――受賞の一報を受け取ったときには何をされていましたか? また当時どのような気持ちだったのでしょうか?
最終選考の後に受賞の連絡を受け取ったときは、実は素直に喜べなかったんですよ。もうちょっと自信を持って書いた作品で受賞したかったという複雑でぜいたくな思いがありました。当時は最終選考に残った段階で連絡をいただく仕組みになっていたのですが、それで最終選考まで残っているんだということを知りました。なのでそのときは、受賞できたとしても佳作がいただけたら十分かなと思っていました。
――選考委員の栗本薫先生、大沢在昌先生からも設定の斬新さが賞賛されていましたが、あまりご自身の中ではその評価にしっくりきていなかったということでしょうか。
さきほども話しましたが、この賞に応募するときは栗本先生に怒られるんじゃないかという気持ちがすごく強かったんです。応募する前に過去の受賞作に対する選考委員の先生のコメントをチェックしていたんですけど、栗本先生のコメントはかなり辛口で、この賞に応募するのは辞めようかなと思っていたほどでした。
――授賞式では選考委員の先生達とお会いする機会があったかと思いますが、参加されたのでしょうか?
実は授賞式には出席することができなくて、当時は福岡在住だったのですが、代わりに編集者の方がトロフィーを持って福岡まで来てくださいました。空港の傍のどこかの料亭のような店でご挨拶したのを覚えています。そのときは「編集者」というより「東京の人だー」、「東京の人が話しかけている!」という感じの方が強かったです。
――17歳での大賞受賞となりましたが、この結果についてはどのような気持ちを抱いていたのでしょうか? プレッシャーなどはあったのでしょうか?
実はずっと小説を書いていこうという気持ちがあまり当時はなかったんですけど、大賞というものをいただいて逃げられなくなっちゃたなという気持ちになりました(笑)この一作きりで辞めちゃったら、大賞に推してくださった栗本先生にすごい怒られそうと考えてしまって、せめて3冊ぐらいは出してから考えようと思うようになりました。
※後に栗本先生とお会いする機会があったそうですが、お優しい方だったとのことでした。
――受賞後に周囲の変化などを何か感じましたか?
クラスメイトには受賞したことは言えなかったんですよね。絶対に絡まれると思っていたので。ほとんど交流がなかったのですが、ある日クラスメイトから「同い年で、福岡県で小説の賞をもらったやつがいるらしい」、と話しかけられたことがあったんですよ。当時は「jump novel(ジャンプノベル)」という雑誌があって、そこに受賞者のプロフィールやちっちゃい顔写真がのっていたので、それが僕に似ているという話があったそうです。かまをかけられているのかと思って怖かったですね(笑)
――受賞後は勉学と仕事を両立するという形になりましたが、大変だった部分はあったのでしょうか?
自分が17歳でデビューしたわけですけど、若くしてデビューした作家ってその後が続かないんじゃないかという印象があって、僕もそうなる確率が高いだろうと思っていたんですよ。なので就職も視野に入れて勉強もしていました。
この頃の小説家としての活動は「jump novel」に掲載する短編を半年に1回書くだけだったので、勉強の方がメインの活動という感じでした。
――『夏と花火と私の死体』は『優子』という作品を加えて書籍として刊行されることになりましたが、この作品は『夏と花火と私の死体』同様に短時間で書き上げられたのでしょうか?
『夏と花火と私の死体』はまぐれで書けたようなものだったと思うんですよ。受けると思ってなかった作品が褒められて、自分は何を面白いと思って小説を書けばいいんだろうという気持ちが当時は出てきてしまったんです。次の作品を書いて編集者に見せてもなかなか通らなくて、『夏と花火と私の死体』以降で5本ぐらい書いてみたんですけど、その中で『優子』という作品だけがものになりそうな反応を受けて、なんとか書き上げて刊行できたという感じでした。
――デビュー後に小説を書くことの壁にぶつかってしまったということですが、二冊目の『天帝妖狐』が生まれるまではどのような葛藤があったのでしょうか?
当時は小説の書き方がわからなくて七転八倒をしていた時期で、しかも僕の好きなジャンルは異世界ファンタジー小説だったんですけど、編集部からはホラー小説を書いてもらいたいという要望があったんです。原稿は採用されないし、もともとあまりホラー小説を読んでこなかったためにホラー小説のネタを考える素地がなかったのと、求められているものと自分の好きなものがまったく違っていて、どうすればいいのかという悩みがありました。
――その悩みが解決されるようなきっかけはあったのでしょうか?
なんとか『天帝妖狐』を書いたものの、うまく書けないまま「jump novel」に掲載したような感覚が残ったままでした。その後、どうにかしないとと思っていたときに脚本家のシド・フィールドさんの『シナリオ入門』という脚本術の本を読んでみたんです。それでその内容を実際に取り入れてプロットを作りながら原稿を書いてみたら、段々と原稿が採用される打率が上がっていったんですよ。
ちょうどそのころに脚本術を実践して『はじめ』という作品を書いたのですが、その作品ではホラー要素を入れながらも感動的なシーンを入れることが出来たんです。それで、自分はこういうホラー一辺倒のものじゃない作品も書けるのかもしれないという思いが出てきて、この二つの要素が現状を打破する大きなきっかけになりました。
その後『天帝妖狐』は書籍化するにあたって、納得していなかった部分が大きかったので、大幅に改稿しました。当時は大学生だったんですけど、研究室で研究するふりをしながら書いていましたね(笑)
次回更新は5月22日予定!!
『ジョジョの奇妙な冒険』のノベライズや初の長編シリーズ作についてお聞きしました!
お楽しみに!!