編集者には大事な道具が3つある。iPad、Apple Pencil、そしてタクシーである。iPadとApple Pencilがあれば、メモができる、メールもできる。だが、タクシーがなければ家には帰れない。
もっと早く出社して早く終わらせれば電車で帰れるジャン、という指摘はごもっともである。私もそう思う。私は〈可能な限り電車で帰りたい派〉の人間である。できれば夕方ごろに帰って、ルンルン気分で今日は晩ご飯なに作ろっかな〜とか言いながら買い物をして、家に帰って、ラジオ『アフター6ジャンクション』や録画したテレビ『100分de名著』を見たり聞いたりしながらご飯を作って、できれば美味しいお酒を飲みながら食べて、そのあとNETFLIXを見ながらChillしたい。だが、どこでつまずいてしまったのか、どう転んでも終電に間に合わない日もある(転がりながら終電に乗ったらそれはそれで迷惑)。
そんなときにタクシーの出番である。人生のとある一日、帰宅というミッションにつまずき転んでしまった者たちを家に送り届けてくれる存在。
私は車があまり好きではない。車酔いの癖があり、地方住まいで車社会だった子供のときには嫌な思いをしたこともあった。だが、東京の深夜のタクシーは少しだけ気に入っている。深夜、タクシーに乗るときは、いつもとは違うことが起こったときである。作家の原稿が届いたとき、新しいプロジェクトの打ち合わせが長引いてしまったとき、作品談義が盛り上がってしまったとき。いつもとは違う事態の余韻を引きずりながら、タクシーは静かに道を走っていく。そんな特別な夜の時間を少しだけ延ばしてくれるのがタクシーなのだ。
ところが、いつもとは違う事態がいつも良いことであるとは限らない。校正修羅場のとき、説教が長くて自分のことができなかったとき、三次会につきあわなければならないとき、どうしてももう一杯よそで飲まねばやってられないとき、飲みすぎて正気を失ってしまったとき。終電は待ってはくれない。どちらかと言えば、うまくいかなくて孤独な夜にタクシーに乗ることが多い。
だが、そんなふうにつまずきながら乗り込んだタクシーで、自分の思いとは無関係に流れていく東京の夜景を眺めるうちに、だんだんと自分の失敗や孤独なんてちっぽけなことだと思えてくる。東京の夜景は孤独でいて、それなのに孤独を鎮める魔力がある。
家の前でタクシーを降りるとき、興奮は醒め、いつもの自分に戻り始めている。ちょっと転んだけどいつもとは違う経験できて、ついでに夜景もきれいだったし、まいっか、みたいな気分になっている。可能な限り電車で帰りたい。だが、いつもとは違う夜にはタクシー使ってもいいジャン、ちょっと転んだときくらいタクシーで帰るのもアリジャン、と思うのである(転がりながらタクシーに乗ったらそれはそれで迷惑)。