「……またか」
自宅のポストの前。企業名の印字された封筒を開け、中に入った手紙を確認すると、おそ松はがくりと肩を落とした。
その後ろで。
「……はぁ……」
トド松がスマホに届いたメールを見て同じようにうなだれた。
「お前も?」
おそ松が横目で尋ねると、
「うん。おそ松兄さんも大変だね」
トド松も苦い顔で視線を返した。
――慎重な選考を重ねましたところ
――残念ながら今回はご期待に添えない結果となりました。
「「はぁ……」」
同時にため息をつく玄関先。
――松野様の今後のご活躍をお祈り致します。
年明け気分もすっかり抜けた2月初旬、朝は例年になく冷え込んで、冬の終わりはまだ先になると天気予報士は告げていた。
二人の吐き出した息は真っ白で、むやみに朝の町並みを曇らせた。
2週間前のことだ。
「母さんはもうダメだ」
母・松代のいない台所で、父・松造は重々しい口調で6つ子に告げた。
きっかけは十四松だった。
前日の夕方、いつものように河川敷での素振りをした帰り、もよおして近くにあった病院のトイレを借りた十四松。
通りかかった診察室から「そんなっ……!」という松造の声を聞いた。
勝手知ったる病院だ。気になった十四松は診察室へ忍び込み、カーテン越しにばれないように声のする方を覗き込むと、松代と松造がいた。
だしぬけに医者が冷たい声で言った。
「奥様は――――もってあと一か月です」
途中、聞き取りづらい部分はあったが医者は確かにそう言った。
十四松は意味がわからず眉根を寄せる。
「どうにかならないんですか?」と、松造が言うと、
「なりません」と、医者が答えた。
「お、お前! それでも医者かっ!?」
その冷めた回答に激昂した松造が、椅子から立ち上がって医者につかみかかろうとする。椅子に座ったまま、松代がそれを冷静に止めた。
「……いいのよ、やめて。いつかこんな日が来るのはわかってた」
「だがっ……!」
「いいの」
「……」
松造が椅子に座り直すギシッという音がした。
しばしの静寂を挟んで松造が再び口を開く。
「……じゃああいつらにはどう言うんだ?」
「あいつらって?」
「子どもたちに決まってるだろ」
「……言わなくていいわ。心の準備が必要よ」
「心の準備と言っても……あいつらだってもう大人だ。それにこの先のことだって――」
「心の準備って私のことよ」
「え?」
「私だっていつも強くはないの。私自身がこのことを受け入れる時間をちょうだい」
「……お前…………」
いつも毅然としているが、この妻も弱い女なんだと、松造は思った。
子どもができてからみるみる強くなって、今だって動じていない風を装っているが、心の中では大きな不安に襲われているのだ。
妻の心中を思うと、松造は胸が苦しくなる。
「…………」
そんな父が鼻をすする音を、十四松はカーテン越しに聞いた。
そして、迷いながらも十四松はそれを兄弟に報告し、6人で松造を問い詰めることで事情を聞き出すことに成功したのだ。
主のいない台所で、松造は説明を続けた。
「母さんは今病院にいる」
「ちょっと! どういうこと!? 母さんに何があったの!?」
動転したトド松が父の体を揺すって聞く。
松造は答えづらそうに下を向く。
「俺の口からはっきりしたことは言えん……」
「父さん!? なんだよそれ! ボクたちにも言えないの!?」
「……すまん。母さんの心の準備ができた時に、母さんの口から聞いてほしい」
「ふっ……ざけないでよ!!」
ガツンッと、たまらずトド松が近くにあった机の脚を思い切り蹴りつける。
松造は荒れる息子を止める手立てもない。
「よせ、トド松」
「カラ松兄さん! なんでそんな冷静でいられるの!?」
「ダディがそう言うんだ。オレたちは待とう」
「なんで……! 大人ぶんないでよ!!」
トド松は制止するカラ松の腕を振り払う。
2秒ほど空いた間を縫って、松造が言った。
「……ただ覚悟だけはしておいてくれ。医者はもってあと一か月と言っていた」
「「「「「「……!」」」」」」
