる。
「あいつ、反撃してくる気だ!」
ウェズもギアを握り、ホロウの行動を注視する。
ホロウは雄たけびを上げ、翼のついた太い腕を大きく横に広げた。何をする気なのかと思えば、ホロウはそのまま地を蹴って弾みをつけ、上空へと飛び上がってしまう。
「と、飛んだ!?」
ホロウは十メートルほど上昇し、いったん静止する。こちらを見下ろすホロウの眼差しは、 猛 々 しい怒りに燃えていた。
「あいつ、いったい何を……?」
「気をつけてください!」ディアが叫んだ。「急降下を仕掛けてきます!」
ディアの言った通りだった。ホロウは両腕で大きく羽ばたくと、次の瞬間、ものすごいスピードで地面へと向かってきたではないか。
「やべえ!? 逃げろ!」
シエロが叫んだ。
ホロウが空気を切り裂きながら、体当たりを仕掛けてくる。先ほどの意趣返しのつもりなのか、その狙いはロゼのようだ。
「あたしかよ!?」
ロゼはなんとか身を躱そうとするものの、急降下による加速を得たホロウは、まるで高速で飛来する砲弾である。躱すことはできず、もろに体当たりを食らってしまう。
「――ぐううううっ!」
直撃を受けたロゼが、後方へと吹っ飛んでいく。よほどの衝撃だったのだろう、地面に打ちつけられた彼女の身体は、数回バウンドしたところでようやく停止した。
「ロゼ!? 大丈夫か!」
「だ、大丈夫……じゃないかも……ね」
ロゼが苦しげな表情で 呻 いている。なかなか立ち上がれないところを見ると、ダメージは相当に深刻なようだ。
そんなロゼを背に、ディアが槍を構え直す。
「ロゼは下がりなさい。あのエネミーは、私が仕留めます」
「だからディアちゃん、片腕じゃ無理だっての!」
シエロが叫んだ。
ホロウは再びこちらと距離を取り、上空へと羽ばたいていく。ヒットアンドアウェイで、こちらを確実に仕留めるつもりなのだろう。
「そもそも、あんなビュンビュン飛び回るヤツ、斧や槍で捉えられるわけねーじゃん!」
「それならラディオ二等兵、あなたのギアをお借りします」
シエロが「え」と目を丸くしている間に、ディアが彼の手からクロスボウを奪い取っていた。
彼女は器用にも、片手でクロスボウの矢を 装 塡 してみせる。どうやら、射撃でホロウを撃ち落とすつもりのようだ。
「照準に入った……!」
ディアの握るクロスボウのコアが起動し、排気部から蒸気が噴出する。
次の瞬間、勢いよく矢が連射された。撃ち出された矢は三本。それぞれ、まっすぐに上空のホロウへと向かっていく。
しかし、矢はホロウの身体を貫くには至らなかった。ホロウは太い腕を大きく振るい、それらを打ち払ってしまったのである。
起死回生の一撃を防がれてしまい、ディアが目を見張った。
「そんな……! 効かない!?」
「単純に、威力が足りないんだ」ウェズが 応 えた。「おれとシエロに支給されたのは、訓練用のギアだから。射出力だってせいぜい、鉄板を貫ける程度。……さっきのウサギくらいならともかく、あのホロウみたいな強敵の防御を貫くには、貧弱すぎるよ」
当然、ミストギアにも性能差はある。たとえ同じミストコアを用いたとしても、ギアを構成する素材や発動機の出力が変われば、最終的な威力には大きな違いが生まれてしまう。
「そういうことですか」ディアが、手にしたクロスボウに目を落とした。「このクロスボウでは、ホロウの防御は貫けない。かといって私の槍やロゼの斧では、上空を飛び回るエネミーに攻撃は届かない……。ままならないものですね」
「そ、それって、もう勝ち目ねえってことじゃん!」
シエロの顔面は真っ青になっていた。その 怯 えた瞳は、空を羽ばたくホロウを見上げている。
ホロウは今まさに、二度目の急降下を仕掛けようと、さらなる高度を目指し上昇しているところだった。
「またアレが来る! 早く逃げねえと、おれらまでやられちまうぞ!」
及び腰になっているシエロとは対照的に、ディアは 毅 然 とエネミーを見据えていた。
「いえ、逃げるわけにはいきません。あのレベルの強力なミストエネミーは、いずれ必ず王都の民に重大な被害を及ぼします。ここで倒すべきです」
「無茶言うなって! あんなエネミーの相手なんて、ヘビィすぎるだろ!」
「私は、英雄とならねばならない人間です。英雄たるもの、守るべき者の前では決して後ろを向いてはならないのです」
