そろそろ暮れの足音が聞こえはじめる、12月の午後。
今日も松野家の六人は、部屋で思い思いに無駄な時間を過ごしていた。
長男おそ松は、床に寝そべり、すでに読み終えたマンガ雑誌を繰り返し読み、飽きもせず五周目に突入していた。
次男カラ松は、窓枠に腰かけ、空をゆく小鳥たちにキメ顔でウインクを投げかけるが、当然ながらことごとく無視され続けている。
三男チョロ松は、気になった求人広告のスクラップに余念がないが、一冊分をスクラップし終わると一仕事終えた気分になって満足するのが常だった。
野球盤に興じる五男十四松と末弟トド松は、肝心の玉を失くしたことに気づき、途方に暮れた。パチンコ玉で代用するも大きすぎ、BB弾では軽すぎる。ちょうどいい代用品を思い出したという十四松が「ペアリング!」と言ったが、それはベアリングだった。
そして四男一松は、ただ膝に猫を乗せ、丹念に毛並みを整える。
限りある若い時間をドブに投げ捨てさせたら、彼らの右に出る者はない。
「ねぇ」
すると。突然思いついたように長男おそ松が立ち上がり、兄弟に声をかけた。
「……カラオケ行かない?」
一瞬互いに視線を交わす兄弟たちだが、すぐに声を揃えて返事した。
「「「「いーねー!!」」」」
昨晩、TVの歌番組で懐メロを聞いた影響である。
とはいえ、普段さほどカラオケに興味がない彼らが即座に同意したところを見ると、さすがにそれぞれ貴重な時間をドブに投げ捨てている自覚があったのだろう。
「一松は…………行かないよなカラオケなんて」
言いかけたおそ松は、考えて、それ以上は言わなかった。
ぞろぞろと部屋を出ていく五人を見送り、
「……」
一松は一人、部屋に残って猫をなで続けた。
また、ある日。
「あーあ、まーた競馬で負けたよ……」
すらりと部屋のふすまを開けるなり、おそ松はがっくりと肩を落とした。
部屋の中でファッション誌を読んでいたトド松が、顔を上げて目を細めた。
「もうしばらくやめといたら? 負け運がついてるんだよ」
ほかの兄弟たちも部屋にいて、一様に呆れ顔をする。みなパチンコは大好きだが、ギャンブルのハマりようにおいては、おそ松が頭一つ抜けていた。
おそ松は「うーん」と腕組みして考えた後、名案とばかりに手を打った。
「じゃあ、流れを変えるために飲みに行くか!」
「はぁ? なんでそうなるの?」
トド松は理解できないとばかりに半眼になって、
「競馬がダメだったから飲みに行って、また競馬かパチンコって、その地獄みたいな思考回路やめない? 人として一生浮上できない感じがすごいよ」
「そっかぁ……?」と、おそ松は、わかっているのかいないのかわからない返事をして、またぱんと手を打った。
「じゃあたまにはバーにでも行くか!」
「だから何で飲みに行くの!?」
「いつも居酒屋で安酒ばかり飲んでるから、しみったれた負け運がつくんだって。だから気分を変えてさ!」
「聞いてる!?」
トド松はため息をつく。
「まぁ、別に暇だからつきあってもいいけど? ボクいいダーツバー知ってるんだ」
それを聞いて瞳を輝かせたのはカラ松だ。
「バーか……それは黙ってられないな」
革ジャンの胸ポケットに忍ばせたシガースティック(※食べられる)を取り出し、手慣れた仕草で口にくわえた。
「よーし! じゃあみんなでダーツバー行こうぜー! トド松の金で!」
「はぁ!? 何でそうなんの!?」
「「「「いーねー!!」」」」
「よくないよ!!」
トド松を無視して、ぞろぞろと部屋を出ていくおそ松、カラ松、チョロ松、十四松。そしてトド松も、「絶対ボクは出さないからね!」と文句を言いながら後についていく。
「あ……」
最後にちらりと一松に視線をやったが、しばし考え、トド松は続きを口にしないまま部屋を出ていった。
「……」
そして一松は部屋に残り、五人の背中を見送った。
そのまた、ある日。
「あ、そうだ、この間話したトト子ちゃんの誕生日プレゼントのことなんだけど……」
おそ松の言葉に、「ああ、考えてきたよ」「ボクもボクも」「びっくりさせようー!」「フッ、レディの感動する顔が目に見えるぜ……」などと、口々に応じる兄弟たち。
「……!?」
その話題に目を白黒させたのは一松だ。
そんな話、一ミリだって聞いてない。
しかしほかの兄弟は当然のように知っていて、すでに準備も進めていて、さすがに一言いいたい一松だったが、
「よーし! じゃあ買い物行こうぜ!」
「「「「おー!!」」」」
「……」
ついに口を挟む機会を失って、一人うつむいたまま、一松は部屋に残った。
◇
─そして事件は起こった。
先日行ったカラオケについて、五人が楽しそうに会話している時だ。