6つ子たちは言葉が出ない。
直後、声を荒らげたのはやはりトド松だった。
「覚悟ってなんだよ……! あと一か月ってなんだよ! 急に言われても納得できないよ!!」
「人間は死の運命からは逃れられん」
「死の運命……だって? そんなこと聞きたくない!」
トド松はそう言うと、苦しそうな顔の父に背を向け、大きな足音を立てて二階へと上がっていった。
十四松がぽつりと漏らした。
「ごめん……ぼくが盗み聞きしたから……みんなに話したから……」
「お前は悪くないよ十四松」
責任を感じてうなだれる十四松を一松が慰める。
トド松が勢い任せに二階の部屋のふすまを閉める音がして、それきり全員が黙り込んでしまった。
すると、玄関の鍵が開く音がした。玄関の戸が開き、足音がこちらへ近づいてくる。
「あら、何をしてるの? 電気もつけずに」
「松代……お前……!」
カチリと松代が台所の電灯をつけた。まだ明るいうちに話し始めたはずだったがいつの間にか暗くなってしまっていたようだ。
「マミー……体は大丈夫なのか?」
「!!?」
カラ松がうろたえながら聞くと、松代は「やっぱり聞いたのね」と呟いた。夫が秘密を守れそうにないことはわかっていた口ぶりだった。
「平気よ。ほらこうして歩いて病院から帰ってこられるくらいだし」
「そ、そうなのか……?」
「それよりほら、どいてちょうだい。晩ご飯を作りに帰ってきたの」
「お前……そんなことのために病院を抜け出してきたのか!? 早く戻りなさい!」
「だから平気って言ってるじゃない」
慌てる松造にも素っ気なく返す松代。でもその口調には有無を言わせぬ語気があり、普段とは違う焦りのようなものを感じさせた。
チョロ松が心配そうに口を開き、
「母さん? 本当に大丈――」
そこまで言ったところだった。
「……くっ……」
「「母さん!?」」
松代が顔を歪めて膝をついたので、チョロ松と十四松が駆け寄って支える。
「平気よ……ちょっと家に帰ったら気が抜けただけ」
松代は構わずすぐに立ち上がり、流し台へ向かおうとする。
「……ダメだよ母さん」
その前に立ちはだかったのは一松だった。
「一松、どきなさい」
「どかないよ」
「いじわるをするんじゃないの」
「いじわるなんかじゃ――」
「……うぅっ…………!」
会話の途中でまた松代が顔を苦悶の色に染める。どうやら足に力が入らないようだった。
もう黙っていられないと松造が妻の肩を抱いた。
「ほらやっぱり無理してるじゃないか! 今すぐ病院へ帰ろう!」
そして5人に向き直り、
「父さんは母さんを病院に連れていくから。お前たちは待ってなさい」
そう言って、弱々しく立ち上がった松代の肩を抱いたまま、父は玄関を出ていこうとする。
5人はなにか手伝おうにもどうしたらいいかわからず、ただ心配そうな顔をして玄関まで二人を見送った。
玄関が一度閉まった後、すぐに松造だけが戻ってきて、一言言い残した。
「母さんが言ってた――『一度でいいから息子が就職するのを見たかったわ』って」
「「「「「……!」」」」」
父も悲愴な顔をしていた。
静かに玄関が閉まると、5人は視線を交わすこともなく黙りこくった。
急なことで頭が追いつかない。
でもこれまでの日常がひっくり返ってしまったのは確かだった。
沈黙を破ったのはカラ松だった。
「……どうするおそ松?」
水を向けられ、それまで黙っていたおそ松は腕を組んで言った。
「……ひとまずメシ食おうぜ。みんな腹減ってるだろ?」
それは案外名案だった。事態は深刻だったとしても、今何ができるわけでもないし、考えれば考えるほど悪い想像しかできなかった。
それなら何も考えずやれることがあった方がいい。
そうして、トド松を除いた5人で全員分の晩ご飯を作った。
四苦八苦しながらご飯を炊いて、あまっていた豚肉と野菜を炒め、冷凍食品の餃子を焼いた。
ご飯は柔らかすぎたし餃子も焦がした。
自分たちだけで作る食事は思った以上に不味かった。
©赤塚不二夫/おそ松さん製作委員会