ディアはクロスボウを地面に置き、再び自らの槍を構え直した。
槍の柄を握る彼女の手は、少し震えているように見える。ぐっと下唇を嚙んだ彼女は、自らの内に生まれた怯えを無理やりねじ伏せようとしているようだった。
「それも、義務なの?」
ウェズの問いに、ディアは一瞬、「え?」と 怪 訝 な表情を浮かべる。
「〝民を守る〟とか〝英雄になる〟とか……。ディアはそう言って、自分を追い詰めてるように見えたから」
「私が自分を追い詰めている、ですか」ディアは面食らったように、眉をひそめた。「あなたにそう見えるのならば、そうなのでしょう。ですが、これが私の生き方なのです。今の私にできることは、これしかありませんから」
上空を見上げれば、ホロウの 猛 禽 の目がこちらを余裕たっぷりに見下ろしていた。
シエロはクロスボウを拾い上げ、頭上に向けて「んなろおぉぉぉ!」と矢を破れかぶれに乱射する。しかし、やはり矢は簡単に弾かれてしまった。
「くそっ! やっぱり効いてねえか……! おれのクロスボウじゃ、時間稼ぎくらいにしかならねえってことかよっ!」
そんなシエロを横目に、ディアが続ける。
「ミストに覆われたこの世界では、誰しもが生き方を選べるわけではありません。与えられた状況で、与えられた役割をこなすだけ。そして私にとってはそれが、民を守ることなのです。たとえこの身が犠牲になろうとも、私は役割を果たさねばなりません」
「ディアの言ってること、おれにはさっぱりわからないよ」
義務。役割。いったい彼女は、何を背負っているというのだろう。ウェズにわかるのは、彼女が確固たる信念に基づいて行動しているということだけだった。
「アーマライト二等兵。もう一度問います。あなたにも覚悟はありますか? この世界で、あなたに課せられた役割を 全 うする覚悟が」
「覚悟……?」
突然ディアに問われ、ウェズはしばし考えこむ。
隣では、シエロが上空のホロウを必死に 牽 制 している。なんとか足止めはできているようだったが、それも矢が尽きてしまえばお 終 いだろう。
状況はだんだんと、全滅に向かって加速している。
ウェズは「正直言えば」と口を開いた。
「おれにはディアみたいに、英雄として戦う覚悟なんてないよ。王都の民を守るなんて大それたこと、できないと思う」
ディアの青い瞳が、まっすぐにウェズを見据える。こちらの言葉の真意を探ろうとしているようだ。真剣な面持ちである。
だからこそウェズも、彼女に対して噓 偽 りなく 真 摯 に答えた。
「でも、工房の仲間がエネミーに殺されたとき、すごく悔しかった。何もできない自分が、ものすごく嫌だったんだ」
ウェズは「だから」とディアに向かって告げる。
「おれは、仲間がピンチなら助けたい。なにもできずに仲間を失うなんて、もうたくさんなんだ。そのために、自分にできることをする」
「あなたにできること、とは」
「ディアが言ってる通り、おれはGEARS隊員としては未熟者だよ。元ギア技師見習いでしかない。でも、おれにしかできないことだってあるんだ」
言いつつウェズは、ディアの持つ槍に目を向けた。
ディアは「なにをする気です?」と眉をひそめる。
「ディアのギアを、もう一度おれに預けてほしい。三分であのエネミーを倒してみせる」
「三分で?」
「三分なんて持たねえよ!」シエロが叫んだ。「もうすぐ矢がなくなっちまう! そしたら、足止めすらできねえ!」
「じゃあ一分でいい」
はっきりと告げたウェズを、ディアは強い視線でじっと見つめた。数秒間の 逡 巡 のあと、「わかりました」と頷く。
「どうやら、あなたに任せるしかなさそうですね。この槍を、あなたに託します」
「ありがとう」
ウェズはディアから槍を受け取り、その場ですぐさま 処置 に取りかかった。それこそが、今の自分にできること。そして、自分にしかできないことだ。
「 改造開始 ――」
すぐさま、ディアの槍を分解する。作業には手持ちのショートソードが役に立った。刃の部分で、ばっさりと柄を切り落としてしまう。
あとは発動機内部の配線を少し 弄 るだけ。そもそも前に一度修理したギアなのだ。構造は覚えている。これなら、処置は容易く終わるだろう。