当然一松は話に入ることができない。部屋の隅でいつもより念入りに猫をなでるばかり。思えば最近、こんなことが重なっている。
口には出さないが、フラストレーションはたまるばかり。
おそ松が口にした一言で、ついに一松の鬱憤は爆発する。
「あ、そうそう、来週の引っ越しの話なんだけどさ」
「ちょっと待って!?」
「え? 一松どうしたの?」
突然立ち上がって叫んだ一松に驚いて、目をぱちくりさせるおそ松。
「え? なに? 一松」
「なに? じゃないよね!?」
ほかの兄弟たちも首を傾げたり、顔を見合わせたり、揃ってきょとんとしている。
「え─!? なにその反応!? 逆にお前らがどうしたの!?」
しかしなお兄弟たちは、どうして一松が怒っているのかわからずに「どうしたんだ一松は?」「機嫌が悪いんじゃないの」などと口々に言っている。
「いやいや待って!? 変でしょ!? なんでおれの知らない間に引っ越しの話とか進めてんの!? おれも一緒に住んでるの! ご存じ!?」
「えー? だってしょうがないじゃん」
眉根を寄せて、逆に不満をこぼしたのはおそ松だ。
「一松いっつも話入ってこないじゃん」
「だからってだな!?」
そこまで言うと、一松は深呼吸し、努めて冷静になろうとする。
「……いや、別にいいんだけど。全然気にしてないんだけど。ただ今からおれが言うことはちょっと聞いといて。お前らの将来のためにもなるから。いやほんとおれは全然よくて、お前らのためを思って言うんだけど」
「なにその回りくどい言い方」
トド松が口を挟むと、おそ松も大袈裟に頷いて、
「そうやって言うやつほど自分のことしか考えてないんだよね。自分をよく見せるためのダシに人を使わないでほしいよね」
「うるさい聞けよ! みんなで勝手にカラオケ行ったり、バー行ったり、トト子ちゃんの誕生日祝いを買いに行くのだって聞かされてないんだけど!?」
「え? だって一松、誘ったら来るの?」
「……」
おそ松に言われ、一松はつい黙った。
一松は基本的に賑やか、あるいは華やかな場所が嫌いだ。カラオケだって行かないし、ダーツバーなどもってのほか。リア充の巣窟は徹底的に避けてきた。おそ松たちだってそれを知っていた。トト子ちゃんへのプレゼント選びだって、普段は行かない女の子だらけのファッションビルへ足を運ぶ予定だったから、一松には声をかけなかったのだ。
「……行かないけど」
「じゃあいいじゃん」
「よくないから言ってんの! 行くか行かないかはおれが決める!」
「え、なんでちょっとイライラしてんの?」
「煽ってきてんの!?」
いまだピンとこない態度を貫くおそ松に、一松は怒りを募らせる。
「だから一応誘えって言ってんの! 一応!」
「でも、誘っても来ないんでしょ?」
「いやいや違うから! わかんないかな~? まずお前らが誘って! おれが断る! ちゃんとその手続きを守って!?」
「えー……?」
今度はおそ松が納得できない顔をする。
「なにそれ? どうして断られるのわかってて誘わなきゃいけないの?」
「だから! 親しき仲にも礼儀あり、だろ! もっと気遣って弁えていこう!?」
誘われても行かないのは確かだが、だからと言って確認を飛ばされるのは、一松としては我慢できない。効率はわかるが、これは気持ちの問題なのだ。
「もうさ、引っ越しの話までハブるとか、それ嫌いな人に対する態度だよ!?」
「嫌いな人ー?」
おそ松は心外そうに言う。
「いや、別に俺たち一松のこと兄弟じゃないなんて思ってないよ? な、みんな?」
「それなんだよな────!!?」
一松は独特のポーズとイントネーションで不快感を露にする。
「普通そんなこと言わないんだよな─!? ちゃんと兄弟だと思ってるやつにはそんなこと言わないんだよな─!?」
見かねた十四松がフォローに入る。
「大丈夫だよ一松兄さん! ぼく、一松兄さんのこと欠陥人間だなんて思ってないよ!」
「なんでこのタイミングでそんなこと言うかな─!? 急に脇腹刺された気分! 欠陥人間とか普通使わないんだよね! 物扱いじゃん人間じゃないよねもはや!」
「フッ……」
そこへ、カラ松が進み出た。
瞼を伏せ、傷心の弟の肩にそっと手を置いた。
「寂しいのか? 一松」
「黙れクソ松!」
「あああああああ!!」
一松渾身のドラゴンスクリューが炸裂し、膝関節がもげかける。
床に転がるカラ松を、何度も足蹴にする一松。
それを見ていたチョロ松が、別の疑問を呈した。
「逆にさ、お前のその、カラ松に対する態度も人としてどうなの?」
するとカラ松は「そうだ!」と涙目で不満を訴える。
確かに、一松のカラ松への当たりの強さは兄弟の中でも突出している。
©赤塚不二夫/おそ松さん製作委員会