シエロはホロウに向かって矢を放ちながら、「くそっ」と毒づいていた。
「もう矢がなくなっちまう! どうすんだよ!」
「アーマライト二等兵、まだ時間はかかりますか!?」
ディアに問われたのとほぼ同時に、ウェズは「 完了 !」と叫んだ。
「シエロ、この矢を使って!」
ウェズが手にしている〝特別製の矢〟を見て、シエロは「ええ?」と目を丸くする。
「矢っつーかそれ……ディアちゃんの槍の先っぽじゃねえか!」
「シエロのクロスボウで撃ち出せるように、もろもろ 改造 した! この矢なら、あのエネミーを貫けるはずだから!」
「マジかよ!? とんでもねえことするな、お前……!」
驚くシエロを、ディアが脇から「そんなことより早く!」と 急 かしている。
「敵はまた急降下を始めるつもりです! その前に撃ち落としてください!」
「わ、わかった!」
シエロがウェズから特別製の矢を受け取り、クロスボウに装塡する。
一方、上空のホロウは、牽制射撃がなくなったのをいいことに、再び上昇を始めていた。今度はシエロに狙いを定めているようだ。
顔面 蒼 白 になりながらも、シエロは叫んだ。
「いちかばちか、どうなっても知らねえからなぁぁぁ!」
落下してくるホロウに向けて、シエロはクロスボウを撃ち放った。特別製の矢は、放たれた瞬間に爆炎を帯び始める。ディアの槍に装備されたミストコアが、時間差で起動しているのだ。もちろんこれも、ウェズによる 改造 の賜物である。
超高速の炎の矢は、まっすぐにホロウへと向かっていく。
ホロウは空中で停止し、身構える。向かってくる炎の矢を、これまでの矢と同様に腕で叩き落とそうとしたのだろう。
しかし、あの炎の矢はミストギアそのものなのである。ただの鉄の矢に比べれば、何十倍という硬度を有しているのだ。たとえれば、豆鉄砲と火薬を使った大砲くらいには威力の差があるだろう。
炎の矢に触れた瞬間、ホロウは「ヴォオオオオオオ!」と悲鳴を上げた。炎の矢が、ホロウの片腕を翼ごと弾き飛ばしてしまったのである。
ホロウは断末魔の叫びを上げ、そのまま地に墜落していく。
矢を放ったシエロ自身、この成果が信じられないのだろう。「うおおおおおっ!?」と 驚 愕 の声を上げている。
「すげえ! 本当にやっちまった!」
「……なるほど。これがあなたにしかできないこと、ですか」ディアがウェズに向き直り、続ける。「私は、あなたのことを誤解していたかもしれません」
「え」
「ウェズ・アーマライト。あなたは、立派な覚悟の持ち主でした。あなたには、あなた自身の役割を果たす覚悟がある。これまでの非礼をお 詫 びいたします」
「別に、そんなことは――」
とウェズが返そうとしたところで、シエロが「おい、やべえぞ!」と切羽詰まった声を上げた。
「あいつ、まだ息がある!」
墜落したはずのホロウが、むくりとその巨体を起こした。
片腕がおかしな方向に曲がっており、いくつもの傷口から血が流れている。目は怒りに血走り、腕部の羽毛が逆立っていた。残った腕一本でも、こちらをまとめて 縊 り殺すくらいはやってのけそうだった。
ディアは一歩前に出て、
「ふたりとも下がってください! 私が相手をします!」
「つっても、ディアちゃんの槍はぶっ壊しちまったろ! どうするんだよ!」
「それは――」
ディアがシエロに答えようとした、そのときだった。
「――よっこらしょおおおおっ!」
ホロウの背後から、そんな声が聞こえてくる。
その瞬間、信じられないことが起こった。こちらに襲いかかろうとしたホロウが、身体の中心から縦に真っ二つ、左右に分かたれてしまったのである。
「ちょ、え? えええ!?」
突然の出来事に、シエロが口をあんぐりと開ける。
ホロウを両断したのは、見覚えのある大剣型ギアだった。重厚な存在感を放つ、 黒 鋼 の大剣。その巨大な 刃 は、まるで溶けたバターをナイフで切るかのごとく、いとも簡単にホロウを叩き斬ってしまった。
大剣の持ち主が、こちらに声をかけてきた。
「おーい、全員無事かぁ」
「ウラガン大尉!?」
ホロウを仕留めたのは、なんとウラガンだった。すっかり眠りこんでいたはずのこの男が、いつの間にこちらに追いついたのか。まったく気がつかなかった。
「あのホロウを一撃で……。さすが〝百体殺し〟のウラガン大尉です」
「〝百体殺し〟?」
「知りませんでしたか? 大尉の二つ名ですよ」
よくわからないが、ウラガンはあれですごい達人だったらしい。手負いだったとはいえ、自分たちがあれだけ苦戦したホロウを容易く瞬殺してしまったのだ。
腐ってもGEARSの隊長。あのオッサンも、ただの酔っ払いのダメ男というわけではなかったということなのか。
当の本人は、「いやあ、焦ったぜ」と笑いながら大剣を背負い直している。
「気づいたらお前ら、全員いなくなってんだもん。上官置いて先に行っちゃうとか、ちょっとひどくない?」
「訓練中に酒飲んで寝始める上官のほうが、よっぽどひどいと思いますけど」
シエロの苦言に、ウラガンは「そうかな」と肩を竦める。まるで悪びれていない様子だった。
「シエロの言う通りです」ウェズもため息をついた。「おかげでおれたち、こんな強敵と戦う羽目になっちゃったんですよ。ロゼも負傷しちゃいましたし」
ロゼは地面に横たわりながら「まったくだよ」と毒づく。
ダメージが大きいのか、いまだ彼女は立ち上がれないようだ。うつ伏せのまま不機嫌そうな表情を浮かべている。
もっとも、あの強烈な体当たりを受けて、命があっただけでも幸運なのだろう。
「まあ、メンゴメンゴ」ウラガンが後ろ頭を 搔 く。「でもさ、ほら。お前ら皆が力を合わせればホロウにも立ち向かえたわけだからさ。結果オーライじゃん?」
「そういう問題っすかね」
シエロがジト目で睨んだ。
「最初から俺は信じてたぜ。お前らならこのくらいのエネミー、自分たちでなんとかできるってさ」
ウェズはつい「ホントかな」と口走ってしまう。この男のいい加減さといったら、なかなか右に出る者はいない。〝百体殺し〟だかなんだか知らないが、やはり 胡 散 臭かった。
「まあ、俺が寝てたのは、最初からお前らを試すためだったからね。お前らだけでどうピンチを乗り切るかって、ちょっとしたテストみたいなもんだったからね」
「さっきと言ってること違うんじゃないですか、大尉」
ウェズが上官の 戯 言 に 辟 易 していると、ディアが話しかけてきた。
「私の槍をクロスボウの矢に仕立てたのは、よい機転でしたね」
こんな調子で彼女の側から話しかけられるのは初めてだったので、思わず「えっ」と、驚いてしまう。
「仲間を守るために、自分のできることをする――あなたは、その覚悟をきちんと貫いてみせました。我々があのホロウを倒せたのは、あなたのおかげです」
「おれは別にそんな……。あいつを追い詰めたのはディアやロゼだし、撃ち落としたのもシエロだったし」
「それでも、あなたがいなければ我々は全滅していました」ディアの青く透き通った瞳が、ウェズをまっすぐに見つめた。「あなたは間違いなく、我々を救った。今回の実戦演習に関しては、あなたこそ英雄というべきなのかもしれません」
「おれが、英雄?」
「そうですよ。ありがとうございます、 ウェズ 」
ディアに 微笑 みかけられ、ウェズはドキリとしてしまう。
にこり、と笑う唇は 薔 薇 色。輝く瞳は極上の 瑠璃石 。もともと 綺 麗 な子だとは思っていたが、笑顔の彼女はこんなに美しいのかと、思わず言葉を失ってしまった。
「よかったな、ウェズ」
突然、耳元に酒臭い息がかけられる。ウラガンだ。
「憧れのお嬢に、ちょっとは認められたみたいじゃん?」
「だ、だから別におれは、ディアをそういう目で見てるわけじゃ……!」
焦るウェズを見て、ディアは首を傾げた。
「私がどうかしましたか」
「あ、いや、その」
言葉に詰まる。こういうとき、どういう言い訳をすればいいのかわからない。ウラガンの言うことも、あながち間違いではなかったからだ。
しどろもどろになるウェズを見て、ウラガンは「ははは」と楽しそうな声を上げる。
「機転が利くんだか利かないんだか。わかんねーやつだな」
まったく面倒なひとだ。彼女に変な誤解をされたらどうする――。ウェズはため息をついた。
しかしそう思う一方、こうしたやり取りに不思議な居心地のよさを感じてもいた。この変な隊長のもとで、GEARSの任務に励むのも悪くないのかもしれない、と。
ロゼの介抱を始めたディアの横顔を見ながら、ウェズはそんなことを思っていた。